2019-12-21

良いゼネラリストと悪いゼネラリスト

毎年恒例の、FTとマッキンゼーによるBusiness book of the yearを眺めていたら、『Range』という本が、ゼネラリストvsスペシャリストの議論を論じていたので、手に取ってみた。

(2020/4追記:邦訳版が出たのでそちらのリンクも掲載:『Range(日本語版)』)


本書で、「スペシャリストvsゼネラリスト」の対比として最初に出てくる事例は、タイガーウッズ対ロジャーフェデラーだ。

タイガーがスペシャリストというのは直感的にわかるだろうが、殆どの人は「いやいや、タイガーがスペシャリストなら、フェデラーだってスペシャリストだろ!」と感じるのではないか。

この話を理解するためには、ひとつの補助線が必要になる。

すなわち、本書で書かれる「ゼネラリスト」は、一般的な日本的意味合いの日本的ゼネラリストを超えた、真のゼネラリストという発想である。

その発想のもとでは、ゼネラリストは、スペシャリストのカウンター概念というより、アウフヘーベン概念と言った方が近いと思う。

それでは、真のゼネラリストとは何だろうか?以下、自分なりの整理を書き残してみたい。

なお、議論の全体について、以下書籍などを念頭に置いている。

人事と組織の経済学・実践編(Link)

組織の経済学(Link)



全体感:模式図



全体への
責任感


(左中間への
視座)
調整屋
(日本で一般的に言われる
ゼネラリスト)
G but not S
真のゼネラリスト
G & S
素人

Neither G nor S
庭先掃除の達人
(日本で一般的に言われる
スペシャリスト)
S but not G
いくつかの分野への専門性



本稿では、ゼネラリストとスペシャリストを、1軸上で相反するものとして捉えるのではなく、異なる2軸に位置付けて整理する
そのため、少しややこしいが、「ゼネラリストの反対はスペシャリスト」ではなく「ゼネラリストの反対は非ゼネラリストである」という整理で議論を進める。
文中の記法については、上図を参照されたい。



ゼネラリスト(G) vs 非ゼネラリスト(not G)・・・右中間フライを拾えるか



ゼネラリストと非ゼネラリストを分けるのは
(注:しつこいけど、「ゼネラリストvsスペシャリスト」でない点に注意)
  • 仕事の全体像を把握した上で、自らの職掌に閉じこもることなく、仕事全体に対する責任感を持てるかどうか
であると考えている。
言い換えると、自分が考えるゼネラリストの要諦は、
  • 「この右中間フライを取らないと負ける」という大事なときに、その右中間フライを捕るべく自発的に走れるかどうか
だと考えている。
そこで走るのがゼネラリストで、逃げる/走れないのが非ゼネラリストという発想。


スペシャリスト(S) vs 非スペシャリスト(not S)・・・専門性の有無


スペシャリストは
  • 何らかの分野について、高い専門性を持っている人
と定義する。
これは標準的な用法とほとんど変わらないように思うので詳細割愛。



良いゼネラリスト(GS) vs 悪いゼネラリスト(G, not S)・・・専門性が分かれ目

この議論に基づくと、良いゼネラリストとそうでないゼネラリストを分けるのは専門性の有無になる。
  • 自分のポジションをしっかり守ることができないと、そもそもレギュラー選手に選ばれない。その結果、たとえ意欲や責任感があっても、右中間のフライを拾うチャンスすら得られないだろう。
  • 右中間のフライを拾うためには相応の走力が必要。その能力がなければ、仮に責任感を持っていてもフライを捕球することができないだろう。


すなわち、悪いゼネラリストとは責任感は高くても、専門性が低い人ということになる。 悪いゼネラリストは、日本の古き良き企業に多い印象がある。
  • 古き良き日本企業では、「全社意識」「右中間への責任感」を重視しすぎるせいか、
    (単に、転職させないための策略かもしれないけど・・・)
    無秩序な、過度のローテーション人事で視野を広げることに過度に傾斜するところがあった。
  • そのような職歴で育った人は、確かに視野は広くなるし、右中間フライを拾う責任感を身に着ける人は多い
  • 他方で、過度にローテーションするため専門性を欠き、右中間フライに気付けるが、それを捕れないということになりがち。
  • あるいは、「有事の右中間フライは取るが、平時のバッティングはからっきし」というパターンもありがち。


そのような
  • 右中間フライを拾う責任感はあるが、その能力に欠く人
が自分の定義するところの悪いゼネラリストで、いわば「調整屋」といった表現になる。


どれだけ全体への配慮が厚くても、そもそもの走力やバッティング力がなければ、草野球レギュラーで終わってしまうだろう。

あるいは、リーダーにはなるものの、パッとした成果を上げられず、単にメンバーの活躍を見守るだけの人で終わってしまうだろう。

 「専門性を身に着ける」ことと「右中間フライを拾う責任感を担う」ことは決して水と油・ゼロイチな対立軸ではない点注意が必要だ。
  • 無秩序なローテーション人事は確かに専門性涵養を阻害するが、とはいえ全体感の理解や右中間への責任感は重要。
  • ここで逆の極端に振れて、専門性に舵を切りすぎると、次のセクションで述べるような「悪いスペシャリスト」を生んでしまいがち。
  • 自分の理解では、多くの日本の洗練された企業はこれに気付いていて、逆に振れることなく、従来型ローテ偏重人事をチューンアップし、専門性とのバランスを意識している。
  • しかし、一部の「イマドキの若者」が、ものごとをGとSの2軸で見ることができないなか、Sの1軸だけで見てしまい、アナクロ的に「日本企業では悪いゼネラリストになる!よって転職だ」となり、ジョブホッパーに陥っている印象。


良いスペシャリスト(GS) vs 悪いスペシャリスト(S, not G): 全体への責任感が分かれ目


このフレームワークによれば、良いスペシャリストと悪いスペシャリストを分けるのは、全体への責任感の有無だ。
  • どれだけ捕球スキルや走力に優れていたとしても、「これを取らないと負ける」というような右中間フライが来たときに「俺はライトだ、右中間は知らん」などと庭先掃除をするようでは、監督の信認は得られずプレー機会には恵まれない
  • また、「右中間のフライを拾う」という発想を持つためには、野球のルール全体とか、球場全体とか、チーム一人ひとりの状況といった全体感の把握が必要になる。全体感の把握ができていなければ、そもそも「右中間のスキマ」を認識することすらできないだろう。


悪いスペシャリストは、日本のオールドタイプの外資系サラリーマンに散見される。
  • 専門性の1軸だけを重視する結果、全体感への意識が欠落していたり、理解はしていても「It's not my job」と過度の割り切りをしている人が多い。
  • そのような環境で育った人は、特定分野への専門性は高いものの、組織や仕事の全体感を欠き庭先掃除に陥ってしまい、結局「これを落としたら負ける」という右中間フライをあっさり見逃すことがある。


そのような「右中間フライを拾う専門性はあるが、それを拾う責任感や、そもそも右中間への意識に欠く人」が自分の定義するところの悪いスペシャリストで、いわば「庭先掃除人」といった表現になる。 

「俺は●●の専門性については社内でも有数なのに、全然厚遇されていない」と言う人は、得てして、1つか2つの専門性に振り切った反面全体感への意識や責任を持てていないことが多い。

 ホームランが打てても、足が速くても、右中間フライが来たときに走れないようではトッププレーヤーにはなれないだろう。



ゼネラリスト=スペシャリスト議論が不毛になるのはなぜか?


いまの日本におけるゼネラリスト=スペシャリスト議論が不毛なのは、以下のような理由によるものと考えられる。
  1. 議論が2軸ではなく、1軸で誤解されている
    →「ゼネラリストの対義語は、スペシャリスト」という雑な議論がまかり通っている。
    その結果、スペシャリストがSなので、ゼネラリストは「not S」すなわち単なる素人と誤解されたまま議論されている。
      
  2. 「ゼネラリストと非ゼネラリストを分けるもの」の議論があまりなされていない
    →議論が1軸になってしまっている最大の理由は、Gとnot Gを分けるものが何かについて議論が進んでいないからであろう。
     
  3. オッサンから若手まで多くの人が、アナクロ的に「昔の日本企業」とか「昔の外資系企業」のイメージで議論してしまっている
Gとnot Gの線引きについて考えないと、S or not Sという1軸で過度に単純化された議論をしてしまいがち。 

1軸すなわちS or not Sしか見えないと、どうしても庭先掃除人に陥りがち。

どれだけ専門性が高くても、右中間フライを拾わない限りは偉大なプレーヤーにはなれないし、さしあたり周囲の信頼は得られない。



まとめ:真のゼネラリストになるために

ここまでの議論を単に裏返しているだけのものもあるし、多少別の確度から述べるものもあるが、以下いくつかに分けて、真のゼネラリスト(真のスペシャリストでもある)になるためのポイントについて述べてみたい。
  • S or Not Sという1軸ではなく、S/Rという2軸で考える・・・
    その上で、専門性と全体への責任感の両方を追求する。
    両方必要で、どちらか一方では足らないという理解をしないと、悪いゼネラリストと悪いスペシャリストの往復になってしまう。
      
  • 専門性を養うにあたっては、できるだけ複数の分野にあたる・・・
    複数分野に携わると、右中間の存在や全体像が見えやすい。
      
  • かといって、「アンチ庭先掃除人」になるあまりに反知性主義に陥らない・・・
    古い日本企業では、全体への責任感が重視されるあまり専門性が軽視されがちだが、これでは組織の安定は図られても成長は達成できない。遠くに行くためには専門家の助けが必要だ。
      
  • 分権は責任感を育てる格好の手段・・・
    全体への責任感も大事なのは間違いないのだが、現実的には、下っ端仕事をどれだけ頑張っても、なかなか全体への責任感は涵養されない。
    責任感を持ってもらうための最適な手段は、やはり、実際に責任を与えることだ。
    タレブもSkin in the gameのなかで「身銭を切らせて、自分事としてやってもらうためには、分権が必要だ」と主張しているが、一定の専門性を身に着けた人にチームなり部門なりの責任を与え、そこで庭先掃除に陥らなかった人物を重用すれば、その組織のトップは良いゼネラリストで埋まるだろう。
      
  • 中堅昇格は専門性をもって選び、幹部昇格は責任感をもって選ぶ・・・
    ダメなパターンを書くとわかりやすいが、
    中堅のみならず幹部も専門性重視で昇格させてしまう→悪いスペシャリストが跋扈し組織が停滞する。
    幹部を、責任感ではなく、営業力で選ぶ→プロファームがやりがちな過ち。営業力は専門性の一つであり、全体への責任感なき花形営業マンは逆に組織を潰すことさえありうる。
    できれば幹部になる手前で小さな責任を与え、専門性のみならず責任感を陰に陽に問い、専門性と責任感の両方を証明できた者だけを登用するのが望ましいだろう。