2019-06-09

正論を伝えたいからこそ、正論を安易に口に出さない

この週末、『人望が集まる人の考え方』(リンク)を読んだ。

およそ仕事で対人関係をうまくマネージしようと思っている人にとって「基本のキ」的なことがうまく整理されていて参考になった。

今日はその中から、「正論を伝えたいからこそ、正論を言わない」というポイントについて、自分の感想も混ぜつつ紹介しておきたい。



「正論を伝える」と「正論を言う」の間のトレードオフ



本書で指摘されている重要なポイントの一つに、「正論」を伝えることの難しさがある。

すなわち、相手に正論を理解してもらうためのアプローチとして、「正論を主張する」というやり方は有効でないということだ。

むしろ最悪の一手であるとも言える。

というのも、正論を言えば言うほど、相手はあなたに対して心を閉ざす

正しいと思うことをズバリと主張することは、数ある「説得のためのアプローチ」の中でも最悪の手段の一つなのだ。

以下、その理由について、順を追って書いてみたい。


ロジックとデリバリー


本書はコミュニケーション論であり、人間を感情的な生き物として(=徹底的に合理的な、ホモ・エコノミカスではないものとして)捉えている。

そのような世界観においては、主張の中身(ロジック)だけではなく、メッセージの伝え方(デリバリー)も、結果を左右する重要なファクターとなってくる。

すなわち、ロジックとデリバリーの両方をちゃんと整えないと、相手にメッセージが伝わらないということ。



仮にあなたが、「王様は裸だ」という主張を皆に伝えたいと思ったとする。

理論上の世界においては、「王様は裸だ」と真実(ロジック)を口にすれば、それで皆が一発で納得してくれるだろう。

しかし、現実の世界においては、相手は、ロジックだけではなくデリバリーからも影響を受ける。従って、「王様は裸だ」というロジックだけではなく

  • それを誰が言うのか(あなたが直接?偉い人に代わりに言ってもらう?)
  • いつ、どのような局面で言うのか(今すぐ?皆がうすうす気づいてから?)
  • どこで言うのか(日常?王様が行進する大事な日?)
  • どのような伝え方で言うか(ダイレクトに直言?それ以外のやり方?)
など、デリバリーまで考えないと、下手をすると誰も信じてくれないことになる。


正論をズバリと言われると、相手はふつう反発する


ロジックだけではなくデリバリーまで考えねばならないコミュニケーションの世界。

そのような世界観においては、「正論をズバリと言う」というやり方は、最悪の選択肢の一つだ。

人は、仮に自分が間違っていたとしても、「あなた、間違ってますよ」と言われて素直に「あ、すいません」と考えを瞬間的に変更できる人はそうはいない。

むしろ、メンツを潰されたとか、プライドを傷つけられたといった気持ちになり、

「言いたいことはわかるけど、でも、イヤだ」と却って頑なな態度を取りたくなってしまう傾向がある。

もちろん、素直に「あ、すいません」と頭を切り替えることができる人はいる。

また、リーダーシップの教科書などを見ると「リーダーたるもの、部下からの意見をちゃんと聞くべき」という教訓論はたいてい書かれている。

しかし、「立派な人間は、正論であればそれを受け入れるべき」という規範論・べき論と、「人は、普通は、正論をズバリと言われてしまうと、却って心を閉ざす」という記述論・である論は、分けて考えるのが有効だ。

すなわち、べき論はもっぱら自分向けに限定するのが望ましく、他人に対してべき論を強いてもロクなことはない

良くも悪くも、普通は、人はダイレクトに意見を言われると、それが正しかったとしても、心を閉ざしがちなのだ。

従って、自分に向けた規範論としては「正論を言われたら、ぐっとこらえて、相手の意見を受け入れるべき」であるが、他人にそれを求めてはいけない。

他人に対しては「人はズバリと言われると反発心を抱いてしまうので、正論をズバリと言うことは避ける」ということが非常に重要になる。



道理を引っ込めろというのか?いや、違う、むしろ逆


こういう議論をすると、血気盛んな若手とかから

「それじゃ、長いものに巻かれて、自分の意見を封印しないといけないのですか」とか

「言いたいことも言えないなんて、仕事ってそういうものじゃないのではないですか」

といった批判の声が想定される。

しかし、本書あるいは自分がここで言っていることは、そういった「意見を封殺せよ」というものとは180度逆である。

ここで本書あるいは筆者が目指しているのは、そういった意見を感じる各位と同じだ。

すなわち

「正論を、ちゃんと、相手に納得させること」あるいは

「正論を伝えること」である。

その点は全く共有している。

本書は、それを達成したいからこそ、アプローチを工夫しようよ、ということを主張している。

すなわち、「正論をちゃんと伝える」という目的を達成するためのデリバリー手段の中では、「正論を無邪気に主張する」というやり方が最低な選択肢の一つであることを理解する必要がある。

正論を伝えたいからこそ、正論を安易に口に出さないことが大事なのだ。

むしろ、正しいデリバリーを身に着ければ、今以上に正論を実現できるようになる。

こうやって書くと禅問答みたいだが、正論を安易に口に出すのを我慢すればするほど、その正論はうまく伝わり、あなたの構想は実現しやすくなるのだ。

正論それ自体を封印したくないからこそ、正論を安易に口に出すことを我慢しよう」というのが、本稿のメッセージだ。



正論を安易に口に出すのがNGなのはわかった。では、どうすれば?


正論を正しく相手に納得してもらう、すなわち正論を「伝える」ためのアプローチは、それこそ本書を是非参照してほしい

一言でいうと「相手の自尊心を満たすように、よく考えてデリバリーする」ということになる。

もちろん、具体論にブレイクダウンすると、色々な観点があり、それは本ブログで紹介するにはやや紙面が足らない。

いずれにせよ、「相手の自尊心を満たすようなデリバリー」と言うデリバリーの文脈では、「正論をズバリと言う」というアプローチは、最低のものの一つであることは覚えておいて損はないだろう。

実務の現場を見渡すと、けっこうな頻度で
  • 正論を無邪気に主張し、
  • それがデリバリー方法として下策であることを理解できておらず
  • 「正しいことを言ったのに、わかってもらえない」と、自らのアプローチ未熟を顧みず、相手や周囲に逆恨みする
という悲劇が起こっている。これは簡単な工夫で解消できるものなので、是非本書を手に取って学んでみるのが良いと思う。



Appendix:「正論」って何?


本来、「正論」というが、正しさはあくまで相対的なものとも言える。

本書も、正しさが絶対的なのか相対的なのか?という点には立ち入っておらず、素朴に

「自分にとって正しいと思う『正論』を、相手にうまく伝えるためには、どうすればいいか?」

と、もっぱらコミュニケーションの観点において議論を展開している。

なので、「正論」と注釈なしに書いてしまっているが、一般化して言うと「自分が正しいと思う意見を、相手にも理解してもらう」という意味合いで理解していただきたい。