2019-01-03

「知識を使いこなせる」とはどういう状態か

たまに散見される「知識やコンセプトのことは知っているが、使いこなせない人」について、少し自分なりの見え方を備忘まで記載してみたい。


Whatだけしか知らない人が起こす「無邪気な殺人」

「MM定理」でも「OKR」でもなんでもいいのだが、コンセプトの概要(What)を知っていることは有益だが、これはスタートに過ぎず、ゴールではない。

何かしら有益なコンセプトを、お金・人の人生その他がかかった現場で使うのであれば、以下に述べるような「使うにあたっての注意点」のようなところまでよく理解できていないと、むしろ使わない方が良いということになりがち。

現場で、人が、悪意をもって人や職場を台無しにするようなことは殆どない。起こる悲劇のほとんどは、むしろ悪意を持たない人によってもたらされる。すなわち、起こるのは、知識はあるがその使い方を知らない人が、無邪気に、善意によって、しかし結果として虐殺を起こすような事態だ。悪意がないからこそかえって始末におけない。

自分がそのような「図らずもA級戦犯になるリスク」を犯さないためにも、以下のような周辺知識をカバーしておくことが重要だと思う。


暗黙の前提・仮定

およそ殆どの理論やコンセプトは、無条件に・絶対的に成り立つことはない。
どのようなコンセプトも、いくつかの暗黙の前提・仮定の上に成り立っており、前提が変わると結論もガラっと変わるようなことが多い。

コーポレートファイナンスでよく話題になるMM理論も、当初のバージョンは「法人税を無視する」という強烈な仮定の上においては資本構成と企業価値に関係はないと論じるものであった。

これは言い換えると、当然ながら、法人税がある(前提が成り立たない)現実においては当初のMM理論は成り立たないということを意味する。「無税仮定」という仮定への認識が甘いまま無邪気にMM理論を用いて「借入しようが、資本調達しようが、企業価値はどっちでも変わらない」とトンデモ理論を展開する人はファイナンス初心者によくみられるが、これは前提への理解不足が大けがにつながる典型例と言える。

MM理論については、たまたま、法人税を考慮した修正MM理論が別途提示されているのでまだリスクは低い。しかし、他の多くの理論は、前提を調整した後の修正版理論など存在しないことが多い。

前提に対する理解が浅いまま、結論だけを無邪気に使うことの危険性には注意が必要だ。


批判、関連議論

理論やコンセプトは、マトモであればほぼ確実に、多方面から批判検証にさらされているはず。理論をその提唱者が述べる通りに無邪気に使うのではなく、第三者の批判から見える論点まできちんと理解しておくことが有用だ。

例えばOKRを例に挙げると、Doerrやほかの多くの著者がその使い方について丁寧に説明してくれている。それらを読むこともスタート地点として有益であるが、実務で使うのであれば、できる限り、OKRへの批判とか、OKRを採用したがうまくいかなかった事例なども学んでおく必要がある。

一例について細かく議論するのも本質的ではないが、上で挙げたOKRなどは、使用上の注意点について丁寧に理解しておかないと百害あって一利ない、「毒にも薬にもなるコンセプト」の典型例であるように思う。トップのコミットメント・オープン化・アラインメント・野心的な目標設定等の基本ルールのみならず、どういう使い方をしたら失敗するのかといった側面でも丹念に理解しておかないと、単に社内に混乱が起こるだけになるだろう。特に、文化や働き方のフォーマットがそもそもシリコンバレースタートアップとは180度異なる日本企業ではそうだろう。


短所、限界

「相方がオナラをすることを受け入れられるようになって初めて夫婦の絆は深まったと言える」みたいな話がよくあるが、コンセプトを実務で活用しようと思ったら、その短所や限界について理解し、その短所を考慮してもなお使うといったスタンスでないと失敗する可能性が高い。


ファイナンスの世界でいえば、DCFは、当然ながら様々な欠点を含んでいる。いろんな非現実的な仮定の上に立脚しているとか、現実的でないとか、色々。

現場の担当者が、DCFの欠点を重々理解した上で、「DCFにはこのような欠点があるのだが、それでもなお、今回の仕事においては利用してもそこまで大きな弊害はない」「下手に複雑なモデルを導入するよりは、とりあえずDCFで議論した方が実務的」といった感じで、コンセプトが持つ欠点と、そのコンセプトがもたらすメリットを比較衡量の上で用いることが重要だ。

間違っても、欠点への配慮を欠いたまま「DCFによればこうだから、我々はこうすべき」と、欠点のあるコンセプトに盲従するような動き方はしないことが重要だ。

副作用

およそどのような施策であっても、何らかの副作用はもたらすはずであり、実務家はその副作用まで考慮した上で動学的にふるまうことが重要だ。

そういう意味では、HBSケースでも、他社事例でも、過去の自社事例でも、なんでも構わないが、「その施策を行うと、どのような化学反応が起こるか」について、1つでも2つでも、ケーススタディをしておくことが有益だ。

もちろん実務という社会科学的な題材を扱う以上、過去の事例がそのまま利用できるはずはないのだが、過去と今回のズレもそれはそれで何らかのヒントである可能性が高く、その辺まで含めても過去事例に学び副作用について心構えしておくことは非常に重要だ。