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2020-04-18

矛盾や弱みが見えないリーダーの方がむしろマズい

ベンホロウィッツの「What you do is Who you are」が「Who you are」というやや微妙なタイトルながらも邦訳された。

この本では、様々な過去のリーダーの行為を通じて組織文化についてかなり体系的に整理が試みられている。

非常に面白い本だが、脇道的に気付いた点として、本書で紹介されているリーダーの多くが、偉大な改革者であった一方で、多くの矛盾や弱みを抱えている。

ハイチ独立のために戦った ルーベルチュールは組織規律のために「妾を持つな」というルールを自ら打ち立てておきながら自身には婚外子等がいたとか、

ミシガンの刑務所にて、囚人たちに出所後にも生きる規律・文化をもたらしたシャカ・センゴールはそもそも殺人で服役する時点で相当な問題を抱えているし、

実力主義や多様性を尊重することでかつてない規模のモンゴル帝国を築いたチンギスハンも、言っていることとやっていることに大きく矛盾があったと書かれている。

一度目に読んだ時点では、自分はこれをネガティブに受け止めていたのだが、
再読した今回、もしかすると、この矛盾や弱みは、むしろリーダーに重要な要素の一つなのではないかと少し錯綜的な感想を抱くに至った。

非常識、あるいは非倫理的な発想になってしまっている気もするが、一応、書き残してみたい。


2019-12-21

良いゼネラリストと悪いゼネラリスト

毎年恒例の、FTとマッキンゼーによるBusiness book of the yearを眺めていたら、『Range』という本が、ゼネラリストvsスペシャリストの議論を論じていたので、手に取ってみた。

(2020/4追記:邦訳版が出たのでそちらのリンクも掲載:『Range(日本語版)』)


本書で、「スペシャリストvsゼネラリスト」の対比として最初に出てくる事例は、タイガーウッズ対ロジャーフェデラーだ。

タイガーがスペシャリストというのは直感的にわかるだろうが、殆どの人は「いやいや、タイガーがスペシャリストなら、フェデラーだってスペシャリストだろ!」と感じるのではないか。

この話を理解するためには、ひとつの補助線が必要になる。

すなわち、本書で書かれる「ゼネラリスト」は、一般的な日本的意味合いの日本的ゼネラリストを超えた、真のゼネラリストという発想である。

その発想のもとでは、ゼネラリストは、スペシャリストのカウンター概念というより、アウフヘーベン概念と言った方が近いと思う。

それでは、真のゼネラリストとは何だろうか?以下、自分なりの整理を書き残してみたい。

なお、議論の全体について、以下書籍などを念頭に置いている。

人事と組織の経済学・実践編(Link)

組織の経済学(Link)


2019-08-25

MBAで学ぶのは、理論それ自体ではなく、理論の使い方

よく、以下のような、MBAを批判するような議論を聞くことがある。

  • MBA上がりの奴は、欧米の経営理論を無批判に取り入れようとしがちで、現場がわかっていない
  • 投資先に派遣されたマネージャーが、「非効率」な現場に「近代的」な経営手法を導入しようとしたら、反発や機能不全等を招き、機能しない

このように批判されるMBAは、どこで苦労しているのだろうか?どこかに間違いがあるのだろうか?

本稿では、このことについて、少し書き散らしてみたい。



結論を先取りすると

  • 上記は、「ダメなMBA」の典型例であり、「まともなMBA」の例ではない
  • 真面目にトレーニングを受けたMBAほど、経営理論を安易に振りかざすことには慎重になる

ということではないかと思っている。

本稿は結果として「MBAの内容なんて、本を読めば、通学せずとも学べる」という批判への反論にもなっている。


2019-01-03

「知識を使いこなせる」とはどういう状態か

たまに散見される「知識やコンセプトのことは知っているが、使いこなせない人」について、少し自分なりの見え方を備忘まで記載してみたい。

2018-12-29

Do and Don't (for Manager) 2018年版

自分の観察や失敗経験をもとに蓄積した自己教訓集。
年末の棚卸的に、書き残してみたい。

マネージャーとしての観点とプレーヤーとしての観点があるが、本稿ではマネージャーとしての観点について。

プレーヤー版はこちら→リンク

2018-12-28

Do and Don't (for Player) 2018年版

自分の観察や失敗経験をもとに蓄積した自己教訓集。
年末の棚卸的に、書き残してみたい。

マネージャーとしての観点とプレーヤーとしての観点があるが、本稿ではプレーヤーとしての観点について。

マネージャー版はこちら→リンク

2018-10-07

「そんなつもりじゃなかった」症候群

マネージャーとかリーダーとかの立場において、「これを言ってしまうと恥ずかしい言葉」の代表例として「そんなつもりじゃなかった」という言葉があるように思っている。

以下、なぜその言葉がイマイチだと自分が考えているのか、少し書いてみたい。


2018-09-09

頭の良い人こそ「プラトンの洞窟」に囚われる

最近感じている
「社内政治って、八割がた避けられるんじゃないの」
「政治論に落とし込む人って、現実主義者というより、単に知識不足なんじゃないの」
という問題意識について、もしかするとプラトンの洞窟の比喩を使うとうまく説明できる気がしたので試してみたい。

2018-08-27

何の話をしているのか、明確に!(状況モデルの構築)

前回のポストに引き続き、「教養としての認知科学」を読んで得た気付きについて。

会話していて、
  • 説明していても、相手に自分の説明を理解してもらうのに苦労する
  • 外国人との会話で、単語や文法はある程度身についているはずなのに、それでもうまく理解できない  
といった悩みを感じることはないだろうか。

これは認知科学における「理解」の仕方に関する問題であり、そのあたりについて書き散らしてみたい。


2018-08-12

覚悟に逃げない

先日手に取った「決断という技術」という本がなかなか面白く、ニヤニヤしながら読んでしまった。

海外経験のある3人(柳川氏、水野氏、為末氏)が「ここがヘンだよ日本人」的に日本的な意思決定のクセを一刀両断にしていく本だ。

学術本ではないので読みやすい。たとえば、日本人は

・覚悟しすぎ
・割り切りを嫌がりすぎ
・捨てられない
・比較考量できない

等々。

個人的には色々突っ込みたいところもあるが(やや批判が浅く、実戦で使うためには、もう少し読者は自分の頭で考え抜く必要があると思う)、まあでも、非常に良い本と思った。



ところで、覚悟って一般的には良い意味で使われているが、何がどうダメか、スパっと言えるだろうか?

本稿では、覚悟の何がダメで、何はいいのかについて、少し考えてみたい。

2018-08-05

合理性再考(3)・・・「合理的」再考

「いや、あなたの言う合理的って、そんなに合理的でもないですよ」シリーズの第3弾。

第1弾の「実務的」では
  • 実務的世界では、多かれ少なかれ情報を絞ることが許容されるので、どだい、限定合理的になる。
  • 従って、実務において「俺は合理的だ」とか「あいつは合理的でない」というのは、そもそものところで合理的でないのではないか
ということを述べた。

第2弾の「感情的」では
  • 相手が感情的にふるまったときに、「非合理的だ」の言い換えとして「あいつは感情的だ」と非難する人が多い
  • しかし、合理的戦略として感情的にふるまう人も多いし、突発的激情的な感情ですら実は合理的であることがあるので、「感情的」と「非合理的」は分けて考えるべきではないか
と述べた。

今回は、しめくくりとして、合理性それ自体について、少し考察してみたい。

2018-08-04

合理性再考(2)・・・「感情的」再考


「いや、あなたの言う合理的って、そんなに合理的でもないですよ」シリーズの第二弾。

今回は、相手との会話がうまくいかなかったときに「俺は論理的に話そうと試みたのに、あいつは感情的だったので会話にならなかった」というときの「感情的」について。


2018-08-03

合理性再考(1)・・・「実務的」再考

仕事の現場で「合理的」と言う言葉をよく聞く。

しかし、たいていの場合、「合理的って言うけど、それってホントに合理的なの?」という疑問を抱く。

そこで、本稿から3回に分けて「合理的って何?」という点について書き散らしてみたい。

1回目ではまず、「合理的」の関連ワードたる「実務的」という言葉の意味合いや使い方について。



2018-06-09

ガラス細工を作らない

チームとか、複数部署をまたいでとか、何かしら複数人で仕事するときのコツとして

「ガラス細工を作らない」

「Robustなアウトプットを作る」

という意識をすることが有用なことがある。

ガラス細工とは何か?Robustとはどのようなものか?少し書き残してみたい。

2016-11-13

Focus on your game / 他人にいらいらしないための小技

生きているとどうしても、人と意見が衝突してしまい、自分の意見が通らず苦い思いをしてしまうことがある。そういうとき、気の持ちようによってはイライラが募り、友人とケンカしてしまったり、会社を辞めたくなってしまったりする。

自分も昔はしょっちゅうイライラしていたが、留学先の教授から学んだ「Focus on your game」という発想に触れてから、イライラすることが減ったし、衝突を過度に恐れずにふるまえるようになった気がしている。

以下、Focus on your gameの概念について少し考察してみる。

2016-11-12

他人は変えられる?

前回の投稿で、「他人は変えられないので、自分のアクションにフォーカスするといいのでは」という趣旨のことを書いた。

他方で、影響力に関する本(→参考例リンク)やチームマネジメントに関する本(→参考例リンク)がたくさん氾濫していることからわかる通り、「人を変えるためにはどうすればいいか」というアプローチの分析もたくさん存在する。

これらを見ていると、「他人は変えられるのか、変えられないのか、どっちだよ!」と言いたくなる。その一見すると相反する状況をつなぐためには、

「人はうまくやればある程度変えることができる。ただ、難しいし、他人を変えるよりは自分が変わる方が楽なので、実務上、他人を変えられないと仮定して動いた方がよい結果が出やすい」

というバランスの取れた発想をもちつつ、「変えられない」という保守的な認識と「変えられる」という希望的認識を併せ持つことが重要かと思う。

そんな観点から、今回は「他人は変えられる」という発想を起点にいろいろ述べてみたい。

2016-03-15

転職したら閉塞感は解決するのだろうか?

もういい歳なので、日々色々なきっかけで転職について思いをめぐらせる。

というのも、
  • 自分もすでに30代、結構な数の同期・後輩・友人等が転職を経験している(自社・自社以外含めて「半分くらい」という感覚)
  • MBA留学していたので、当然ながらその関連の知人友人はほぼ90%は転職している
  • 自分自身も当然ながら、キャリアの折々でいいときと悪いときがあって、悪いときには「えーい、転職か!?」とか考えることもある
等(ちなみに自分は転職していない側)。

転職は完全に個人的なものであり、成功も失敗もない話だと思う。年収の増減だけでは測定できないし、転職の瞬間だけを短期的に見てもやっぱりわからない。

そのような中で、あえて大胆に、ひとつの角度から、転職する・しないに関する論点について考察してみたい。


閉塞感


仕事をしていると、どうしても閉塞感を感じることがある。

  • 自分のやっている仕事の先行きが暗いのではないか
  • このままでは思うようなスキルがつかないのではないか
  • いつになっても収入が上がらない
等。

おそらくこのような「閉塞感」と「同僚との人間関係」は、退職理由ランキングの上位なのではないかと思う。

また、最近の雰囲気として、人口減少とかデフレとかその他もろもろの「マクロ経済の低迷」というマクロ要因となぞらえて、

「どの部署にいっても将来性が感じられない」

という閉塞感を持っている人が少なくない感覚がある。日本オワタ、みたいな。


閉塞感は会社のせい?


こういった閉塞感は人のモチベーションを損なうには十分もっともな問題だろう。

また、その解決のため、何らかの変化を求めるという考え方も、これまたもっともな発想ではないかと思う。

たとえば、最近だと、そのような観点で大企業からスタートアップに移る人も少なくない印象。

他方で、こんなことを思ったりする:

  • 「アツい」仕事はどこにでもある・・・
    大企業にいても、新規プロジェクトとか、不採算案件の構造改革とか、「アツい」仕事はそれなりにある。
    同じ会社でも、上手くいっている人は楽しそうにしており、上手くいっていない人は会社に恨みすらもっていたりする。
    「アツい」「アツくない」と「大企業」「スタートアップ」は必ずしも1:1対応していないように思われる。
  • スタートアップにも、つまらない仕事はある・・・
    スタートアップでも、5年もすると当初のコアビジネスは成熟化してしまう。
    経営者とかは新事業にシフトして引き続き楽しんでいることも多い。
    しかし、一担当者レベルだと、成熟化したビジネスからのキャッシュの刈り取りが仕事になりがちで、「スタートアップなのに閉塞感が」みたいなことになることも。
  • 同じ仕事でも、人によって楽しめる人とそうでない人がいる・・・
    同じ新人の雑務仕事でも、単純作業と考えて不承不承やる人がいる一方で、「やるからにはXXX」等考えて日々楽しみながら改善・成長する人がいる

思うに、閉塞感も、その対義語である「アツい」状態も、会社という軸だけでは語りきれない。

もう少し小さな、部署とかチームとか、さらにいえば個人レベルの問題に本当に論点があることも多いようにも思う。

少なくとも「アツいスタートアップに入れば解決する」という類の問題ではないように思う。

また、どんな会社・部署でも、長期にわたりフルスイングで「アツい」状態が続くことは珍しい。

充足感を長期にわたり得続けるためには、会社や部署といった「場所」だとどうしてもサステナブルではない。

なので、別の方法で短期借入の借り換えのごとくロールオーバーする発想が不可避になるように思われる。


ではどうしましょうか


雑にまとめると、

会社の大小や部署といったものは、閉塞感打破のSilver Bulletにはならないのではないか
(長期的には絶対に・短期的にもかなりの割合で)


ということかなと思う。

もちろん外部環境は閉塞感打破のひとつの良いきっかけ・後押しにはなる。

しかし、閉塞感から逃げ、充実した仕事をするためには、結局は「その場を自分で楽しくしてやる」という気概は避けて通れないように思う。

で、結局は自分の気持ち次第という話なのであれば、大企業には大企業の楽しさがあるはずだし、スタートアップにはスタートアップの楽しさがあるという価値中立的な話に落ち着いてしまうのではないかと思う。

今の居場所に相性の悪さを感じる等のネガティブな要因があるのであれば早めに離脱するのが良いだろう。

しかし、「ここではないどこかには、閉塞感のないアツい場所があるのではないか」という発想をもってしまうと、青い鳥探しに翻弄され人生結構しんどくなるのではないかなんて思っている。

参考

「社内でしか通用しないスキル」なんて実はほとんど存在しないのではないか?・・・類似のテーマについて考察した本ブログの別稿。

2016-03-13

Be Practical?

社内でも社外でも、実務的な人はけっこう多い。ものごとを小気味よく縦横に再整理して、バッサリバッサリと優先劣後立てを行い、上の人が意思決定しやすいようなアウトプットを用意するといった感じ。

昔から、そういうPracticalな人を見たときでも、ある人には「いいなぁ」と思えるが、別の人には「うん、でもちょっと違う」と思ってしまうなど、自分でもよくわからないものの2つの相反する感想をもつことがあった。

以下はそういった自分のモヤモヤに対する試案。

おしごと=課題設定×エグゼキューション

仕事の分野やその人の階級等にもよるとは思うけど、ものすごく雑に一般化すると、仕事は上記の通り2つに因数分解できると思う:

(1) 課題設定:眼前の現状を見て取り組むべき課題を特定したり、上司からの指令を自分なりに再構成してみたりといった取り組み。
(2) エグゼキューション:課題設定のフェーズで特定した課題を、しかるべきリソースを投入して(例:自分の専門性や時間、あるいは部下の時間)、一定のアウトプットを仕上げる

なので仕事は大抵2段階ゲームで、その2つの総合評価にて価値が決まり、それが定量的あるいは定性的に顧客・上司・その他関係者から名に暗に評価されることになる。

両者は2つともできてナンボである側面が強く、課題は設定できてもそれを解決できない人はイマイチだし、ゴリゴリとエグゼキューションする気合や手腕を持つ人であっても課題設定がイマイチであれば結局は苦労する。

Practical①・・・エグゼキューションが上手い

以下、2つの側面から「Practicalって何だろう」「Practicalな人ってどういうことなんだろう」という問いを考えてみる。

まず思いつくのは、Practicalな人とは、すなわち、上記2段階ゲームのうち後半のエグゼキューションが上手い人。普通の人が3日かかる仕事を1日で仕上げるとか、どの点についてはどの同僚の知恵を借りるべきか熟知しているとか、面倒な上司の説得の仕方を心得ているとか。

この側面においては、Practicalであることはポジティブに評価できるように感じる。やっぱり、一緒に仕事するパートナーとしては、仕事が上手な方が有り難いし。

なお、そういう人に見られる一般的な特徴としては

  • 担当分野に関する専門性が高い
  • チームやカウンターパートの動きが「見えて」いて、的確なパスやシュートが打てる
  • 「自分で抱える」と「人に頼る」のバランス感覚が良い
等があるように思われる。

Practical②・・・課題設定が「小さい」


他方で、もう一つ考えられるのは、前半の課題設定がやたら小さく、その結果としてエグゼキューションの評価が高くなるパターン。

その人に求められるエグゼキューションだけをスタンドアローンで見るとよいパフォーマンスなのだが、どうも全体として結果が伴っていなかったり、あるいは小さくまとまっていたりするような場合、またはそういう仕事になりがちな人。

見ていると、たまに、エグゼキューションから逆算して、「うまくできるような課題を選ぶ」「対処可能な水準にまで、課題の水準を落とす」という発想の人を見かける。たとえば、課題を「M&A案件の成就」としてしまうと難しいので、ゴールを「新規営業10件」として、それを楽々達成して「俺はやることやった」というような人。結果としてチームとしてM&A案件は成就しないが、その人は満足してしまっているような場合がある。
ひどい人になると、自分が対処できる範囲の課題のために、チーム全体の目標まで目線を下げてしまっているような場合も見られる。ゴルゴ13に暗殺の依頼をしたら「それは難しいから、あきらめて和平してはどうか」と逆提案されたうえで、ゴルゴが暗殺の代わりに和平の下準備をそつなくこなす・・・みたいなへたくそな例を思いついた。

このような人も、見かけ上は「そつなくエグゼキューションをこなす」という意味でPracticalなのだが、やっぱり好意的に評価するわけにはいかないのではないかと思う。


結局は課題設定次第

本稿ではPracticalを「エグゼキューションが上手い」と定義しつつ、それを①本当にエグゼキューションが上手い②エグゼキューションできるように課題を矮小化するという2つに分解を試みた。

上記は、同じようなことを2方面から言い換えているだけにも思われるかもしれない。
また、我々は夢想家ではなく実務家なので、as small as feasibleな程度に課題を小さくすることは否定されるべきものではなく普通に評価されてしかるべきものだ。

等多方面から議論はできるのだが、思うに、ひとつの論点は、課題設定にあたってのラスト1マイルの優先劣後に対する感覚が「いいPractical」と「悪いPractical」を分ける試金石なのではないかと思う。

・できるだけ大きな課題を解決したいが、かといって大きすぎては解決できないので、必要最低限の範囲で課題を小さくし、その課題を一生懸命Practicalにエグゼキューションする

人と、

・できるだけ「上手いエグゼキューション」になることを目的に据え、そのため、関係者間で揉めない限り最大限課題を小さくしてしまい、その結果として余裕でエグゼキューションする

人。両者とも表面上の見かけはPracticalだが、前者は尊敬できるが後者は物足りなく感じる。

もちろん、「エグゼキューションが下手」という本稿ではスコープ外にいたような人との比較においては後者も悪くはないのかもしれないが、肌感覚的には、「課題を矮小化してソツなくこなす人」よりは「適切な課題設定をして、覚悟の結果としてエグゼキューションで失敗する人」の方が結果的にはチームに大きな果実をもたらしてくれる気がする。

ということで、自分のいったんの結論としては、やっぱり大事なのは課題設定に関する感度や手腕こそが大事で、せっかくのエグゼキューション能力も課題設定能力の巧拙により「素晴らしい」にも「物足りない」にもなりうるのではないかと感じている。


2016-02-28

Arial / Times New Roman 復古主義

久しぶりの投稿。

仕事し過ぎて、インプットとアウトプットのバランスが偏っている(あるいは、アウトプットの仕方がオフィスでのアウトプットに偏り過ぎている)がするので、久々にスタビライザーとして書いてみる。いわばペースメーカーとしての投稿なので、思いついたことのなかで一番くだらないことを書いてみる

ここ最近、異なる所属のメンバー複数人で手掛ける案件に数か月ずっと没頭していた。
一段落したので色々振り返っているのだが(ちなみに、振り返り・PDCAが大事って左脳君は口を酸っぱく自分に投げかけてくれるのだけど、いざ終わると、そんな気オキナイヨネ)、その中でふと思ったことの一つに、「チームプレイはムツカシイが、メンバー間で体裁ひとつ揃えることすら案外簡単ではない」という学び(?)があった。

What Happened

ちなみに、今回は自分がPM的立場であったことから、自分の好みを通させてもらって、
・Word文書の本文は、MSP明朝+Times New Roman
・Wordの図表やExcel,PPTは、MSPゴシック+Arial
としたのだが、いくつか「あるある」的プチ摩擦があって、

  • 新人あるある的に、英数フォントもMSP明朝で作ってくる
  • 保守主義なのか、MSP明朝ではなくMS明朝で作ってくる
  • 「Times New Romanはちょっと・・・」と、Centuryを投下してくる
  • トレンド追随的に?英数だけCalibriで切り込んでくる
  • 外角高めから、日本語も英数もメイリオで攻め込んでくる
等、色々な事案が生じ、案件序盤は少なくない割合、体裁を含む基本的なローカルルールの共有に時間を使った気がしている。

Issues Behind that

こういったトラブルが起きるのは、認識共有の不十分という運用レベルの問題も否定はできない:
  • そもそもフォントへの配慮が浅い:MSフォント(の英数フォント)が汚いという感覚が共有されていないところがある
  • 保守主義:日米問わず、多くの企業は結局のところ「その国のOfficeでのデフォルトフォント」を使っている。そのため、昔の米系企業はArial、最近の米系企業はCalibri、日本企業はMS明朝+Centuryあたりが、単にデフォルトであるというだけにもかかわらず「伝統的な、あるべきフォント」として崇められている傾向がある(実は自分も、会社の公式文書では、「全部MS明朝」という屈辱的なフォントに屈していたりするのだけど)
  • 共同作業への不慣れ:これは国というよりも企業や働き方によるところが大きいと思うが、一案件一担当者的な働き方が基本形である企業の人が集団で作る資料は、体裁がガチャガチャしがちなところがある
だけど、どちらかというと、以下に述べるようなOfficeの技術上の問題も大きい気がしている:
  • 英数フォントの分離可否:WordおよびPPTでは和文フォントと英数フォントを使い分けできるが、Excelではできない(ので、都度全セル選択→フォントをArialにする、という作業が伴う気がするのだが、これ他にいい手ありますかね?)この点においては、和文も英数も同じフォントとなるMSフォントあるいはメイリオ(またはMeiryo UI)に分があると言える
  • カーニング:フォントの美しさをスタンドアロンに論じるならばTimes New Romanは良いのだが、日本語との相性が良くなく、妙に近接してしまうところがある。メイリオのようにポッカーンと離れているのもバカみたいで好きではないのだが、確かにTimes New Romanが完璧なフォントでないことは認めなければならない
  • ちなみに、少し離れるが、最近買ったSurfaceのせいなのか、それともOffice2016の仕様なのか、MSPゴシックがやたら汚く見え、最近は自分も不承不承メイリオへの傾倒を強めてしまっている。

Bottom Line?

つらつらと書いてみたが、あまり絶対的な「あるべきイメージ」はないような気がしており、今後も誰と働くかによって自分自身使用フォントは変わっていくのかなと思っている。とはいえ、フォントから自分たちのチームワークへの配慮の濃淡が透けて見えてしまうところはあると思うので、以下あたりは気を付けていきたい
  • Uniformity:結局フォントはなんでもいいけど、少なくともひとつの書類の中では統一したい。Aさんが作ったスライドでは明朝体、Bさんが作ったスライドではメイリオというのは避けたい。ちなみに結局本案件では、序盤に体裁その他についてローカルルールを定めたのだが、それ自体が関係者のコミュニケーションコストを下げる効果があり全体のパフォーマンスにも寄与した気がしている
  • でも、決め過ぎない:たとえばフォントならまだしも、数多ある論点について序盤に変に「固めすぎる」と逆効果というかメンバーの創意工夫を阻害する効果も否定できない。結局すべてはバランスという話になってしまうのだが、この点についても、メリデメ両方を理解した上で適切なバランスをリーダーが判断することが大事。
    ただ、念のためだが、日本企業の多くは、集団行動にルールを設けることに消極的すぎる(ルールを決めない代わりに、空気に従うことを要請しがち。ルールは権力者の横暴を止めるためのものであり、むしろ現場の人間の自由度を高めるためのものという発想が希薄な気が・・)であり、どちらかというときちんとルールを決めた方が良いと感じている。
  • デフォルトフォントの相対化:たとえば自分の場合における社内公式文書等、MSフォントが実質的にルールとなっている場合においては、そのルールに従うことが望ましい。そこでメイリオを使うのは逆にGoing my way過ぎと思う。しかし、デフォルトフォントは決して不可侵の神聖ローマ帝国ではなく、あくまでMicrosoft社がデフォルト設定したフォント、数あるフォントの一つに過ぎないことには自覚的でありたい。ローソンのコーヒーしか知らずに「ローソンのコーヒーは美味しい」というのと、数あるコーヒーを飲み比べた末の判断として「ローソンのコーヒーは美味しい」というのでは意味が違ってくる。





2014-11-08

仕事のバトンタッチ

この週末に久しぶりに大野耐一の『トヨタ生産方式』を読んだ。

本書はいつ読んでも、自分に多くのヒントを与えてくれて驚くが、今回はその一つ、バトンタッチという概念について紹介をしたい。

仕事は複数人でやる以上、そりゃあバトンタッチ的な状況は当然にあるだろう。

だが、本書で説かれるバトンタッチはとてもよく練られていて、学ぶ価値がある。

では、そのような、トヨタ式バトンタッチとはどのようなものだろうか。