2018-08-03

合理性再考(1)・・・「実務的」再考

仕事の現場で「合理的」と言う言葉をよく聞く。

しかし、たいていの場合、「合理的って言うけど、それってホントに合理的なの?」という疑問を抱く。

そこで、本稿から3回に分けて「合理的って何?」という点について書き散らしてみたい。

1回目ではまず、「合理的」の関連ワードたる「実務的」という言葉の意味合いや使い方について。




「実務的」とは


実務的(Practical)は、一般的には、理論的(Theoretical)の対義語として用いられる。

すなわち、「理論的にはXXXかもしれないが、実務的にはYYYである」といった使い方が典型的なものとなる。

例えば、「理論的には完全競争が望ましいが、実務的にはそれでは利益がゼロで困る」とか。

「実務的」「理論的」の境界線について、を自分なりに言い換えると、以下のような感じ。

  • 理論レベルでは、あらゆる可能性について漏れなく十分に考えねばならない。
      
  • 他方で、「実務的」というマジックワードのもとでは、議論に一定のスコープを設定することができる。言い換えると、議論を絞り込むことができる。
      
  • 「実務的」というときには、その絞り込まれたスコープの範囲内においては「合理的」かどうかが論点となる




例示すると
  • 理論的には、クルマを選ぶには、十分な時間をかけて、あらゆるメーカー・車種・スペックをリストアップし、一つ一つ吟味を行い、最終的に1台に絞り込む必要がある
      
  • 他方で、実務的世界においては、各種現実的制約(そんなに時間もない・全ての選択肢は見られない・予算にも限りがある等)がある
      
  • それゆえ、実務的には、「理論的に、包括的網羅的に吟味する」というよりは「予算の範囲内で、いくつかのプレパッケージングされた選択肢のなかから検討して決める」という判断となる場合がある

といった感じ。すなわち、理論と実務の間にあるものは、「絞り込み」であると言える。


何を絞り込むのか


前節で、実務的=考えるべき要素の絞り込みであると述べた。

では、絞り込むというが、何をどのように絞るこむのだろうか?

思うに、「実務的」という場合に、理論的世界との比較において絞り込む要素は、以下のようなものではないかと思う:


  • 検討時間・・・理論的世界では、結論を出すためには十分な時間をかける必要があるが、実務的世界では結論は「来週まで」等、たいてい検討時間が限られる。
      
  • 選択肢・・・実務的世界では、選択肢を全ての中から考えるというよりは、現実的に採択しうる2,3の選択肢のみを検討することが多い。
    たとえば「1から100までの中から数を決める」みたいなときに、理論的世界では100個の選択肢を検討するが、実務的世界では、えてして「まず1,50,100の3つの選択肢に絞り、その3つについてメリデメを検討する」といった感じになりがち。
  • 資源・・・時間もある意味ここに含まれるかもしれないが、資金や原材料といった資源・資本・元手も、実務的世界においては制限があることが普通。
    それゆえ、「そういった資源制約があるなかで、どう動くか」という問いになるので、資源制約がない場合よりは検討が速くなる。
        
  • 情報量・・・検討に要するすべての情報が入手できていることは稀で、実務的世界においては「限られた情報の中で、どう判断するか」という問いになるが、言い換えると、実務的世界においては全ての情報を考慮しなくて良いのでパッパッパと判断できる。

まとめると「リソース」と「情報」といったところだろうか。

絞り込む=ある程度の不正確性を許容するということ


絞り込みが伴う分だけ当然デメリットが生じる。

他方で、「実務」という言葉には、暗黙に「現実は難しいので、絞り込まれたなかで決めて良い」という許容のニュアンスが伴う。

そのため、「実務的」問い言葉を使うことで、「詰め切れてないけど、やれることはやったから、ここでエイヤーで判断しちゃう」という大胆な判断ができるようになる。


理論的 vs 実務的 vs 実務的ですらない


上記の「限られた予算・選択肢の中で、検討の上クルマを選ぶ」という判断は、「理論的ではないが、実務的」というものではないかと思う。

他方で、
  • 道を歩いていたら、道路沿いの中古屋に売っていた車に一目ぼれして、買ってしまった
という判断は、「理論的でもないし、実務的でもない」というものではないかと考える。


すなわち、
  1. 現実度外視ですべてを考えるのが、理論的判断
      
  2. 現実を考慮して、絞り込まれた時間・選択肢になるが、その中では最大限合理的に考えるのが、実務的判断
      
  3. 現実にあって、そもそも最大限合理的に考えることなく決める判断は、実務的ですらない
といった3分類ができるのではないかと思う。


「実務的」論のほとんどは、実は分類3


悩ましいのはこの点にある。

日常で「実務的」という言葉をエクスキューズ的に使う人の多くは分類3しかできていないことが多い。

すなわち、「実務的」という言葉が含意する「絞りこんで良い」という側面だけを切り出して、

「絞った範囲内では最大限合理的に考える」という大事なところを失念していることが多い。

そのため「実務的には」という枕詞のついた暴論が日常に跋扈することになってしまうのだ。

そのため自分は、「実務的には」という言葉を使う人の多くに対して、
  • それって、実務的ですらなく、単なるテキトーじゃないかしら?
      
  • ちゃんと考えないことの言い訳に「実務的」というマジックワードを使っているだけでは?
と思ってしまうことが多い。


あなたの実務的と私の実務的は違う


「理論的」という言葉は、ある種「考えられるもの全部」という意味で絶対的なコンセプトと解釈することもできるる。

他方で、「実務的」という言葉を使う場合、多かれ少なかれ何かを絞り込むことになる。

そのため、暗黙に・必然的に、「どの程度絞るか」「何を絞るか」と言う点について、程度問題・相対性を伴う。

例えば、異なる人にとって、同じ「重過失」という概念が実務的かどうかという点について考えてみる。

法律家の実務においては、「過失」と「重過失」の違いをめぐり長い時間にわたって交渉を続けることは時に実務的であろうが、

一般消費者にとっては、たとえば「約款を一応もらって保険等に加入する」みたいなときに「過失」と「重過失」を丁寧に区別して見るというのは実務的な対応ではないと思われる。

すなわち、
  • 「実務的」という言葉は、理論的世界では全てを考えるべきところ、一定の絞り込みを許容する便利な言葉。
      
  • しかしその一方で「実務的」は、相対的な概念。どの程度絞り込むかはケースバイケース。
      
  • 自分が心地よく感じる「実務的」の世界観(例:「過失」と「重過失」を厳密に区分けする世界)を、ほかの人に押し付けてはいけない。
      
  • あるいは、対話相手の考える「実務的」とはどのようなものか、理解しないと、話がかみ合わないリスクがある

といった点が「実務的」という言葉を使うときの留意点なのではないかと思う。



実務的世界では「合理的」とか「客観的」という言葉は使えない



以上の通り、実務的世界においては、情報やリソースの絞り込みを許容することと、その程度論が生じることから必然的に相対的概念になることがポイントなのではないかと思う。

いま、我々が実務家だとすると、以下のようなポイントは理解しておく必要があるのではないだろうか:

  • 実務的世界に身を置くということは、何かしら情報の絞り込むを行うということ。
      
  • 情報を絞り込む以上、理論的に考える(=考えられる選択肢を全て考える)ことは、多かれ少なかれギブアップしていること。
     
  • すなわち暗黙に、多かれ少なかれ合理的ではない世界で議論することが、そもそもの前提になっている。
      
  • である以上、自分の意見を「合理的」「客観的」等と称し、相手の意見を「非合理的」「感情的」等と批判するのは、「そもそも前提が合理的でない」という点への理解が不足した態度。
      
  • すなわち、実務的世界=限定合理性の世界、かつ、相対論の世界なのだから、自分だけ都合よく絶対的な意味で「合理的」「客観的」という言葉を使うのはアンフェア

まとめ


  • 「実務的」とは「理論的」の対義語。
      
  • 絞り込みが許容される・・・実務的世界では、理論的世界と違って、検討時間や情報量等を絞り込むことが許容される(絞り込まれた舞台でいかに最大限合理的にふるまうかが実務)。
      
  • 絞り込まれいればなんでも実務的というわけではない・・・情報量や時間が絞り込まれた世界において最大限頭を使って初めて「実務的」となる。絞った中でテキトーな判断をすることは、実務的とすら言えない。

    「実務」というマジックワードで、いい加減な判断・言動をごまかすのは避けたい。
      
  • 「実務的」とは相対的な言葉・・・自分にとっての「実務的」と相手にとっての「実務的」が食い違うことを考慮すべし
      
  • 実務的世界において「合理的」とか言うのはNG・・・これが本ポストの結論。実務と言う時点で、定義上限定合理的・相対的世界を想定するのだから、自分を絶対視して「俺は合理的」とか「あいつは非合理的」というのは、知的に不誠実/アンフェア。

Further Reading


ギルボア「合理的選択」・・・「合理的とは」という問いについて、やや独自ではあるが、自分の知る限り最大限誠実・理論的に検討している書籍で、「実務レベルの意思決定にかかわる悩みを、理論レベルで丁寧に考えたい」みたいなときに非常に有益。