2019-12-28

根回しの功罪:ベイズ更新を用いた考察

この年末年始の時間つぶしにと思って手に取った『組織の経済学』、これが非常に面白い。

  • 実務として組織運営に携わる人や、管理職/経営者の人で
  • 経験則一辺倒のスタイルに怖さを感じて
  • 何かしらベースになるような理論を求める人
にはうってつけだと思う。

本書では組織に関する様々なトピックが取り上げられているが、本稿ではこれに影響を受ける形で、「根回し方式とトップダウン方式、意思決定の方法として優れているのはどちらか?」という問題について考えてみたい。

ただし、結論を先に言うと「時と場合による」とならざるを得ない。
本稿は、結論それ自体というよりも、どういう時に根回しが有効で、どういう時にはトップダウンの方が優れているのか等、結論の手前にある考え方の整理を行ってみたい。

以下、主にベイズ更新というコンセプトを使って議論を展開してみたい。



言葉の定義:「根回し」「トップダウン」

前提:決定者が全ての情報を知ることはムリ。情報格差があるなかでどうするか

この手の議論をすると、どうしても「なぜ、このような面倒な議論をせねばならないのか?」という疑問が出てくる。

なので、まずは、議論の出発点にある担当者と意思決定者の間にある情報格差について概観してみたい。
  • 意思決定者は担当者そのものではないので、案件の詳細までは把握できず、受ける説明から断片的・限定的な心証を得て、その心証をもとに判断することになる。
  • 担当者が氷山の全てを把握しているとすれば、意思決定者が見ることができるのは、氷山のうち水面上に浮かんでいるごく一部だけとならざるを得ない。
  • 個人事業主なら担当者=意思決定者とすることもできるかもしれないが、一般的な組織においては、組織がその能力を発揮しようと思うと、何らかの分業が必要になるので、担当者と意思決定者が別人になることは不可避。

根回し:段階的説明プロセス


次に、根回しについては以下のように定義・仮定する。なお、これは『組織の経済学』の定義と必ずしも一致しない、本稿のための勝手定義。

  • 段階的ステップを踏む
    まずA課長、その後隣のB部門、次にC常務・・・と、段階的に説明を行い、最終決定(ここでは「機関決定」と書く)までに何段階か、一種の予選のようなプロセスを挟む。
  • 後になればなるほど情報量が増える
    このとき、2ステップ目以降の、例えばB部門やC常務、ひいては最終決定者達は、
    ①案件の内容それ自体に加えて、②先行するステップで行われた議論やそこでの結論(誰が何を言っていたか)についても説明を受け、判断の参考にすることができる。
  • 根回しプロセスにはコストがかかる
    複数の関係者に説明するために要する時間と人件費・修正に要する時間等により生じるコストは無視できず相応の水準になると仮定する。

トップダウン:一発勝負


最後にトップダウンについて以下のように定義・仮定する。基本的には根回しの対となるイメージだが

  • 本番一発勝負:
    担当者が、機関決定の場で案件の説明を行い、そこにいる決定者が、何らかの方法で(多数決/全会一致等)、その場で決議を行う。
  • 情報の増大は発生しない:
    ステップを踏まないので、「誰が何を言ったか」という情報は生じず、全員その場でスクラッチで案件情報を聞き、そこから得た心証だけを判断根拠とする。
  • 根回しプロセスに要するコストはかからない。

基本ケース:ベイズ更新プロセスとしての根回し

以下しばらくは「組織の経済学」の議論をなぞりつつ、根回しの意味合いについて、段階を追って考察する
(ただし、ところどころに、数式を省略しつつも理解度を下げないため、勝手に定義・用語等を付け足す)。

ステップ0:シチュエーション

  • ある案件があって、「成功案件(Good)」と「失敗案件(Bad)」のいずれかに分類できる
  • しかし、案件の成否は事前にはわからない。すなわち、意思決定後にならないと、その成否はわからない。
  • 担当者にせよ、関係者にせよ、意思決定者にせよ、事前に言えることは、その案件に好印象(g)を持つか、悪印象(b)を持つかだけ。
  • すなわち、各人が事前に感じる好感(b)と、事後の成功(Good)は、ある程度相関はしているものの、完全1:1対応にはどうしてもならない。
  • このとき、判断能力を「実は成功することになる案件に、好感を感じ取る確率」と定義する。すなわちP(g|Good)と書ける。ひとまず、各人の判断能力を2/3と仮定するが、これは「成功案件にきちんと好印象を持つ確率が2/3、言い換えると1/3の確率で、事後の結果と事前の印象が食い違う」ということを意味する。
  • 仮定として、各人はスタート時点においては、案件の成功確率P(Good)も失敗確率P(Bad)も1/2であると見積もっているとする主観確率)。

ステップ1:A課長との1回戦


  • A課長の立場になって考える(以降全て、担当者ではなく、判断者=聞き手の立場で考える)。
  • A課長は、予選1回戦なので、担当者から案件の説明を聞くだけであり「他の人が何を言っていたか」という情報を得ることはできない
  • A課長は、説明を聞いて好印象を持ったとする。このとき、好印象を受ける確率というのは以下の2事例に分解できる。
    ①判断センスが正しい:実際に成功することになる案件に対し、順調に好感を感じた。数式で書くと

    P(Good)・P(g|Good)=1/2 * 2/3 = 1/3.

    ②判断センスが間違っている:実際には失敗する案件であるにもかかわらず、間違えて好感を感じてしまった。数式は

    P(Bad)・P(g|Bad)= 1/2 * 1/3 = 1/6。

    ①②を合わせると、好印象を受ける確率P(g)は

    1/3 + 1/6 = 1/2.
  • 好印象を受けた場合において、実際に案件がうまくいく確率は
    ①/(①+②)と言えるので、これを計算すると

    P(Good|g) = (1/3) / (1/2) = 2/3

    となる。
  • 以上をまとめると、
    • A課長は、案件説明を聞く前においては、これまでの経験則だけに基づき成功確率P(Good)を1/2と見繕っていた。
    • ところが、案件説明を聞いた結果、A課長は好印象を得た。
    • これを踏まえてA課長は成功確率の予想をP(Good|g)=2/3に上方修正した。

この、追加情報(好感)を得た結果、自らの主観確率を修正することをベイズ更新と言う。A課長は、情報を得た結果ベイズ更新を行い、説明を聞く前より高い心証を得るに至った。

※ベイズと言う理由は、上記P(Good|g)の計算にあたりベイズの定理を用いているからだが、細かい説明は本書等に委ねる。

ステップ2:機関決定の場での決勝戦


  • 本来は3以上のステップを考慮すると議論が頑健になるが、シンプルさ優先で、A課長説明の後はいきなり機関決定本番になるものとする。
  • 決定者は、担当者から案件の説明を聞くのみならず「A課長が何を言っていたか」という情報を得ることができ、ここではA課長が好感を持ったという情報を聞くこととする
  • 決定者は、A課長同様、説明を聞いて好印象を持ったとする。
  • このとき、好印象を受ける確率というのは、ステップ1同様、以下の2事例に分解できるが、成功確率P(Good)は、A課長の予選を経た結果、当初のP(Good)=1/2からP(Good)=2/3に改善していることに注意しつつ、同様に考えてみると
    ①判断センスが正しい:実際に成功することになる案件に、順調に好感を感じた。数式で書くと

    P(Good)・P(g|Good)=2/3 * 2/3 = 4/9.

    ②判断センスが間違っている:実際には失敗する案件であるにもかかわらず、間違えて好感を感じてしまった。数式は

    P(Bad)・P(g|Bad)= 1/3 * 1/3 = 1/9

    ①②を合わせると、好印象を受ける確率P(g)は

    4/9 + 1/9 = 5/9.
  • 好印象を受けた場合において、実際に案件がうまくいく確率は
    ①/(①+②)と言えるので、これを計算すると

    P(Good|g) = (4/9) / (5/9) = 4/5

    となり、これはA課長が抱いた主観確率2/3より改善している。
  • 以上をまとめると、
    • 決定者は、当初は情報を持たないので、一般的傾向にならい成功確率P(Good)を1/2と見繕っていた。
    • ところが、A課長が好印象を得たという情報を参考にすることで、機関決定の前の時点において、成功確率を2/3に改善させていた。
    • その上で機関決定の場で聞いた説明で好感を感じたことから、さらに成功確率の予想をP(Good|g)=4/5に上方修正した。
このように、①自ら聞いた説明に加えて②「A課長の好感」という追加情報の2つの情報を用いることで、決定者はこの案件の成功に4/5という高い心証を得ることができた。

これは、A課長が感じた成功確率2/3よりも高いし、さらには当初確率たる1/2よりはずっと高い。

意思決定者にとって、成功する心証が1/2しかない案件にゴーサインを出すことには大きなストレスが伴うだろうが、4/5の確率で成功すると思う案件であれば、比較的気楽にゴーサインを出すことができるだろう。根回しの結果、情報量が増え、意思決定の難易度が下がったと言える。

小括


  • 情報を入手すればするほど、ベイズ更新により、人の心証(=主観確率)は変化する
  • トップダウンだと成功確率1/2と感じる案件について判断をせねばならなかったが、根回しプロセスを踏んだ結果、4/5の確率で成功すると思えるようになり、意思決定の難易度が下がった
  • 根回しに時間をかけた分、意思決定のスピードは低下したが、その代わり意思決定の精度は改善した

例外:根回しがうまく機能しないとき

上記の例では、A課長→機関決定とステップを踏むごとに、判断者が見積もる成功確率が改善し、その結果意思決定の精度が改善した。

しかしこれは、自分が議論のため勝手に定義・仮定した各種ポイントがイタズラしているところがあり、実はパラメーターをいじると結論も変化する。

以下では、どのようなときに、根回しがむしろデメリットを生み出すのか、概観してみたい。


各人の判断能力が高くないとき

上記の例では、各人の判断能力(成功案件に、正しく好感を感じる確率)を2/3と仮定した。その結果、好感を感じる→成功確率を高く見積もる→・・・というベイズ更新の好循環が生まれ、当初1/2だった成功確率が4/5まで改善した。

しかし、例えば新規事業のような不確実性が高い意思決定においては、どうしても判断能力は低くなってしまい、好感を感じたが失敗するような案件が増えてしまう。

例えば判断能力を2/3から1/2に下げると、何回ベイズ更新を行っても、更新後成功確率は1/2のままとなる。

言い換えると
  • 根回しを通じたベイズ更新効果(判断精度改善効果)が期待できるのは、決定者各人の判断能力がある程度高い場合に限られる
  • 決定者の判断能力が高くない場合、ベイズ更新による判断精度改善は見込まれず、単に時間と人件費だけを浪費することになる。
このような「判断能力を高くしようがない意思決定」の質を高めたい場合には、根回しというよりも別のアプローチで改善を図るべきであり
  • トップダウンでさっさと決定してしまい、事後にどんどん改善する
  • そのような決断ができるよう、トップの権限を強化する、あるいは分権化を進める
等を別途考える必要があるだろう。おそらくは、そのような決断をする場合には、責任とセットで決定者の報酬もリスクに見合ったものに高める必要が生じるだろう。

各人の判断能力が十分高いとき

逆に、各人の判断能力が高い場合は、ベイズ更新に頼らずとも、当初から精度の高い判断をすることができてしまうので、根回しの意義が薄れる。

例えば、基本ケースで2/3と仮定した各人の判断能力を9/10とすると、1度も根回しせずとも、9/10という高い確率で成功することを見積もることができる。

この場合、時間をかけることに伴う機会費用を考えると、根回しする暇があればさっさと一発勝負してしまった方が効率的ということになる。


まとめ

  • 根回しがワークするとき
    • 根回しには、情報蓄積→ベイズ更新→判断精度改善という効果がある。
    • 成功確率が1/2しかないなかで判断するのと、4/5あるなかで判断するのでは、その難易度は全く異なる。成功の心証が高まるまで根回しすることは、それに要するコストを考慮してもなお正当化できることがある。
  • 根回しがワークしないとき
    • 決定者の判断能力が高くないとき・・・新規事業等の高難度プロジェクトにおいては、根回しを重ねてもいっこうに心証が改善しないことがある。各人の当該案件における判断能力が低い以上、どれだけ議論を重ねても判断精度はあまり改善しないので、このような場合はトップダウンへの転換・分権化等、別の決め方を考えるのが良い。
    • 決定者の判断能力が高すぎるとき・・・根回しするまでもなく、一発勝負で議論しても判断できてしまう。このようなときは、時間をかけるデメリットが目立ってしまうので、根回しは省略できた方が望ましい。
  • まとめると、
    • 根回しが有効なのは、決定者が「ある程度は判断できるが、そこまで完全には判断できない」という中程度の案件。
    • 案件を判断難易度に応じて松竹梅に分け、それぞれにおける意思決定プロセスを分けると、組織としてのパフォーマンスが最適化されるものと思われる。
本書はこのようなトピック以外にも様々な問題を考えるヒントが満載なので、是非手に取って読んでみてほしい。