そう思いたくなる気持ちは共感するが、人の心理や行動を考えれば、無理があると思っている。
しかし、「誰が言ったか」ばかりが偏重される社会がいいかと問われると、それもやっぱり嫌だ。「仕方ない」と「望ましい」はなかなか両立しない。
本稿では、そういった問題意識のもと
- なぜ、何を言ったかよりも、誰が言ったかが優先されがちなのか
- どうすれば、少しでも「何を言ったか」がワークするようになるか
について書き散らしてみる。
以下では、聞き手が判断者、話し手が説明者で、話し手は何らかのアイディアについて、聞き手に賛同してもらうことを目指しているものとする。