2018-08-04

合理性再考(2)・・・「感情的」再考


「いや、あなたの言う合理的って、そんなに合理的でもないですよ」シリーズの第二弾。

今回は、相手との会話がうまくいかなかったときに「俺は論理的に話そうと試みたのに、あいつは感情的だったので会話にならなかった」というときの「感情的」について。



感情的な会話とは

人はよく、「相手が合理的ではなかった」と言いたいときに、相手のことを「感情的」と批判することがある。自分だってよく言ってしまう。

たとえば、以下のようなことをされた場合、人は「相手が感情的だった」と思うだろう:
  • イライラされた
      
  • (冷静に理屈を並べるのではなく)激情にかられる形で罵詈雑言を言われた
      
  • しかめ面をされた
等。

「冷静にロジックの積み重ねで議論しましょう」というのが暗黙の前提である対話において、上記のような態度・表現・表情等をされてしまうと、それは確かに「あいつは感情的になった」と思う。実際、「イライラ」とか「激情」とかは、たしかに感情表現である。

こういった態度をやられてしまったときに、こちら側が不快に思ったりイライラすることは、ある程度自然なことだとは思う。


感情的=非合理的?


相手に感情的な対応をされてしまうのは確かにイヤだ。不快に思ったり、恐怖を感じてしまったりする。

しかし、本ポストでは、
  • でも、だからといって、相手の感情的ふるまいは、非合理的であるとも限らないのではないか
      
  • 感情的であることと、非合理的であることは違う
という考えを紹介したい。

戦術としての感情的ふるまい

たとえばマンガの世界でよくある闇金のような世界。取り立ての人たちは基本的には非常にクールで、「いかに1円でも多く回収するか」をプライオリティとし、感情にかられて回収額を減らすようなことはしない。

その一方で、漫画の中の取り立て係の人たちは、往々にして「怒鳴ったり、キレたりする作戦」を使う。心から怒っているというよりも、「そのようにふるまい、恐怖感を与える方が、回収にあたり効率的・合理的」という判断のもと、債権者に対して感情的なふるまいを行うことがある。

このように、交渉上の作戦として
  • 感情的にふるまうことで
      
  • 「こいつは合理的会話が通じない、話せばわかる相手ではない」という印象を与えて
      
  • 相手の譲歩を誘う
という「戦術的感情術」がありうる。この例は、「感情的だからといって、相手が非合理的とは限らない」という話の一例だ。

ここからいえることは
  • 相手が感情的にふるまったからといって、相手が我を忘れているとは限らない
      
  • 相手の感情的ふるまいは、作戦の可能性がある
といったあたり。


激情的な感情であっても、一歩引いてみると合理的なことが

合理的選択」のなかでギルボアは興味深い事例を紹介している。ブログ用に大胆にアレンジして書くが、以下のような事例を考えてみる。

  • 親熊、子熊、トラがいる場面を考える。
      
  • トラはおなかがすいており、森の中で親熊とはぐれた子熊を見つけたので、子熊を食べたい欲求にかられている。
      
  • 親熊は、子熊が食べられてしまったときに、以下2つの選択肢をもつ。

    (選択肢①) 復讐し、トラを殺す。ただし、トラも反撃するので、親熊は子熊を失っただけではなく自らもダメージを受ける。

    (選択肢②) あきらめてトラを放置する。このとき、泣き寝入りにはなるが、トラと戦うことでのダメージは生じない。
このような事例において、さらに2つのシナリオを考えてみる。
<シナリオA・・・感情的にふるまわないケース>
  • 親熊は子熊を失ったことについて、内心悲しいかもしれないが、トラを襲うことで自らが被るであろうダメージを計算する。
      
  • その結果、親熊は「すでに子熊は死んでしまっており、復讐してもしなくても子熊は帰ってこない」と考えてトラを放置する
<シナリオB・・・感情的にふるまうケース>
  • 親熊は子熊を失ったことについて激情にかられ、反撃により被るダメージによらず、とにかくトラに襲い掛かる。
      
  • その結果、親熊もケガはするが、トラは親熊に殺される

このような2つのシナリオにおいて、それぞれ、トラが取りうる最適行動について考えてみると、

  • シナリオAにおいては、「親熊は感情的ではないので、自分が子熊を食べてしまっても、その後の反撃を気にして、自分のことを襲ってはこないのではないか」とトラは考える。

    すなわち、親熊が感情的ではないと思われるときには、トラは子熊を食べるという選択肢を取る可能性が高い。
      
  • シナリオBにおいては、「親熊は感情的だ。それゆえ、自分が子熊を食べてしまうと、反撃によるケガを厭わず、きっと自分を殺しに来る」とトラは考える。

    その結果、トラは、殺されるのがいやなので子熊に襲い掛かることをやめてしまうだろう。すなわち、親熊が感情的にふるまうと予想されるときには、トラは自らの行動を「子熊を襲う」から「子熊を襲わない」に切り替える。
すなわち、「自分のケガを厭わずトラを殺す」という一見すると感情的、非合理的に見える親熊の態度は、トラが子熊を襲うことを未然に防ぐ効果をもっている。すなわち、感情がむしろ合理的であるという事例となる。

ここでの親熊の態度は、学習や経験により「こういうときには感情的にふるまうようにしよう」と後天的に身に着けたものではなく、生まれつきビルトインされた心理構造のようなものである。
言い換えると、「ついうっかり発動してしまう感情」は、「冷静でない」という意味では感情的だが、まわりまわって考えると合理的である(ことが多い。)冷静にふるまった方がよい結果が出るとは限らず、感情の赴くまま怒ったりわめいたりする方が結果が良くなることがあるという教訓は、現実においてはかなり有用なのではないかと思っている。ギルボアはこれを「感情の進化論的合理性」と呼んでいる。

まとめ


  • 対話において、相手が感情的なふるまいをすることは多い。
      
  • 相手の感情的ふるまいを不快に感じたり、恐怖を感じることは、人間の自然の反応であり、仕方ない。
      
  • しかし、「感情的=非合理的」とレッテルを張り付けたり、「あいつは感情的だからダメだ」という批判は、妥当でない可能性がある。
      ①相手がわざと感情的にふるまっている可能性がある(戦術的感情)
      ②相手は故意ではなく感情的にふるまうが、それも回りまわってみると合理的なことがある(感情の進化論的合理性)
      
  • 感情的にふるまう相手に不快感を抱くのは仕方ない。しかし、あなたがプロフェッショナルであるなら、「感情的だからダメだ」とこきおろすのではなく、相手が感情的ふるまいをする背景やその裏にある一種の合理性を読み解き、それこそ冷静に、「相手が感情的にふるまうなかで、パフォーマンスを最大化するためにはどうすればよいか」と効用最大化問題の制約条件を機動的に修正するのが良い。

    プロのネゴシエーターは、相手が非合理でも、感情的でも、なんでも、その裏にある事情や合理性を読み解きつつ、自らに課された制約条件式をダイナミックに修正しつつ、常に新しいパフォーマンス最大化問題を解き続けるような人だと思う。怒りにまかせて最大化問題を解くのをやめてしまう人と、解き続ける人では、積み重ねるとけっこうな差が生まれる。



Further Reading


ギルボア「合理的選択」・・・「感情の進化論的説明」という章で、かなり丁寧に感情について議論してくれている。