2016-11-12

他人は変えられる?

前回の投稿で、「他人は変えられないので、自分のアクションにフォーカスするといいのでは」という趣旨のことを書いた。

他方で、影響力に関する本(→参考例リンク)やチームマネジメントに関する本(→参考例リンク)がたくさん氾濫していることからわかる通り、「人を変えるためにはどうすればいいか」というアプローチの分析もたくさん存在する。

これらを見ていると、「他人は変えられるのか、変えられないのか、どっちだよ!」と言いたくなる。その一見すると相反する状況をつなぐためには、

「人はうまくやればある程度変えることができる。ただ、難しいし、他人を変えるよりは自分が変わる方が楽なので、実務上、他人を変えられないと仮定して動いた方がよい結果が出やすい」

というバランスの取れた発想をもちつつ、「変えられない」という保守的な認識と「変えられる」という希望的認識を併せ持つことが重要かと思う。

そんな観点から、今回は「他人は変えられる」という発想を起点にいろいろ述べてみたい。


「情報を伝える」と「理解を得る」のあいだ

自分自身もそうなのだが、多くの人は、他人の話を聞いたときに

  • 「他のことに注意がいっていて、頭に入らない」
  • 「耳には入ったが、腹落ちしておらず、すぐ忘れる」
  • 「非常に感銘を受け、即座に頭に染み入る」
とか、入ってくる情報の「染みこみ具合」は時と場合によって結構差が出る。

ときには相手はあなたの話を傾聴してくれるかもしれないが、ときには相手はあなたの話を聞き流してしまうのだ。


マーケティングのコンセプトで、認知から購買に至るまでのステップ論とものがあるが、人に何かを話すときも

  • 「相手にそもそも届かない」
  • 「相手には届くが、表面にとどまり、腹落ちを得られない」
  • 「即座に納得を得られる」
等、どうしても受け止められ方はいろいろなパターンに分かれてしまう。

「発信した情報が、必ず相手に届くとは限らない」ということは比較的簡単に理解できる。

消費財メーカーが新商品を開発しても、然るべきマーケティングを行わないと消費者に気づいてすらもらえない。なので、企業はマーケティングを行うし、個人は「相手の前で直接話す」とか、「大声で話す」等、相手に情報を伝達するための工夫をこらす。

ただ、それでもなお、「相手に伝えたつもりでも、必ずしもうまく理解されているとは限らない」ということについてはよく理解する必要がある。

われわれはテレビCMの大半について「なんとなく目には入れているが、その商品について関心を抱くほどにしっかりと受け止めてはいない」という状態で終わるし、あなたの上司同僚友人は、あなたの説明や主張の大半を「ちゃんと聞きはするが、そこまで腹落ちせず、聞き流す」のがむしろ普通だ。

相手に「届いた」情報が、届いたにもかかわらず「入らない」のはいくつかの理由があろう。たとえば
・その情報が、相手にとって興味深くない
・相手が忙しく、情報受容余力に乏しい
・相手がその情報を「他人事」として受け止める
・その情報が相手の考えと相違しており、スムーズに受容されない
等。

かかる状況を踏まえ、我々が相手を変えたいのであれば、情報を伝えるだけでは足りず、きちんとその人の理解を得る必要がある。「いうことは言ったから、そのうち理解してくれるはず」は楽観が過ぎており、ただの博打である。「XXXはわかっていない」と居酒屋でくだを巻く人をめぐる問題は、筆者の主観だと、100%「情報伝達と理解獲得の違いを理解していない、その人の問題であり、XXXさんのせいではない」と思っている。XXXさんがその人の期待する対応をしてくれないのは、「理解したにもかかわらず対応が悪い」というよりは、「そもそも理解を得られていない」という可能性が高い。

理解獲得のためのアプローチ


相手の理解を得るためのアプローチは様々な研究がなされている。それらを手っ取り早く学べるのは上でも挙げた「影響力の武器」(→リンク)という書籍。古めかしいが、非常に有用。自分は留学中の教科書だったが、その後も愛読していた。

上記書籍のアプローチと重なるところも重ならないところもあるが、自分が個人的に実践的だと思うものをいくつか列挙してみる。

(1) 結果で示す

何かを提案するようなとき。

多くの人は、あなたの「こうすれば、もっと良くなると思います」という言葉を聞いても、その趣旨を100%正確には理解できない。また、よしんば理解できたとしても、イメージしかないので、どうしても腹落ちしてくれないだろう。

他方で、同じことを、「こういう風にやってみました。その結果、ご覧の通り、もっとよくなります」と結果で示すとどうだろうか。そうすると、その結果は得てして目で見えたり耳で聞こえたりなど「五感への訴求力」が高いし、最低一回は形になっており「トラックレコードが示す説得力」もあるので、相手は「なるほど、そういうことね」と理解しやすくなる。

理解を得る前に最低一回やってみないと理解を得られないので、卵と鶏的な問題がつきまとうものの、有効度は高い。

(2) 具体例をもって、帰納法的に話す

多くの人は得てして、相手に伝えるまでに、様々な思考や準備を進めてしまう。その結果、相手との会話までに思考の整理がが進みすぎて、会話時の主張が過度に抽象的・簡潔になってしまうことがある。

でも、相手は得てして、ひとつの物事を理解するにあたっては、どうしてもその周辺状況・経緯・相対感等、その物事「以外」「手前」の情報も必要とする傾向が高い。そういった周辺情報がないとしっくりと理解できないのだ。いきなり答えだけ言われても全然頭に入らない

そういった性質を踏まえると、以下のような対応が考えられる。

いきなり主張を抽象的に述べるのではなく、いくつかの具体例を示しつつ地ならしをして、その後徐々に提示した具体例を抽象化・一般化することで主張につなげるとよい。

そうすれば、同じメッセージでも相手によりスムーズに伝わりやすい。「物事を理解するためにはその周辺の理解も必要」というコンセプトと、「抽象論は即座に信じることはできないが、具体例は即座に受け入れることができる」というコンセプトがその背景にある。

(3) 質問にとどめ、相手が勝手に腹落ちするのを待つ


人は感情の生き物ゆえ、理詰めでアサーティブに主張されてしまうと、それがどれだけ正しい主張でも、それを受け入れることが難しくなってしまう。

「XXXしろ」と言われて、瞬時に心から納得の上その行動をしてくれる人は、きわめて少ないように思う。

そういった性質を踏まえると、質問の形で主張を相手に遠回しに伝えつつ、相手が「自分のこと」としてその主張について考えてくれて、結果的に変わることを待つというのが一つの手段として考えられる。

例えば、「その投資はこういったリスクがあるからやめるべき」と命令口調でいっても、相手は意固地になって、むしろその投資にこだわってしまうだろう。

他方、「その投資では、こういったリスクについてはどう考えますか?」と聞いてみるとどうだろうか。その場合、その人は、押し付けられることなく、自分の頭で当該リスクについて考えることになる。

そうすると、リスクについてこちらが考えてあげたうえで、その結論をいきなりドカンとぶつけられるときと比べ、相手が自分の頭で考えることになるので、時間はかかるが、その人の頭に「染み入る」可能性が高い。

「リスクがあるからやめなさい」と言ってしまっても、相手の心には届かない。むしろ、「あいつが命令してきたからやめる羽目になった」とか後で陰口いわれるのがオチだ。

他方で「そのリスクについてどう思いますか」と質問する形であれば、相手は自分の頭で考えることができるし、「リスクは問題ない」と自分の言葉で堂々と反論できない限り、そのリスクを取ることについて、普通は真剣に悩むことになるだろう。

でも、最後は、「他人は変えられない」と思っておいた方が楽

上で3つほど、「他人を変えるためのアプローチ」を述べてみた。

とはいえ、これらはいずれも、自然科学でいう水準の確実なものではなく、あくまで経験論・蓋然性レベルの話に過ぎない。

こういった工夫も大事ではあるが、あまりとらわれず、まずはいったん「他人に影響力を及ぼすことは難しい」という保守的な認識をスタート地点としつつ、「ダメ元」「アップサイド」「できたらラッキー」という発想で、期待しすぎずいろいろ工夫していくということなのかなと感じている。