2017-01-21

ガードレール的コメント・障害物的コメント

最近他人の意見にコメントすることが仕事上増えてきている。

そのなかで「言ってくれてありがとう」と素直に聞き入れてもらえる時もある一方で、

ムカッとされて、とてもじゃないが聞く耳を持ってもらえないときもある。

うまくいくときと、そうでないときの差が結構大きい。

以下、どういうコメントがよくてどういうコメントが良くないのか等、「ガードレールと障害物」という発想で少し考えてみる。

事例

例えば新規案件の検討を始めるようなとき。Aさんの作った素案に対し、上司Bさんから色々なフィードバックやダメ出しをもらう事例を考えてみる。

上司Bさんのコメントが、「予算制約には気をつけろよ」とか「得てしてXXXというトラブル起きるから気を付けろよ」「クライアントはYYYを気にする」といったものであるとき、どうだろうか。

上司Bさんは、Aさんの素案に色々言いたいことはありそうだが、発言者Aさんの意見を頭ごなしに否定することはしていない。「反対はしないけど、XXXは論点なので気を付けてね」という構造。

この場合、発言者Aさんは、XXXという論点を気にしながらさらに前に進むことになる。その後、うまく論点をマネージしながらゴールに到達するか、あるいはXXXという論点を乗り越えられずに撤退することになるだろう。

仮にXXXという論点をうまくマネージしてゴールに到達できれば、それは上司Bさんの適切な助言のおかげでゴールが早まったと解釈できよう。あるいは、仮にXXX原因で撤退したとしても、Aさんは「Bさんにダメと言われたので諦めた」とふてくされるというよりは、「Bさんの指摘のおかげで、早めに諦めがついた」とある意味納得することができるだろう。

このようなBさんの意見(早期の論点提起)は、Aさんにとって
  • 規律付け
  • 制約条件の明確化
等の効果をもたらす。ある意味、道なき獣道を進もうとしているところに、上司Bさんがガードレールを敷設してくれるような感覚だ。

この結果、Aさんは、Bさんのコメントが厳しいものであっても、わりと素直に受け入れることができるし、何よりその後の作業が格段に進めやすくなるだろう。

ガードレールコメント

このようなコメントのことを、ガードレールコメントと呼びたい。

ガードレールコメントには以下のような特徴がある。

  • 結論には立ち入らない・・・YesかNoかの判断は避け(もちろん、内心「正直無理だと思うけど」等は思っても良いが)、あくまで、結論の手前にある論点のみを提示
     
  • 肯定文である・・・「XXXが論点だが、それに気を付けつつ進めてくれ」等、あくまで表面的な文の構造は肯定文。実際には、XXXに入る論点がクリティカルであれば「言い方は肯定文、事実上否定文」みたいなこともあり得るが、だからといって「XXXが論点だからダメ」と否定文で当事者の代わりに判断をしてしまうことはしない
     
  • 具体的である・・・相手が納得し、具体的にその論点に取り組んでもらえるような、具体的な論点を提示する。例えば
    ・相手が気づいていなかったような制約条件に気付かせる
    ・相手の知らなかった過去の経緯をシェアする
    ・過去にあった失敗例をシェアする
    ・その人が知らない他の部門や全社レベルの議論や事例を教えてあげる
    等。
このような性格を持つコメントはガードレールであり、相手の歩みを止めることにはならないし、もし止まるべきものであっても相手が自発的にその取り組みを中止することになる。

障害物コメント

これの対となるようなコメントのことを、障害物コメントと考えている。その特徴はガードレールコメントの逆であり、

  • 結論に踏み込んでいる
  • 否定文である
  • 抽象的である
等。

例えば担当者Cさんが、とっておきの企画書を役員のDさんに提案したところ、Dさんから「ダメだダメだ、こんなものは我々の方向性に合致していない!」と言われて却下されてしまったようなとき。

Dさんのコメントは「ダメだ」と結論に踏み込み、否定文であり、その根拠も具体的でない。その結果、CさんはDさんの趣旨を受け止めることができず、おそらく単に失望・苛立ち等だけを抱えてしまうことになるだろう。

両者の使い分け

平常時はガードレールコメントがベター

経験上、特に条件のない一般的な状況では、ガードレールコメントの方が「物事を前に進める」という点においても「相手に翻意を促す」という意味においてもベターではないかと思っている。

  • 頭ごなしに言われるよりは、自分で考える機会を得た方が納得感は高い
  • 否定形で言われると心理的に受け入れづらくなる
  • 具体的なコメントであれば検討が可能
といった感じ。

特に、コメントする自分の立場がそれほど強くないとき(例:拒否権がない・上司でない・部下である等)には、権威や権利をかさに主張することもできない。

そのため、北風と太陽ではないが、ガードレールコメントを通じて相手が翻意することに期待することになり、自分の腕の見せ所は「いかにして、相手が翻意しやすいような組み立てで喋るか」になろう。

障害物コメントが求められるとき

ただ、ガードレールコメント一本足打法では、少し不足することもあるのではないかと感じている。

  • 結論がどちらにも傾きうるような話・・・どれだけ論理的に論点提起したとしても、答えが明確でなく白とも黒ともなり得る話であれば、ある程度障害物コメントにより頭ごなしに話す必要があるときがある。ただし、これをやっていいのは、権力や権利をもった立場に限られ、そのようなパワーがあるわけでもないのに頭ごなしに障害物コメントをやってしまうとやっぱり有効でないと思う。
     
  • 組織が「空気」に支配されているとき・・・たとえば戦時の日本軍。えも言えない「空気」に組織が支配され、もはや進まないわけにはいかない、今更立ち止まれないという空気が場を支配しているようなときに、ロジカルに論点提起したところで組織は方向転換することはできなかっただろう。このようなときには、トップがぐいっと結論まで踏み込むことが求められよう。
    これに限らず、組織が何らかの「空気」に支配され問答無用モードになってしまうことは決して少なくなく、このような時にまで無邪気に「正論を言えば通る」と言うのは実務的ではないと思われる。