2016-03-13

Be Practical?

社内でも社外でも、実務的な人はけっこう多い。ものごとを小気味よく縦横に再整理して、バッサリバッサリと優先劣後立てを行い、上の人が意思決定しやすいようなアウトプットを用意するといった感じ。

昔から、そういうPracticalな人を見たときでも、ある人には「いいなぁ」と思えるが、別の人には「うん、でもちょっと違う」と思ってしまうなど、自分でもよくわからないものの2つの相反する感想をもつことがあった。

以下はそういった自分のモヤモヤに対する試案。

おしごと=課題設定×エグゼキューション

仕事の分野やその人の階級等にもよるとは思うけど、ものすごく雑に一般化すると、仕事は上記の通り2つに因数分解できると思う:

(1) 課題設定:眼前の現状を見て取り組むべき課題を特定したり、上司からの指令を自分なりに再構成してみたりといった取り組み。
(2) エグゼキューション:課題設定のフェーズで特定した課題を、しかるべきリソースを投入して(例:自分の専門性や時間、あるいは部下の時間)、一定のアウトプットを仕上げる

なので仕事は大抵2段階ゲームで、その2つの総合評価にて価値が決まり、それが定量的あるいは定性的に顧客・上司・その他関係者から名に暗に評価されることになる。

両者は2つともできてナンボである側面が強く、課題は設定できてもそれを解決できない人はイマイチだし、ゴリゴリとエグゼキューションする気合や手腕を持つ人であっても課題設定がイマイチであれば結局は苦労する。

Practical①・・・エグゼキューションが上手い

以下、2つの側面から「Practicalって何だろう」「Practicalな人ってどういうことなんだろう」という問いを考えてみる。

まず思いつくのは、Practicalな人とは、すなわち、上記2段階ゲームのうち後半のエグゼキューションが上手い人。普通の人が3日かかる仕事を1日で仕上げるとか、どの点についてはどの同僚の知恵を借りるべきか熟知しているとか、面倒な上司の説得の仕方を心得ているとか。

この側面においては、Practicalであることはポジティブに評価できるように感じる。やっぱり、一緒に仕事するパートナーとしては、仕事が上手な方が有り難いし。

なお、そういう人に見られる一般的な特徴としては

  • 担当分野に関する専門性が高い
  • チームやカウンターパートの動きが「見えて」いて、的確なパスやシュートが打てる
  • 「自分で抱える」と「人に頼る」のバランス感覚が良い
等があるように思われる。

Practical②・・・課題設定が「小さい」


他方で、もう一つ考えられるのは、前半の課題設定がやたら小さく、その結果としてエグゼキューションの評価が高くなるパターン。

その人に求められるエグゼキューションだけをスタンドアローンで見るとよいパフォーマンスなのだが、どうも全体として結果が伴っていなかったり、あるいは小さくまとまっていたりするような場合、またはそういう仕事になりがちな人。

見ていると、たまに、エグゼキューションから逆算して、「うまくできるような課題を選ぶ」「対処可能な水準にまで、課題の水準を落とす」という発想の人を見かける。たとえば、課題を「M&A案件の成就」としてしまうと難しいので、ゴールを「新規営業10件」として、それを楽々達成して「俺はやることやった」というような人。結果としてチームとしてM&A案件は成就しないが、その人は満足してしまっているような場合がある。
ひどい人になると、自分が対処できる範囲の課題のために、チーム全体の目標まで目線を下げてしまっているような場合も見られる。ゴルゴ13に暗殺の依頼をしたら「それは難しいから、あきらめて和平してはどうか」と逆提案されたうえで、ゴルゴが暗殺の代わりに和平の下準備をそつなくこなす・・・みたいなへたくそな例を思いついた。

このような人も、見かけ上は「そつなくエグゼキューションをこなす」という意味でPracticalなのだが、やっぱり好意的に評価するわけにはいかないのではないかと思う。


結局は課題設定次第

本稿ではPracticalを「エグゼキューションが上手い」と定義しつつ、それを①本当にエグゼキューションが上手い②エグゼキューションできるように課題を矮小化するという2つに分解を試みた。

上記は、同じようなことを2方面から言い換えているだけにも思われるかもしれない。
また、我々は夢想家ではなく実務家なので、as small as feasibleな程度に課題を小さくすることは否定されるべきものではなく普通に評価されてしかるべきものだ。

等多方面から議論はできるのだが、思うに、ひとつの論点は、課題設定にあたってのラスト1マイルの優先劣後に対する感覚が「いいPractical」と「悪いPractical」を分ける試金石なのではないかと思う。

・できるだけ大きな課題を解決したいが、かといって大きすぎては解決できないので、必要最低限の範囲で課題を小さくし、その課題を一生懸命Practicalにエグゼキューションする

人と、

・できるだけ「上手いエグゼキューション」になることを目的に据え、そのため、関係者間で揉めない限り最大限課題を小さくしてしまい、その結果として余裕でエグゼキューションする

人。両者とも表面上の見かけはPracticalだが、前者は尊敬できるが後者は物足りなく感じる。

もちろん、「エグゼキューションが下手」という本稿ではスコープ外にいたような人との比較においては後者も悪くはないのかもしれないが、肌感覚的には、「課題を矮小化してソツなくこなす人」よりは「適切な課題設定をして、覚悟の結果としてエグゼキューションで失敗する人」の方が結果的にはチームに大きな果実をもたらしてくれる気がする。

ということで、自分のいったんの結論としては、やっぱり大事なのは課題設定に関する感度や手腕こそが大事で、せっかくのエグゼキューション能力も課題設定能力の巧拙により「素晴らしい」にも「物足りない」にもなりうるのではないかと感じている。