2016-02-28

Arial / Times New Roman 復古主義

久しぶりの投稿。

仕事し過ぎて、インプットとアウトプットのバランスが偏っている(あるいは、アウトプットの仕方がオフィスでのアウトプットに偏り過ぎている)がするので、久々にスタビライザーとして書いてみる。いわばペースメーカーとしての投稿なので、思いついたことのなかで一番くだらないことを書いてみる

ここ最近、異なる所属のメンバー複数人で手掛ける案件に数か月ずっと没頭していた。
一段落したので色々振り返っているのだが(ちなみに、振り返り・PDCAが大事って左脳君は口を酸っぱく自分に投げかけてくれるのだけど、いざ終わると、そんな気オキナイヨネ)、その中でふと思ったことの一つに、「チームプレイはムツカシイが、メンバー間で体裁ひとつ揃えることすら案外簡単ではない」という学び(?)があった。

What Happened

ちなみに、今回は自分がPM的立場であったことから、自分の好みを通させてもらって、
・Word文書の本文は、MSP明朝+Times New Roman
・Wordの図表やExcel,PPTは、MSPゴシック+Arial
としたのだが、いくつか「あるある」的プチ摩擦があって、

  • 新人あるある的に、英数フォントもMSP明朝で作ってくる
  • 保守主義なのか、MSP明朝ではなくMS明朝で作ってくる
  • 「Times New Romanはちょっと・・・」と、Centuryを投下してくる
  • トレンド追随的に?英数だけCalibriで切り込んでくる
  • 外角高めから、日本語も英数もメイリオで攻め込んでくる
等、色々な事案が生じ、案件序盤は少なくない割合、体裁を含む基本的なローカルルールの共有に時間を使った気がしている。

Issues Behind that

こういったトラブルが起きるのは、認識共有の不十分という運用レベルの問題も否定はできない:
  • そもそもフォントへの配慮が浅い:MSフォント(の英数フォント)が汚いという感覚が共有されていないところがある
  • 保守主義:日米問わず、多くの企業は結局のところ「その国のOfficeでのデフォルトフォント」を使っている。そのため、昔の米系企業はArial、最近の米系企業はCalibri、日本企業はMS明朝+Centuryあたりが、単にデフォルトであるというだけにもかかわらず「伝統的な、あるべきフォント」として崇められている傾向がある(実は自分も、会社の公式文書では、「全部MS明朝」という屈辱的なフォントに屈していたりするのだけど)
  • 共同作業への不慣れ:これは国というよりも企業や働き方によるところが大きいと思うが、一案件一担当者的な働き方が基本形である企業の人が集団で作る資料は、体裁がガチャガチャしがちなところがある
だけど、どちらかというと、以下に述べるようなOfficeの技術上の問題も大きい気がしている:
  • 英数フォントの分離可否:WordおよびPPTでは和文フォントと英数フォントを使い分けできるが、Excelではできない(ので、都度全セル選択→フォントをArialにする、という作業が伴う気がするのだが、これ他にいい手ありますかね?)この点においては、和文も英数も同じフォントとなるMSフォントあるいはメイリオ(またはMeiryo UI)に分があると言える
  • カーニング:フォントの美しさをスタンドアロンに論じるならばTimes New Romanは良いのだが、日本語との相性が良くなく、妙に近接してしまうところがある。メイリオのようにポッカーンと離れているのもバカみたいで好きではないのだが、確かにTimes New Romanが完璧なフォントでないことは認めなければならない
  • ちなみに、少し離れるが、最近買ったSurfaceのせいなのか、それともOffice2016の仕様なのか、MSPゴシックがやたら汚く見え、最近は自分も不承不承メイリオへの傾倒を強めてしまっている。

Bottom Line?

つらつらと書いてみたが、あまり絶対的な「あるべきイメージ」はないような気がしており、今後も誰と働くかによって自分自身使用フォントは変わっていくのかなと思っている。とはいえ、フォントから自分たちのチームワークへの配慮の濃淡が透けて見えてしまうところはあると思うので、以下あたりは気を付けていきたい
  • Uniformity:結局フォントはなんでもいいけど、少なくともひとつの書類の中では統一したい。Aさんが作ったスライドでは明朝体、Bさんが作ったスライドではメイリオというのは避けたい。ちなみに結局本案件では、序盤に体裁その他についてローカルルールを定めたのだが、それ自体が関係者のコミュニケーションコストを下げる効果があり全体のパフォーマンスにも寄与した気がしている
  • でも、決め過ぎない:たとえばフォントならまだしも、数多ある論点について序盤に変に「固めすぎる」と逆効果というかメンバーの創意工夫を阻害する効果も否定できない。結局すべてはバランスという話になってしまうのだが、この点についても、メリデメ両方を理解した上で適切なバランスをリーダーが判断することが大事。
    ただ、念のためだが、日本企業の多くは、集団行動にルールを設けることに消極的すぎる(ルールを決めない代わりに、空気に従うことを要請しがち。ルールは権力者の横暴を止めるためのものであり、むしろ現場の人間の自由度を高めるためのものという発想が希薄な気が・・)であり、どちらかというときちんとルールを決めた方が良いと感じている。
  • デフォルトフォントの相対化:たとえば自分の場合における社内公式文書等、MSフォントが実質的にルールとなっている場合においては、そのルールに従うことが望ましい。そこでメイリオを使うのは逆にGoing my way過ぎと思う。しかし、デフォルトフォントは決して不可侵の神聖ローマ帝国ではなく、あくまでMicrosoft社がデフォルト設定したフォント、数あるフォントの一つに過ぎないことには自覚的でありたい。ローソンのコーヒーしか知らずに「ローソンのコーヒーは美味しい」というのと、数あるコーヒーを飲み比べた末の判断として「ローソンのコーヒーは美味しい」というのでは意味が違ってくる。