たとえば以下のようなものだ。
- 経営理念
- フィデューシャリー・デューティー
- プリンシプル
- 企業文化
こういったコンセプト、日常の仕事に忙殺されていた若手の頃の自分目線で考えると、
「それって日常の仕事の役に立つの?」「理念で飯が食えるのか」
等、どうしても斜に構えた感想になってしまうような気がする。
すなわち自分事として腹落ち感を得ることが難しく、なんとなく他人から押し付けられているような気分になってしまいがちだ。
ただ、ある程度年を取った今の自分の意見としては、これらコンセプトは決して「他人からの押し付け」ではない。むしろ自分にとっての武器になりうるものだ。
本稿では、これら概念に通底する共通項や相違点を整理することで、これらコンセプトが重要になるのはなぜか?と言う点について、書き散らしてみる。
なお、参考文献は以下あたり。
それぞれの簡単な説明
まず、簡単に、それぞれのコンセプトについて、自分なりに簡単に再確認する。
まずはWhat(そのコンセプトがどのようなものか)を説明する。
その上で、おそらくそれだけではピンとこないと思うので、Why(それがないと、どう困るのか)もあわせて書いてみることにしたい。
その上で、おそらくそれだけではピンとこないと思うので、Why(それがないと、どう困るのか)もあわせて書いてみることにしたい。
理念
- What:
- 組織の在り方や方向性を定めたコンセプトの集合体。
- 組織がなぜ存在するのか(ミッション)、存在意義発揮のために何を目指すのか(ビジョン)、根底にある譲れない価値観(バリュー)等により構成される。
- Why:
- 組織がその価値を発揮するためには、所属するメンバーひとりひとりが、能力を最大限発揮する必要がある。
- 他方で、組織がルールだらけだと、メンバーはがんじがらめになってしまい思うように動けない。
- その一方で、何の羅針盤もない無法地帯だと、メンバーは何をどうすればいいのかわからず、組織としてのまとまりが発揮できない。
- そこで、メンバーに思う存分動いてもらうべく、組織の「フェアウェイ」をルール(~べからず)とは異なる形で示すもの。
- これがあれば、何か困ったことがあったとき、メンバーはそれぞれ理念に立ち返ることで判断の拠り所とすることができる。判断の拠り所がないよりはあったほうが、行動の自律性が出る。
- さらに言えば、メンバー各位が理念に共感すると、「いっちょやってやろうじゃないか」と奮起する効果があり、この奮起効果も能力発揮を促す機能を果たす。
フィデューシャリーデューティー(FD)
- What:
- 顧客に対し、受託者たるプロフェッショナルが負う義務。
- FDがあるので、他人のお金を預かるプロフェッショナルは、自分の思ったように好きに動くのではなく、顧客利益に忠実に動くことが求められる。
- 一種の規範や社会契約のようなもので、金商法のいわゆる忠実義務のような法律や、顧客との間で締結する契約での各種義務に限られず、下記で書くような目的達成のために必要な有形無形あらゆる義務が含まれる。
- Why:
- プロフェッショナルと顧客の間には、得てして様々な利益相反がある。そのため、両者の間に取り決めが何もないと、依頼する顧客はプロフェッショナルの行動をあれこれ制約したくなってしまう。
- 他方で、FDがあれば、顧客はプロに箸の上げ下げまで指示することなしに安心して任せることができるようになる。
- その結果、プロフェッショナルは裁量をもって自由に動くことができ、その能力を如何なく発揮することができる。
- 契約や法律を超えるので、プロ側からすると無制限の義務を負うようで気持ち悪いかもしれないが、「それを満たさないと、十分な裁量が得られない」と言えるため、回りまわって考えると、プロにとっても有用。
- 言い換えると、FDを嫌うプロは、実はそのモチベーションが「実力を如何なく発揮したい」ではなく「怒られることなく、いい給料をもらいたい」である可能性が高い。
プリンシプル
- What:
- 特定のテーマに関する基本原則のこと。
- 違反してはならない最低水準を規定する「ルール」と対をなす概念。プリンシプルだけだとわかりづらいので、ルールとセットで理解することが有用。
- 結果的に、企業理念の一要素たる「行動基準」と重なることが多い。
- Why:
- ルールだけでは「最低限のことをすれば、そこから先はやらなくてもいいや」というミニマムスタンダード発想が組織に蔓延するリスクがあるので、これに対応するためのもの。
- ルールとは異なり、「ここまでやればOK」とか「これはダメ」という明確な線引きはあえて行わない。都度、当事者があるべき水準について自ら考えることを要請するが、その代わり裁量を提供するもの。
組織文化
- What:
- 「何かあったときに、その組織のメンバーがある程度共通して行うだろう行動はどのようなものか」というもの。
- ベンホロウィッツの言葉で言い換えると「社長が不在で、誰も見ていないときに、社員はどのような行動を取るだろうか」。
- 例えば、「X社の社員は、変に利己的な行動を取らず、常に顧客目線で動いてくれる」とか「Y社は統率が取れており、上と下がバラバラなことは少ない」とか。
- 企業理念と整合していることが望ましい。ある意味、書かれた企業理念を浸透させるための必要条件という言い方もでき、「この組織は、行動基準と実際の行動が一致している」ということが「この会社は、企業文化がよく浸透している」と同義になることが多い。
- Why:
- 組織の優秀なメンバーが如何なく実力を発揮するためには、「迷ったときに、どうするか」という行動基準があることが望ましい。都度スクラッチから左右どちらに進むか考えていては、判断がばらつくか、あるいは間違える。
- 企業文化についてはやや因果が逆で、「大事だから、企業文化があって然るべきだ」というよりは「企業文化があると、メンバーの行動が整う」ということかと思う。
これらの共通点:「優秀な人材が思う存分活躍できる組織」にとっての必要条件
ここまで挙げたコンセプトは、Whatを見ると、それぞれ性格や用法が異なっている。
他方で、自分としては、Whyの観点で見ると、これらはすべて一緒だと思っている。
すなわち、理念・FD・プリンシプル・企業文化がないとなぜ困るか?という問いへの答えはいずれも共通で
- 現代の組織は「優秀な人材が思う存分活躍できる組織」でないと生き残れないが、
- そのような組織を実現するためには、理念/FD/プリンシプル/企業文化等が必要だ
- 言い換えると、「単に優秀な人を集めるだけ」や「ルール整備」では足らない
サラっと書いてしまったが、以下、少し細かく、ブレイクダウンしてみたい。
具体的には「優秀な人材」「思う存分活躍できる」あたりについて深掘りしてみる。
具体的には「優秀な人材」「思う存分活躍できる」あたりについて深掘りしてみる。
「優秀な人材」
言うまでもなく、「優秀」という言葉は時と場合による相対的な概念だ。
そのため、どのような状況における、どのような優秀さを想定した議論をしたいのか、まずは簡単に定義をしておきたい。
- 想定する組織像:21世紀型の、クリエイティブ組織
- 「事前に確立されたオペレーションを、最大効率で回す」という20世紀型オペレーションドリブン組織像と対をなす組織像を想定。
- 特徴1:課題「解決」よりも、課題「発見」が重要・・・
・「設計図は既にあるので、それを計画通り、少しでも低コストで作る」という仕事の対極。
・「日々目まぐるしくかわる環境の中で、まずは設計図を作るところから始まる」といったことが課題になる。
・このような組織では、課題発見能力・クリエイティビティ等が非常に大事になる。 - 特徴2:事前にJob Descriptionに書ききることは不可能・・・
・不確実性が高く、経営者からしても「やることが何かわかっていれば、俺だって困ってないよ」という状況。
・それゆえ、職員の職務を会社側が事前に記述しきることは難しいので、どうしても頻繁に「Job Descriptionのスキマ」に落ちる仕事が発生する。
・このような組織では、「Job Descriptionに書かれたことしかやらない」という社員では困り、能動性や責任感が重要で、「指示してくれれば、それについてはバッチリやりいます」という課題解決専門家の価値は低い。
- 想定する人材像:クリエイティビティ+広い責任感
- 求められる要素1:クリエイティビティ
・上記特徴1があるような組織では、クリエイティブな仕事が求められる。
・すなわち、「決められた仕事をこなす能率」が高くてもダメ。
・代わりに「未確立のカオスから課題を発見する能力」とか「新しいものを作り上げる能力」といったクリエイティビティが必要。
・すなわち、課題発見能力が何より大事。 - 求められる要素2:広い責任感
・上記特徴2があるような組織では、広い責任感が求められる。
・「広い」とは「Job Descriptionを超えた」という意味。頻繁に発生するJob Descriptionには書かれていない仕事について、「俺の仕事じゃないもんね」とやらないようでは、このような組織では仕事が回らない。
・すなわち、役職員一人ひとりが「スキマを自ら埋める当事者意識」を持っているかどうかが非常に重要となる。
「思う存分活躍できる」
- 経営者目線:使いこなすためには、裁量(思う存分動ける環境)提供が不可欠
- 「仕事は非定型のチャレンジばかり」という経営環境においては、役職員ひとりひとりに、自らの頭で考え自発的ににチャレンジしてもらうことが、経営者(や、株主や顧客)にとって非常に重要。
- 言い換えると、役職員が自発的に動いてくれないと、十分な付加価値を生み出せない。
- そのため、本来は職員に言うことを聞かせたいはずの経営者は、その自発的モチベーションにより、現場に裁量を与えたいと思うようになる。
- 別の観点で言い換えると、「スキマにも責任感を持ってもらう」という意味とも言える。
- 役職員目線に立っても、裁量は重要
- 役職員は、生計を立てるという意味でも、自分のやりたいことをやるという意味でも、パフォーマンスを最大化する(思う存分活躍する)モチベーションがある。
- 不確実・非定型的な環境で思う存分活躍するためには、裁量が不可欠。
- 事前に「こうなったら、こうする」と全ての状況と対応策を規定しきることは無理。
- 裁量をもって自発的に動かないと、不確実性のある環境でベストパフォーマンスを出すことは無理。
各種コンセプトと、「優秀な人材が思う存分活躍できる」はどう関係するのか?
前のセクションの繰り返しだが、理念も、FDも、プリンシプルも、企業文化も、Whatは異なるが、Whyを見ると驚くほど共通している。
すなわち、
すなわち、
- 優秀な人材に思う存分活躍してもらおうと思うと、
- そのための舞台装置として裁量が必要で、
- 裁量を与えるためには、理念(/FD/プリンシプル/企業文化)が不可欠
というものだ。
「これまではなかったけど、新たに理念を作ります」とか「プリンシプルを新たに制定します」と言われると、どうしても「ルールが増えます」と同じ話だと思ってしまい不安になる。
しかし、ルールの増加は基本的に役職員をより制約するために作られるものだが、理念/FD/プリンシプルの策定や、企業文化の醸成は、むしろ役職員の自由度を高めるもので全く逆の趣旨のものだ。
多くの企業が理念とか文化とか、プリンシプルとかFDと声高に言うようになっている。
これは、もちろん、社会の要請に応えるべくパッシブに策定する側面もあるのだろうが、真に強い組織は、積極的な目的でこれらを策定していて、
その「積極的な目的」とは、自分の理解では、要するに優秀な人材に思う存分働いてもらうためと言うことなのだろうと考えている。
一般従業員の目線からのまとめ
理念、FD、プリンシプル・・・。いずれも難解だし、覚えづらい。
一般職員の視点に立つと、ついつい「決まりごとが増えて面倒」とか「宗教かよ」とか「覚えられない」とネガティブに思ってしまいがち。
だが、「会社は、自分に、より思う存分働いてもらいたいのだ」と思うと、少しはその意味合いも理解できるようになるような気がする。
極端な話、それらの文言の一語一句それ自体は、実はあまり論点ではない。
それらを作るということ、作らねばならないと思った問題意識こそが重要なのだ。
要するにこれはリーダーシップに関する問題であり、「リーダーシップが、今まさに求められている」ということが、フワフワコンセプト隆盛の根底にある問題意識だ。
だが、「会社は、自分に、より思う存分働いてもらいたいのだ」と思うと、少しはその意味合いも理解できるようになるような気がする。
極端な話、それらの文言の一語一句それ自体は、実はあまり論点ではない。
それらを作るということ、作らねばならないと思った問題意識こそが重要なのだ。
要するにこれはリーダーシップに関する問題であり、「リーダーシップが、今まさに求められている」ということが、フワフワコンセプト隆盛の根底にある問題意識だ。