2013-11-02

プロフェッショナル

「ぼくのかんがえるプロフェッショナリズムについて」という話。

プロの皆さん


留学から帰って以来、部署の職務内容のおかげだったり留学友達の関係だったりで、いわゆるプロフェッショナル(弁護士、会計士、コンサルタント、投資銀行のバンカー、PE)と仕事で関係する頻度が増えた。その結果、書くとなんとなく恥ずかしいのだが、プロフェッショナリズムというものについてかなり意識させられている。

以下には、プロらしさの構成要素として考えられるものについていくつか述べてみる。

スキル

ひとつわかりやすいものとして、スキルの高さが挙げられるだろう。M&A関連の契約に精通した弁護士、買収時の税務イシューに詳しい税理士、モデリングのスキルetc.やはり、そういったスキルを持つ人はプロであると感じる。

だが、スキルだけではプロフェッショナルという概念を説明しきれない気がしている。例えば、

  • スキルがあまり高くないアソシエイト級の弁護士やバンカーを見ても、それはそれでプロフェッショナリズムを感じるのはなぜか?
  • メガバンクの人とか、仮に特定の部署に長年所属していて当該分野に詳しかったとしても、プロと思えないのはなぜか?
など、スキルだけを変数としてもプロフェッショナルを説明しきれないように感じている。そういうことを感じるようになってからは、プロフェッショナルを構成するものとして、スキル以外に何があるか考えていて、例えば以下のようなものが挙げられるのではないかと思っている。

ルールを持っている

たとえばゴルゴ。依頼は複数抱えないとか色々な「My Rules」を持っており、かなり頑固にそのルールを厳守するし、相手にもそれを強いる。

思うに、そういった頑固さやルール一つ一つの是非自体がプロフェッショナルの本質とは思えない。単に頑固な人とか、それはむしろ柔軟性がないという意味でプロフェッショナルではないと思うし。

他方、「自分のルール=流儀をもち、それをApplyする」という方法論にはプロフェッショナリズムを感じる。なんというか、その場でスクラッチから「どうやってやるか」というところから検討されてしまうと、依頼する側としては非常に不安になってしまう。自分の考え方ややり方の引き出しをもっていて、カスタムメードが求められる現場においても、ゼロから考えるのではなく、既存の引き出しや流儀を適宜組み合わせつつ当てはめるような方法論を持つ人に対しては、自分はプロフェッショナリズムを感じる。

「そういうときは、定石としてはXXXという手法を使います」
「定石としてはXXXですが、状況の特殊性を踏まえ、やや応用になりますがYYYでやりたいと思います」といった感じで、当該分野におけるベース/引き出し/ルールを持っている人はプロ的であると思われる。

自前主義でない


アマチュアによくあるのは、何でもかんでも自分でやろうとして、結果として最善の結果に到達できていない人。

プロフェッショナルは、結果から逆算して、「誰にどう頼んだら、いちばんベストの結果になるか」という発想でやっている人が多い。「人に頼むことでプライドが云々」とか、「まずはできる限り自分でやってみて、どうしてもできないところだけ他人に頼む」とか言う発想は、新人研修的には有用な発想かもしれないが、プロフェッショナルとして高い報酬を貰うのであればそれは邪魔な発想だと思う。

ゴールに一直線

目的をきちんと見定めていて、常にそこへの最短距離を目指すような人には、プロフェッショナリズムを感じる。

換言すると、まず、目的が明確化されていない人はアマチュアを感じる。PJの遂行なのか、関係者のコンセンサス取得におけるソフトランディングなのか、自分のプライドの充足なのか、なんでもいいけど、そういった目的候補のなかのいずれを究極的な目標にするのかあいまいな人は、結果として行動もフラフラしており、アマチュアであると感じられる。

あるいは、目標と定めたこと以外に拘泥する人もアマチュアである。例えば
  • 相手との交渉の前に、どうしても一回事前ミーティングしておく必要があるが、交渉の日程が決まったのが前夜。当日の朝に事前ミーティングをする必要がある。そういうとき、プロは、無理やりにでもあるいは前夜の深夜にでも、電話か何かできちんとミーティングを行う。他方、アマチュアは、「日程調整が遅い」とか「俺は聞いていなかった」とか四の五の言って、結局ミーティングが開催されず、中途半端な交渉をして負ける。
  • PJのメンバーにアサインされた人。プロは、ゴールから逆算して必要になるタスクを速やかに洗い出し、それぞれのタスクを最適な担当者に振り分けることを考える。他方、アマチュアはその間、いかに「自分に振られることを回避するか」「自分に振られたとき、どうやって断るか」という自分の都合だけ考え続ける。
とか、要は、常にゴールオリエンテッドで考えることができる人はプロフェッショナルであると思う一方、「自分の利益」「プライド」「手続きの適切性」等、ゴール達成のための副次的な要素に過ぎないものにこだわってゴールに遠回りする人はアマチュアであると感じる。

ゴールに一直線、という肯定的な書き方をするとやや論点がぼやけるので、明確化を試みると、
  • ゴールへの最短距離でないものは、仮にそれがちょっと重要であっても、割り切って切り捨てる。アマチュアは、なんでもかんでも大事にして、メリハリを付けられず、結局すべて中途半端になる
  • 自分のつまらないプライドとか、手続き論とか、「てにをは」とか、そういうものを大事にはしても、優先はしない。アマチュアほど、そういった副次的なところに異様にこだわる。
といったあたりがゴールオリエンテッドと言うことかと思う。


スキルではなく、心持ち


まだまだ自分が若手であり、それゆえの青臭い議論かもしれないが、こうやって考えていくと、プロフェッショナルかどうかを規定する最重要要素は、スキルそのものではなく、その人の考え方(ゴールオリエンテッド、自前主義にこだわらない、etc)であると思う。

そこから敷衍すると、ローテンション人事でやっている日本企業においても、プロフェッショナリズムは十分持ちうるものであると思われる。スキルという意味では散逸してしまっていても、自分のプリンシプルを持ち、ゴールオリエンテッドで考えることができれば、それは筆者の定義ではプロフェッショナルなのである。

しかし、残念ながらローテーション人事の弊害なのか低い給料のせいなのか、どうも日本企業ではプロフェッショナリズムを持たないアマチュアが多過ぎる。顧客企業においても、自社においても。自分がアマチュアであることすら気づいていない人も多いように思われる。そういう意味で、自分は後輩を可能な限りたくさんプロフェッショナルの人たちに接触する機会を与えてやりたいと思っている。

Further Reading

グーグル人事戦略本・・・これを読むと、「昭和のアメリカ企業の人事戦略」と「平成のアメリカ企業人事戦略」が異なっていることがわかり、ステレオタイプから脱却できる。
他方で、おそらく「あ、これって日本だ」と安心してしまうのもおそらく違うのだろう・・・。