2018-08-26

一夜漬けはむしろ成績を下げる(短期記憶と長期記憶)


試験前の一夜漬け。人によってはよく経験しているかもしれない。

一般的には一夜漬けのデメリットとして指摘されるのは「徹夜するから疲労で集中力が低下する」という点だと思う。

だが、先日手に取ってパラパラと読んでみた教養としての認知科学というテキストを読んで、一夜漬けの本当の(あるいは、もう一つの)デメリットを理解するに至ったので、

「一夜漬けのデメリットはなにか?」と言う点について、「短期記憶と長期記憶」という観点で、少し備忘に残しておきたい。




短期記憶、あるいはワーキングメモリ


認知科学においては、記憶を短期記憶長期記憶とに分けることが多い。

アナロジーとしては、前者がメモリ、後者がハードディスクといったイメージになる。

実際、短期記憶はワーキングメモリと呼ばれることもある。

短期記憶については、以下の2点が重要な特徴として挙げられる。

いずれもメモリの性質に似ているので、連想しながら読むと理解しやすいかもしれない。



(1)短期記憶に収納できる情報量には限りがある

たとえば、「いちご、パリ、CAPM・・・」とランダムな言葉の羅列を100個くらい見せられて、「1分後に、覚えている限りそれを復唱せよ」と言われたとき。

おそらく、我々が回答できる言葉は10個あるかないか程度であろう。

このように、短期記憶が収納できる情報量はかなり限られている。

「覚えられる情報量はせいぜい7±2程度である」というミラーの法則のようなコンセプトが有名。

多少は、トレーニングしたら改善するかもしれない。

だがその場合も、せいぜいミラーの「7前後」が「9前後」になる程度であり、どちらかというと「短期記憶の情報保存量には限りがある」と限界を意識しておく方が有益であるように思われる。

※一つ希望がある話としては、情報をなんらかの方法論にもとづきバンドリングすることで、短期記憶に放り込める情報量を増やすことができる。 
たとえば、上記事例の100の言葉を、「果物」「地名」「ファイナンス用語」等カテゴリー分け(チャンキング)すると、短期記憶で覚えられる情報は「7つ前後の単語」から「7つ前後のチャンク」に変わり、単語換算にすると従来よりも多くの情報を記憶できるようになる。

(2) 短期記憶は、情報の短期保存と、情報処理に用いられる


短期記憶は、情報の短期保存だけではなく、情報の処理にも用いられる。

それゆえ、短期記憶に情報が多く保存されていればいるほど、情報処理に使うことができる能力は低下し、処理速度・処理能力が低下することになる。

これは、メモリの例えがわかりづらければ、机の例えがいいかもしれない。

机が書類でいっぱいになってしまうと、とてもではないが作業はできなくなってしまう。



仕事や勉強の観点からのインプリケーション:短期記憶はむしろカラッポにしておく


この短期記憶の性質を理解すると、一夜漬けの本当のデメリットが浮き彫りになってくる。すなわち・・・

  • 仕事やテストの本番で求められるものは、①知識量そのもの + ②情報処理能力 の2つ。
      
  • ①については、たとえば「鎌倉幕府ができたのはいつか」とか「水素の化学記号は何か」等、知識そのもの。その情報を頭に叩き込めているかどうかが重要であり、その保存先が短期記憶であろうと長期記憶であろうと、あまり関係はない。
      
  • ②については、たとえば「社長は朝が弱い」という情報と「社長向けプレゼンは朝いちばんに行われる」という情報を組み合わせることで「今回のプレゼンは慎重に臨む必要がある」と判断するような能力で、知識そのものというよりも、知識の組み合わせ・並び替え等と言う意味で、情報を「料理」する能力になる。
      
  • 小学校の漢字テストのような、①知識量に特化・偏重する例外的なタスクであれば、知識量だけが大事なので、体力がもつ範囲においては一夜漬けに一定の合理性が認められる。
      
  • 他方で、入試本番や仕事においては、①と②でいうと、②が求められるウェイトがきわめて高くなる。「昨日覚えた知識を吐き出せばOK」といった小学校の漢字テストのようなものは滅多になく、これまでに得た知識をどう情報処理できるかという情報処理能力コンテストになることが多い。
      
  • この「大事な入試や仕事は、えてして情報処理能力を問うものである」という観点に立つと、短期記憶を情報でいっぱいにしておくことは、情報処理能力を阻害することと等しく、自殺行為になってしまうと言える。
      
すなわち、一夜漬けのデメリットは、疲労により集中力を低下させるだけではない。

短期記憶が情報でいっぱいになってしまっている結果、情報処理能力を発揮する余地を低下させる点も、一夜漬けのデメリットだ。

頭を使うことが求められる勝負の前日は、早く寝るかどうかはさておき、短期記憶をリフレッシュするためにあえて何もしない方がむしろ良い

言い換えると「不安なのでちょっと教科書を読み返して・・・」はむしろ害悪であるということ。


試験や仕事を、情報処理ゲームではなく、記憶ゲームと勘違いしていないか


さて、そのようなデメリットがあるにもかかわらず、人はなぜそれでも一夜漬けするのだろうか?

自分は、多くの人が一夜漬けに走る理由は、デメリットを知らないからではなく、試験や仕事で問われるものをそもそも誤解しているからではないかと予想している。

自分の予想では、おそらく多くの人は、試験や仕事を、小学校の漢字テストと同列に、すなわち知識量コンテストだと誤解しているのではないだろうか。

それゆえ、一夜漬けのデメリットを多かれ少なかれ自覚した上でなお、一夜漬けに走る人が多いのではないかと予想する。

たとえば仕事においては、重要な意思決定をするときに、会社の偉い人が集まる場で議論をすることが多いだろう。

このようなとき、これを「参加者と討議し、彼らの問題意識にこたえる」という情報処理ゲームと捉えるか、「言いたい内容を漏れなくしゃべる、発表の場」という知識量コンテストと捉えるかによって、仕事の意味合いや、そこに至るまでの準備の仕方は大きく変わるだろう。

もちろん言いたい内容をきちんとプレゼンすることは大事なのだが、それを短期記憶に頼っていてはダメなのだと思う。

なんとかして長期記憶に叩き込むことではじめてその場で十分な情報処理能力を発揮することができるのだ。

すなわち、記憶力ではなく情報処理能力が求められる仕事や勉強においては、一夜漬けに逃げず、長期記憶への情報のインプットが本質的に重要なのだ。

そういわれると、「いやいや、長期記憶とか、簡単に言ってくれるじゃないか」という感想になってしまうとは思うが、これは各自がそれぞれのやり方で、歯を食いしばって頑張るべきことなのだと思う。自分の経験則なところを参考までに記載しておく:

  • 「脈絡や思考なく、適当に情報を叩き込む」すなわち「何度も重ね塗りしていれば、そのうち長期記憶に入る」というアプローチはきわめて非効率。よって、「単語を10回連続紙に書く」とかは避ける。
      
  • 都度考え抜いて、他の情報との関連付けつつ分類・統合・比較等を行い、情報のニューラルネットワークを作る。情報そのものを叩き込むというより、情報がぱっと浮かんでくるよう、知のインデックスに厚みをつけておく。
      
  • いっぱい間違える。間違えるときのヒヤリハットは、知のインデックスとして非常に強力。一度バナナの皮を踏んで転んだ人は、おそらくそれ以降はよほどのことがない限りは足元を注意して歩くようになるだろう。