この週末に久しぶりに大野耐一の『トヨタ生産方式』を読んだ。
本書はいつ読んでも、自分に多くのヒントを与えてくれて驚くが、今回はその一つ、バトンタッチという概念について紹介をしたい。
仕事は複数人でやる以上、そりゃあバトンタッチ的な状況は当然にあるだろう。
だが、本書で説かれるバトンタッチはとてもよく練られていて、学ぶ価値がある。
では、そのような、トヨタ式バトンタッチとはどのようなものだろうか。
本書はいつ読んでも、自分に多くのヒントを与えてくれて驚くが、今回はその一つ、バトンタッチという概念について紹介をしたい。
仕事は複数人でやる以上、そりゃあバトンタッチ的な状況は当然にあるだろう。
だが、本書で説かれるバトンタッチはとてもよく練られていて、学ぶ価値がある。
では、そのような、トヨタ式バトンタッチとはどのようなものだろうか。
仕事のバトンタッチとは
本書におけるバトンタッチは、著者の大野耐一氏が生産現場に求める考え方の一つで、
「仕事の伝達は、リレーのバトン交換の如く行いましょう」
というもの。
これをさらに2つに分解すると、
①次の人に仕事をパスするときには、リレーのバトンタッチのように、相手と息をあわせてパスする
②仕事をパスし終わったら、速やかに持ち場に戻る
の2つに分けられる。
曰く、多品種少量生産においては、このようなバトンタッチが非常に重要な概念になるとのことだ。
次に、この2点について、多少深掘りしてみたい。
①相手と息をあわせる
リレーではバトン交換ゾーンが決まっている(10メートルくらいか)。
そのゾーンの範囲内にて、走者Aは走者Bにバトンを渡す。
そのバトン交換ゾーンのなかでは、走者AとBは互いに息をあわせないと円滑なバトン交換はできない。
どちらかが自分の都合だけ考えてバトンを扱っていては、円滑なバトン交換はできず、結果的にリレーのパフォーマンスは悪化する。
多くの仕事も、リレーと似ている。
多くのプロセスがあり、複数の担当者が存在する。
多くのプロセスがあり、複数の担当者が存在する。
そのようななか、担当者Aと担当者Bの間での仕事のパスが円滑に行かなければ、全体の所要時間やコストはどんどん膨れ上がっていく。
例えば、同じ情報伝達にも、それを行うのに時間がかかってしまうと、アウトプットあたりの人件費は膨れ上がってしまうだろう。
あるいは、仕事の伝達が不十分なことで、ストレスや喧嘩等が生じ、生産性が低下するかもしれない。
例えば、同じ情報伝達にも、それを行うのに時間がかかってしまうと、アウトプットあたりの人件費は膨れ上がってしまうだろう。
あるいは、仕事の伝達が不十分なことで、ストレスや喧嘩等が生じ、生産性が低下するかもしれない。
それゆえ、仕事を次の人にパスするときには、リレーのバトンタッチの如く、相手と息を合わせることが非常に重要になる。
具体的には:
具体的には:
- アウトプットをメールしてオシマイとせず、簡単な補足説明を行う
- アウトプットを、次の人が理解しやすい書き方に調整する
(例:自部門の専門用語のままにせず平易な日本語にする等) - 受け手の立場にたち、「これを貰ったらどの辺りが引っ掛かるか」を推測して、その穴を自ら潰す
- 次の人がバトン交換ゾーンを出て走り出すまでは「ここから先は次の人の仕事だから、俺シラネ」という態度を取らない
仕事のパスがいい加減だと、仮にアウトプットがどれだけ素晴らしかったとしても、仕事全体がイマイチに見えてしまう。
最後のバトンパスをおろそかにしただけで、そこまでの努力が水の泡になってしまうのだ。
「自分の領域」と「次の人の領域」の間には、両者が息を合わせるべき「バトン交換ゾーン」である。
これを忘れて、「自分の領域で速く走る」ことばかりに気を使っている人は、得てして、
「俺はこんなに頑張っているのに、なぜ評価されないのだ」ということになりがち。
最後のバトンパスをおろそかにしただけで、そこまでの努力が水の泡になってしまうのだ。
「自分の領域」と「次の人の領域」の間には、両者が息を合わせるべき「バトン交換ゾーン」である。
これを忘れて、「自分の領域で速く走る」ことばかりに気を使っている人は、得てして、
「俺はこんなに頑張っているのに、なぜ評価されないのだ」ということになりがち。
②仕事をパスし終わったら、速やかに持ち場に戻る
1つ目の「息を合わせる」は、とはいっても、まあわかりやすいと思う。
おそらく、トヨタ式バトンタッチの要諦は、この②ではないかと思う。
バトンパス「だけ」うまい人(調整屋)
先ほど、「バトンパスが下手だと仕事全体もお粗末に見えてしまう」と書いた。
これは逆も真なりで、バトンパスが上手だと、仕事が「そこそこ」でも、仕事全体がなんとなく立派に見えてしまう。
そのため、たまに、「パスだけ芸人」「調整屋」みたいな人が出現しがちだ。
すなわち、情報や仕事をパスするのはやたら上手い一方で、肝心の自分の仕事はイマイチという人。
リレーの例で言うと、足の遅さ(仕事における力不足)をバトンパスの上手さでごまかすタイプの人。
バトンパス「だけ」の人の問題点
このような「調整屋」は、得てして、仕事の腕を磨く代わりに、バトンパスばっかり情熱を注ぎがち。
たとえば
「●●さんはメールより電話を好む」
とか
「▲▲部長にはまず結論から述べる方が有効」
等。
たとえば
「●●さんはメールより電話を好む」
とか
「▲▲部長にはまず結論から述べる方が有効」
等。
そういったバトンパス、すなわちコミュニケーション方法の工夫も勿論大事ではある。
しかし、それらはあくまで副次的なものであり、メインは仕事それ自体だ。
バトンパス上手になることは重要だが、足の遅さをバトンパスの上手さでごまかすにも限界がある。
しかし、それらはあくまで副次的なものであり、メインは仕事それ自体だ。
バトンパス上手になることは重要だが、足の遅さをバトンパスの上手さでごまかすにも限界がある。
バトンパスを意識することも大事だが、自分のメインフィールドは何で、そこでより良い仕事をするためにはどうすればよいかについてこそ、まずは考える必要がある。
サマリー
以下のような問いに自問自答することで、「いいバトンパス」という発想が整理されるように思う
- バトンパスはうまくできているか?
- そもそも、バトンパスという発想を持てているか?
- バトンパスの上手さで仕事の稚拙さをごまかそうとしてしまってはいないか?
- アウトプットを疎かにし、情報を右から左に流すだけになってしまっていないか?付加価値発揮してるか?