2018-08-27

何の話をしているのか、明確に!(状況モデルの構築)

前回のポストに引き続き、「教養としての認知科学」を読んで得た気付きについて。

会話していて、
  • 説明していても、相手に自分の説明を理解してもらうのに苦労する
  • 外国人との会話で、単語や文法はある程度身についているはずなのに、それでもうまく理解できない  
といった悩みを感じることはないだろうか。

これは認知科学における「理解」の仕方に関する問題であり、そのあたりについて書き散らしてみたい。


状況モデル


例えば、以下の文をまず読んでみてほしい。

チームは頑張ったものの、力及ばず、勝利することはできなかった。

この文は、これはこれで当然理解できるだろう。

ところで、以下の情報が追加されたときに、あなたの「理解できた感じ」はどの程度変化するだろうか。

この話は、イリノイ州のとある大学のアメリカンフットボールクラブの、州大会決勝の話である。

どうだろうか。おそらくは、理解度は高まったのではないだろうか。

一般に、文を「理解する」というときには、
  • 「チーム」とか「勝利」といった単語や文法からこの文それ自体を理解するテキストベースの理解(レベル1の理解)

    と、
      
  • 「イリノイ州のアメフト部の話」等の文脈・状況も含めて理解する、状況・文脈レベルの理解(レベル2の理解)
      
の2つに分解することができる。


言い換えると、
  • 単語や文法がわかるだけでは十分な理解をすることは難しく、
      
  • 「そもそも、何の話をしているのか」という状況・文脈まで理解できて初めてちゃんと理解をすることができる
ということが言える。この、テキストレベル(レベル1)だけでは不十分であり、状況認識レベルでの理解(レベル2)まであわせることで十分な理解が実現するという発想は、認知科学においては状況モデルとよばれる。



状況・文脈の重要性



状況モデルの発想は、当たり前のようではあるが、結構重要だ。

たとえば、留学生が多く経験するシチュエーション。

教室での専門用語が飛び交うディスカッションは理解できるが、放課後にクラスメートとバーで行う雑談はついていけないという経験はないだろうか。

これは、雑談に自分の知らないスラングが混じりこんでいるからという側面もあるが、
(レベル1の要素)

もう一つの側面として、ネイティブ学生が共有している状況・文脈・経緯みたいな「レベル2の要素」の理解が覚束ないからという側面が強い。

留学生以外以外の皆は、たとえば「90年代の大リーグで強かったチームがどこか」とか、「2000年のコカ・コーラのCMがどうであったか」とか、「有名なTVキャスターの多様するジョークがどうであるか」等、様々な文脈を共有している。

それらを前提として、彼らは状況・経緯説明を省略した雑談を展開する。

そうなると、状況や経緯を共有できていない自分だけ、ポツンと取り残されてしまうことになる。

すなわち、状況認識レベルでの理解に苦労する結果、単語や文法がわかっても全く話を理解できないという現象が起こる。

他方で、授業においては、たとえばマーケティングの授業であれば、当然にマーケティングの話をしていることは明らか。

そのため状況認識レベルでの理解に苦労することは少なく、その結果、ちょっとやそっとの難しい専門用語が登場してもすっと理解できてしまう

バーでの雑談はわからないのに、授業の専門用語は理解できるのは何故か?

おおざっぱにまとめると、レベル2の情報がわからないと、レベル1の情報がわかるだけでは十分な理解はできないということだ。


実務へのインプリケーション



この通り、理解のためには、テキストの情報だけではなく、状況・文脈の理解も必要とする(レベル1では足らず、レベル2の理解が必要)という状況モデルの発想を理解できていると、聞くときの理解力や、話すときの説得力を高めることができる。

すなわち、


  • 話を聞くときには、単語の詳細に集中するよりも、むしろ、「これはいったい何の話なのか」という状況に集中した方が良い。
      
  • 細かい単語やロジックに注意を向けるのは、状況・経緯・文脈を理解できてからでも遅くない(レベル2の理解ができてから初めてレベル1に取り掛かる)。
      
  • 話をするときには、ついつい内容の詳細にこだわってしまいたくなるが、まずは「これが何の話なのか」「この話をめぐる経緯は何か」といった、状況レベルの情報、レベル2の情報を明示することが有益だ。
     
    これを怠ったままレベル1の情報をいくら詳細に語っても、聞き手からすると「なんの話かわからないのに、細かいことを冗長に話しやがって」となり逆効果となる。すなわち、
     
    ①日本語では省略されがちな主語をきちんと述べる

    ②冒頭に「~については」「~の件に関しては」等、話題・状況等を特定・定義する表現を、ややくどいくらい述べる

    のが有効だろう。単語や詳細レベルの詰めよりも、「なんの話をしているのか」を示することで、聞き手の頭の中での状況モデル構築を手伝ってあげることが、誤解最小化への近道ということ。


バイリンガル以上の人の話が妙に構造的あるいはわかりやすいのは、おそらくその多言語コミュニケーションにおいて状況認識レベルでの苦労を肌感覚で理解できているからではないだろうか。

※閑話休題
ピンチョンや蓮実重彦の文章が難解なのも、我々読者のボキャブラリーというレベル1の問題だけではなく、彼らの文章が構造的でなく状況モデル構築にあたり不親切であるというレベル2の問題があることによるのではないだろうか(ピンチョンは、自分なりの読書ノートみたいなものを作ると、レベル1の問題は改善しないがレベル2の問題が緩和するので、結果としてかなり理解できるようになった経験談がある。)