非連続的な変化を達成するためには、個人のリーダーシップが重要
たとえば、まずはともかく傾いた経営を立て直さなければならないようなとき。あるいは、M&Aによりマーケットシェアを拡大させたいとき。はたまた、官僚化が進み硬直した組織のダイナミズムを取り戻したいようなとき。こういったときに求められるのは、リーダー(社長が普通だが、別に関連部門の部門長とか、あるいは若者でもいい)の個人的な才覚なんだと思う。そういったタレントが、その才覚を十分に発揮して、大きな結果を出すことができる。
そのような局面においては、おそらく、そういったリーダーの才覚を「邪魔しない」ような制度設計が重要なのだと思う。権限移譲とか、フラットな意思決定構造とか、etc。
ただし、組織が長期的に競争的であり続けるためには、強い個人がいるだけでは駄目で、組織が強くなっていなければならない
上記のような「個人のリーダーシップ」という話は、MBAなんかでも良く出てくるし、ビジネス小説などでもおなじみなので、おそらく「組織はトップのリーダーシップで決まる」みたいな言説はあまり違和感がないものだと思う。しかし、トップのリーダーシップは重要だが、トップのリーダーシップに依存している組織は永続的とは言えない。むしろ、彼のリーダーシップに依存している組織は得てしてそのトップのリーダーシップに慣れてしまい、彼が去った後に一気に転ぶことも多いように思われる。
ありがち①:難局にあって、リーダーシップを持った人が「ここは俺にまかせとけ」として、実際解決してしまう。この人は立派だが、おそらくこの組織は、似たような問題が数年後に再発したとき、たぶんスタックする。
ありがち②:バイアウトファンドが、投資先に敏腕プロ経営者をCEOとして送り込む。CEO氏はその才覚を全面的に発揮して、問題を解決し、事業を拡大する。でも、その多くが彼の個人的な決断により行われており、組織としては何ら成長できていないので、ファンドがExitしてCEO氏が去ると同時に、その会社は一気にコケる。
ありがち③:A社の花形プロジェクトX。会社紹介などでも取り扱われているビッグプロジェクトだが、実はスタート時から7年間、ずっとCさんという担当者が異動もせずに担当していて、その周辺の上司部下はローテーションしているので正直Xについて理解できていない。そしてある日、Cさんが実は無能で、プロジェクトをうまく回せておらず、実はXがボロボロの状態であることが発覚したが、これまで後任育成をさぼっていたので誰もXをどうにもできない。
①~③いずれも、個人の才覚にまかせて組織化をさぼっている点で共通している。個人の才覚を「組織に落とし込む」ことができておらず、競争力が長期的に持続しない。
あなたの所属先が、カリスマ個人のビジョンを実現するためのベンチャーとか個人商店であるならそれでいい。カリスマが去ったと同時に解散するなり衰退すればいい
。しかし、多くの組織は、明日社長が死んでもサバイブし続けるサステナブルなものだ。であれば、個人の才覚は「あったらいいね」程度のものであり、個人の才覚がなくてもCompetitiveでなければ組織とは言えない。
トップが猿でも最低限の競争力は維持できる仕組みが整っているか?
後任が猿でも最低限の功績は出せるような体制整備は整っているか?
本来、「投資委員会」とか「取締役会」とかいった組織が決議すべきものが、実質的に社長とか株主とかの個人的な意思決定に依存してしまっていないか?
できる経営者を送り込んで、投資期間中に限定した競争力維持を意図してしまってはいないか?
投資ビジネスに携わる者として、長くとも精々数年間でのExitを基本とする者であるからこそ、自分はこういった持続性にこだわっていたいと思う。