2013-06-09

組織としての学習能力

最近、組織としての学習能力について考えを巡らせている。もっと具体的に言うと、

・我々はもっと部内の同僚の経験から学べるはずではないか。知識吸収ルートが、自分自身の経験か書籍か外部コンサル等かで、同僚からの学びというものが少なくないか

・かといって、社内イントラに何か経験に基づくメモのようなものがあがっていても、まあ自分自身読まないんだよな。コミュニケーションの問題なのだろうか

・自分自身の情報収集では限界に達し、なんとなく同僚に聞いてみたら「あ、それは経験あるから知ってるよ」という感じの「もっと早く聞いておけば」という経験。これは言い方によっては時間の無駄ということであるようにも思われるので、こういうことを極小化するためにはどうすればいいか

などといった問題について思案している。




今の時点でのなんとなくの整理は以下のような感じ:

・やはり、個々人の能力および意識の高さというものをある程度前提としておかないとやはり難しいか。学習意欲のない人を 勉強会などにInvolveさせようというのは本質的に難しいので。なので、組織としての学習能力向上のためには、まずその組織がある程度粒ぞろいの集団でないとそもそも厳しいかなとは思う。

・自前主義からの脱却は重要。いろんなところで、「自ら調べてナンボ」「自ら手を動かしてナンボ」という発想に触れるが、これはまったくもって組織的ではないと思う。顧客が頼りにしているのも自分自身ではなく自分自身が所属する組織なのであり、自分自身の個人的なパフォーマンスではなく、組織としてのパフォーマンスが問われるわけなので、組織として仕事をしないといけないのだと思う。まず最初に、「自分でやる」という発想を良い意味で捨てて、どんどん同僚の知恵を頼る方向に発想を切り替える必要があると思う。組織的学習能力という意味でも、組織としてのパフォーマンス改善という意味でも。

・自身の経験を、個別具体的な経験のまま放置せず、ある程度一般化しないと同僚には響かない。自分自身、同僚の経験それ自体にはあまり興味がなく、「同僚の経験を、自分の案件にどのように応用できるか」というところに興味があるので。そういう意味で、経験を経験のまま寝かせておくようなスタイルの人が多いチームだと、組織としての学習能力はなかなか改善しないかなと思う。

どこかの書物を見ても、共有すべきなのは個別具体的な内容というより、「こういったトピックを知っているのはどこの部署か、誰か」という知識のインデックス化が大事なのであって、知識のデータベース構築は二義的なものであるようだ。

・コミュニケーション面での工夫:他人が学習しやすいように、トピックを一般化・抽象化しつつ、その理解を助けるためのケーススタディとして経験を利用する。そういった最低限の工夫がないと、情報の伝達・組織としての学習はうまくいかないかな。

・情報共有を称賛する組織風土:とはいっても皆忙しいので、なかなかきっかけがない限り、自分の貴重な時間を、他人への情報共有に向けることは難しいだろう。Googleの20%ルールではないが、何かしら、情報共有したことをAppreciateするような組織風土や制度設計があると、やはり組織としての学習能力は高まるのだと思う。

まあでも、別に今の組織に一生お世話になることをコミットしたわけでもないので組織力の向上とか気にする必要もないのかもしれないんだけど。。。

Further Reading:

学習する組織の入門・・・有名なセンゲ教授のシステム思考を通じた組織としての学習論だが、いかんせん分厚すぎるので、リンク先の入門本でいったん十分と思われる
世界はシステムで動く・・・システム思考それ自体については、こちらの方がわかりやすい