最近だと、企業特殊スキルがネガティブに「社内でしか通用しないスキル」と言い換えられることが多い。
たとえば、大企業disの文脈で
「社内でしか通用しないスキルしか持たない大企業のオッサンは、ポータブルスキルがないので、会社が潰れたら路頭に迷う」
みたいな批判をするとか。
自分もこのような話を若いうちから念仏のように聞いていた。
なので、なんとなく強迫観念的に
「ポータブルスキル、ポータブルスキル」
「社外でも通用」
と、意識しながら働いてきた気がする。
しかし、最近思うのだが、
「本当に社内でしか通用しないスキル」「社外では心底使えないスキル」なんて、実は殆ど存在しないのではないだろうか?
今日はそのことについて雑文を残してみたい。
なお、本文の殆どは自分の愚行だが、議論の枕には、例えば人事と組織の経済学実践編などを踏まえている。
たしかにこんな経験は微妙だ
確かに働いていると、「この経験、社外で使えないかもなぁ」と苦笑してしまうような仕事・スキルは決して少なくない。
- (社内人脈)企画本部のXさんと営業のYさんは、年次は1年離れているが、実は高校の同級生。Xさんの合意を取り付けようと思うと、Yさんを味方につけるのがいい
- (社内資料)社内で案件を通そうと思うと、分厚い稟議書を作らねばならない。
- (社内のお作法)会社の投資委員会には、48時間前までに事務局に資料を提出。当日はハードコピーを15部準備する。
等々。
こうやって書くと、会社ってコントあるいはジョークみたいなことが多い。
こうやって書くと、会社ってコントあるいはジョークみたいなことが多い。
ただ、これを心底くだらないと思うか、ネタ性を面白がりつつも汎用化を試みるかで、実は大きな差が生まれるのではないかと思っている。
悪いのは、「社内でしか通用しないスキル」それ自体ではなく「経験を社内特殊的なものから、応用可能なものに抽象化する能力がない人」なのではないか
最近、後輩に仕事をお願いしたり、教えたりすることが増えているのだが、後輩によって成長のスピードに結構差が出る。
「できる」後輩の観察
例えば社内人脈の事例で言うと、「できる」後輩は、「XさんとYさんは仲が良い」という企業特殊的な知識を得るだけでは立ち止まらない。
その代わりに、そこにある「誰かを説得しようと思うと、相手が信頼する人を味方につけることが有効」という教訓を抽出する。
その上で、「社外のクライアントに新商品を提案するようなときに、クライアントと仲が良い別の会社の人を巻き込んで、リファラル的にその新商品を第三者の口から推奨してもらう」というような作戦を、教えてもいないのに立案してくれたり。
すなわち、「できる」後輩は、経験をやりっぱなしで終わらせず、咀嚼の上、別の仕事にその経験からの学びを応用しているように見える。それが社内人脈のような企業特殊的なものであれ、エクセルワークのような汎用的なものであれ。
なので、先輩役の自分としても嬉しさ半分、「追い抜かれないように、俺も頑張らないとな」と緊張感半分の印象を抱く。
ちなみに、そういう後輩は、一見するとくだらない社内作業なんかもいやがらず、一種のネタとして楽しんでくれる傾向が強い。
これはおそらく、「どんな仕事にも抽象化できるエッセンスはある」という思想が前提にあるからではないかと思う。
「できない」後輩の観察
逆に、「できない」後輩は、経験を抽象化する能力が弱い人が多いように見受けられる。
新しい仕事を頼むと、常にゼロからのスタートで、過去の仕事と新しい仕事を関連付けることができない。
本人はそれを「新しい仕事」と捉えて、フレッシュな顔をして一生懸命頑張る。しかし、見ているこちらからすると「そんなフレッシュな顔をされても困るなぁ。前回の経験を使って、もっとさっさとやってくれよ」と思ってしまう。
「できない」後輩のもう一つの特徴として、仕事が企業特殊的かポータブルかの線引きにやたらこだわる傾向が強い。
例えば上記の「投資委員会のお作法」みたいな知識を覚えることに嫌悪感を示す等。
しかし、これは、毎日外食するだけの人がいつまでたっても自ら料理できるようにならないことと同じ話なのではないか。
すなわち、ポータブルな形に料理された仕事をそのまま享受することに慣れたそんな後輩は、いつまでたっても抽象化能力・応用力を高めることができない。
むしろ、ポータブル感がありわかりやすいため、抽象化することなく満足してしまうため、却って成長が遅れる。
こういう人は、そのスキルが企業特殊的であれ、ポータブルであれ、いずれにせよ苦労するように思う。
もちろん転職のしやすさに多少の差はあるかもしれないが、「ポータブルスキルはあるが、一般化能力がない」というこういう人が転職先で活躍する事例はあまり見たことがない。
抽象化・一般化できれば、どんなスキルもポータブルに
こういった後輩の観察から、問題は「そのスキルが、社内でしか通用しないのか、社外でも通用するのか」という仕事の性質ではないのではないかと思うようになっている。
むしろ「その人が、企業特殊的経験であれ、汎用的経験であれ、その経験を抽象化する能力が高いかどうか」という人のスキルに対する態度こそが問題なのではないかと感じるようになっている。
そこに「企業特殊的か、ポータブルか」という線引きはほとんど関係ない。すなわち、抽象化すればどんな企業特殊的なスキルも汎用化できる。
そのため、抽象化能力が高い人は、異動したり転職したりしても、わりと早くから活躍する。
言い換えると、ポータブルスキルを持つ人が新天地でも活躍できるのではなく、スキルの汎用化能力を持つ人が新天地でも活躍できるということなのではないか。
抽象化による複利効果
経験やスキルを抽象化できるかどうかは、スキルを汎用的なものにできるかどうかという側面で重要であるだけではない。
それに加えて、その人の成長スピードを大きく変える点においても重要であるように思う。すなわち、抽象化能力は、その人のスキルを複利的に伸ばす効果があるように思う。
スキルの抽象化ができていれば、「この仕事、あのときの経験を使えるかも」とひらめくことができる。
その結果、10の経験をしたときに、抽象化能力を持つ人であれば、経験からの学びを10×10で100に広げることができる。
他方で、抽象化能力がないと、それぞれの経験は応用性のない独立した経験の集合体になってしまう。
「社内人脈に詳しいだけで、社外ではネットワーキングできない人」といった感じだろうか。そのような人が10の経験をしても、学びは1×10で10にしかならないので、抽象化能力を持つ人にくらべて90も差をつけられることになる。
サマリー
- 本質的な対立軸は「企業特殊スキルか、汎用スキルか」というスキルの性質ではなく、「個別経験を、他に応用できるものに抽象化できるかどうか」という各人の知的能力・訓練度の違いなのではないか
- すなわち、企業特殊的な経験を一般化・抽象化できる人とできない人がいて、経験を抽象化できない人が、苦労する言い訳を「経験が企業特殊的だ」と責任転嫁しているだけというのが、「社外で通用しない人」問題の本質なんじゃないだろうか
- 経験を抽象化できる人は、複利的に能力を高めるので、10年のスパンで見るとそうでない人との間に修復困難な差をつけることができる
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