そんな中で、
「自己満足を交渉のゴールにしてしまう」
「問題の解決そっちのけで、満足して気持ちよくなることを無意識に追及してしまう」
という自己満足症候群は、数あるクセのなかでも一番まずい悪癖なのではないかと思っている。
- 自己満足症候群とは何だろうか?
- それは、どうしてまずいのだろうか?
今回は、その辺について書き散らしてみる。
自己満足中毒者の特徴
「交渉の最優先ゴールは?」と聞かれて「自己満足です」と答える人はおそらくいないだろう。
普通の人は、「希望する条件の獲得」等、課題解決がゴールであると言うと思う。少なくとも口では。
ただ、発言と行動は一致しないものだ。
結構な割合の人が、口では課題解決が最優先であると発言しておきながら、いざ交渉が始まると全然違う行動を取る。
すなわち、課題解決を第一義に置いているとはとても思えないプレーに走り出し、
「スッキリすること」
「嫌われないこと」
「相手にYesと言ってもらうこと」
等、すなわち、行動を見ると、自己満足を最優先にしているようにしか見えない人は少なくない。
たとえば
- 問題解決につながらない、レベル・位相・文脈等がずれたコメントを、「俺がそう思ったから」という理由で堂々言い出す
- 「自分の話も聞いてほしい」「私の気持ちも理解してくれ」と常に自分オリエンテッドで話そうとする
- 相手にしゃべらせず自分ばかり喋りっぱなし
- 「俺はただ、理解したいだけなんだ」と、全てを理解したがる
等。
こういった言動は、自己満足にはつながるかもしれないが、ほぼ確実に、交渉相手の心理に好影響を及ぼさない。
むしろ「この相手は、独りよがりである」と思わせるだけで、交渉相手としての心証を損なうだけだろう。
むしろ「この相手は、独りよがりである」と思わせるだけで、交渉相手としての心証を損なうだけだろう。
この癖の何が一番まずいかというと、そもそも悪癖であることを自覚することが難しいという点にあるように思う。
後述の通り、殆どの心理的なクセ・バイアスは単に自覚するだけで半分以上解決の道筋をつけることができる。
しかし、この自己満足症候群は、自分で気づけないので、改善できないのだ。
後述の通り、殆どの心理的なクセ・バイアスは単に自覚するだけで半分以上解決の道筋をつけることができる。
しかし、この自己満足症候群は、自分で気づけないので、改善できないのだ。
自己満足プレーに陥らないために
この手の「人の思考・行動のクセ」系の話は、実はその処方箋はいつも同じだ。
すなわち
- ゴールの明確化:目先の感情に支配されないよう、ゴールを明確化する
- バイアスの理解:自分のなかに存在する癖・バイアスを直視する
という課題発見の2大対策さえできれば、8割がた、その課題の解決策はおのずと見つかる。
ここでは、この2大対策について説明した上で、解決策の例として2つほどアイディアを紹介する。
ゴールの明確化
交渉に向けた目的が不明確だと、どうしても知らず知らずのうちに自己満足に傾きがち。自己満足プレイの原因の多くは「交渉の目的を、腹の底レベルでは理解できていない」ことにある。
交渉の目的を明らかにするといっても、単に「これが目的」と言うだけでは足りない。
単に「目指すこと」を明確化するだけではなく、目指さないこともセットで明確化しないと、ゴールの絞り込みはできていない。
たとえば
「この交渉では、目先の不快感を覚悟してでも、XXXを獲得したい」
と、何か劣後する概念(自己満足とか)との対比で、目的を定義・明文化して、初めてトラップに陥る可能性を低減できる。
ほしいものを決めるだけではなく、そのために捨てるものまで決めて初めてゴール設定と言える。
自己満足バイアスの自覚
人間なので、よほどしっかり意識しないと、知らず知らずのうちに自己満足を求めてしまう。交渉やコミュニケーションや認知心理学系の多くの話がそうであるが、こういった問題の解決策として一番手っ取り早いのが「己を知ること」。
思い込みへの対処法は「己の無知を知ること」だし、認知バイアスへの対処法は「バイアスの類型と、バイアスに支配されがちな己を知ること」。
交渉における自己満足バイアスへの対処法も、まず第一に、自己満足へのバイアスを有する自己を直視することだ。
「交渉は意見を言う場だ」という思い込みからの脱却
交渉は、(最後の最後で、双方調整の余地がなくなりゼロサムゲームになることもあるが、)少なくとも序盤から中盤にかけては、双方の相違を見つけ、そこから折り合える部分を探すプラスサムゲーム、一種の共創フェーズが殆どだ。ゼロサムゲームでは「奪う」「主張する」といったことが大事になることもある。
しかし、プラスサムゲームでは全く逆だ。
すなわち
「相手といかに深い信頼関係を構築できるか」
「いかに相手を気持ちよくさせることができるか」
次第で、共創できるものの質・量が大きく変わってくる。
そういった共創フェーズでは、反論や自己主張等は、相手との信頼関係悪化に寄与する悪手である。
反論する暇があれば、相手の意見を復唱するなどして、「相手のことを理解しようとする姿勢」を示す方が数段実務的だ。
自己満足のために意見を言うことは、共創フェーズにおいては自殺行為だ。
「全て把握しないといけない」という思い込みからの脱却
何かを複数人で決めようとするときに「俺はすべてを理解しておく必要がある」
「関係者の理解を揃えたい」
と思ってしまう人が多いが、これは自己満足症候群への入り口だ。
(ダイバーシティを意識する機会の乏しい画一的な日本企業で特に多い印象)
組織、複数人で仕事をする以上、本質的に、情報や経験に個人差・役割差があって然るべきだ。
もちろんある程度情報量を揃えないと議論にすらない側面はある。
しかし、情報は、必要最低限だけ揃えればよいのであり、完全に揃える必要はない。
むしろ、完全一致を目指すと、複数人で仕事をする意味がなくなってしまう。
「情報量や価値観をそろえることで導出される、画一的なアウトプット」にはあまり価値はない。
むしろ「情報量や価値観や役割が異なる複数人が集まった結果できる、各自の専門知識の集合体」に、組織としてのアウトプットの価値がある。
「お前は俺に全ての情報を与えるべきだ」というのは、複数人で仕事するにあたってそもそも正しくないし、自己満足症候群につながる危険な悪癖であろう。
参考:
知ってるつもり・・・「無知を知る」という観点で非常に有益な書籍。手を変え品を変えその問題や構造を説明してくれるので、考えるにあたっての基盤をつくることができる。