2019-07-06

理想と現実のギャップ、と効率的市場仮説:「現場は正しい」というコンセプトについて

よく、仕事していると、

「本来はXXXであって然るべきはずなのに、現実はそうなっていない。変だなぁ」

と、現実にフラストレーションを感じることはないだろうか。

あるいは、さらに極端に

「現状は変だ!間違っている」

と憤りを感じることなどはないだろうか。

本稿では、そういった「理想と現実のギャップ」に直面したときにどう考えるのが良いか、ファイナンスの世界での有名なコンセプトである効率的市場仮説を使いながら考えてみたい。

なお、本稿は、Skin in the game (リンク)に触発されて書いている。全体を覆う世界観は、Talebを想像してもらうと理解しやすいかもしれない。

(追記)Skin in the gameの邦訳版が出たので、むしろこちらを読むことをお勧めします。
身銭を切れ 「リスクを生きる」人だけが知っている人生の本質(リンク)





効率的市場仮説


効率的市場仮説それ自体の説明は、深すぎて本稿の紙幅/筆者の能力を超える。なので、本稿での議論のために簡略化すると、マーケットは正しいというのが効率的市場仮説のコアコンセプト。

仮に市場におけるX社の株価が999円であったとする。仮にあなたの試算株価が1500円であっても、効率的市場仮説の考え方によれば、現実の株価である999円は正しいということになる。

市場が正しいという理解のもと、実際の市場価格から逆算して、期待成長率やボラティリティ等、その結果が含意するインプライドの指標を逆算するといったアプローチも行われている。



効率的市場アプローチ


効率的市場アプローチの定義

いま、効率的市場仮説に基づく頭の使い方、すなわち効率的市場アプローチというコンセプトを以下のように定義したい。

すなわち、

「ひとまずは市場が正しいと考えてみた上で、自分の試算を見直してみよう」という発想で、現実の市場データと突き合わせる形で自らの計算を見直すアプローチ

を、効率的市場アプローチと呼ぶ。


効率的市場アプローチとファイナンス実務


効率的市場アプローチは、ファイナンスの現場では、主に2種類の使い方がなされている。

まず第一に、Relative Valuation、すなわち、市場データから起算する形で特定企業の価値を評価するようなとき。

あなたが、ある化学メーカーA社のバリュエーションをしている状況を考える。

業界平均P/Eが20倍であったときに、あなたはA社の評価にあたり、業界平均P/E20倍を用いるだろう。

この作業の裏には、暗黙に「業界平均P/Eの20倍は正しい」という効率的市場仮説が利用されている。

効率的市場アプローチが使われる第二の事例は、試算モデルのキャリブレーション

あなたがDCFを用いて、A社の株価を750円と試算したとする。これはP/Eで言い換えると12倍であったとする。また、業界平均P/Eが20倍であったとする。

このとき、

①業界平均P/Eの20倍と比べて「A社は割安だ!」と結論づけてA社株を買う

という理論先行型アプローチと、

②業界平均P/Eの20倍を観察して「自分の計算が間違っているのではないか」と考え、計算モデルの見直し(キャリブレーション)を行う

という現実先行型の2つのアプローチがあるが、後者は効率的市場アプローチと言える。



効率的市場アプローチは、効率的市場仮説を100%正しいと仮定しない。

効率的市場仮説を意識した思考回路をとるだけであり、むしろ、結論として市場が間違っているという判断をする(効率的市場仮説を否定する)こともありうる。

発想の取っ掛かりで効率的市場仮説を用いるだけであり、当該仮説が正しくても正しくなくても、アプローチは価値中立的であり、実務上利用はさまたげられない。

ポイントは、市場データを無視して「俺の計算上、株価は500円だから株価は500円になるはず」という独善的なことは言わないということ。

まずは「今の株価はどうかな」と市場データの観察から始める点が、効率的市場アプローチのポイント。最終的には市場が正しくなくてもいいが、まずは市場の観察から始める。


ファイナンスを超えて:効率的「現場」アプローチ



効率的市場アプローチのキモは、「理論に走る前に、まず現実を見よ」と言うコンセプトだ。

これは、ファイナンスの世界を超えた領域においても応用できる発想だ。


以下、ファイナンスを超えて汎用的な意味合いを持たせるため、それを効率的現場アプローチと呼びたい。



効率的現場アプローチのステップ①:まずは「現場は正しい」という発想から、現場の理解に努める(頭ごなしに現場を否定しない)


例えば、あなたがコンサルタントや投資家としてとある企業を観察したときに、あなたの常識感覚では到底理解できないような非合理的な慣習があるような場合を考える。

たとえば

「稟議書に押される無数のハンコ」

とか

「ボトムアップが過ぎて、トップが何も判断していないように見える」

とか

「いまだに男性社員ばかり」とか。

「いまどき、それは、いくらなんでも変じゃない?」という事例は多くの組織にまだまだ多い。

このような状況に直面したとき、あなたはどう振る舞うだろうか。



まず、逆の発想、理論主義アプローチから紹介すると、

理論主義アプローチでは、コンサルタントであるあなたは「現状は間違っているあなた方はXXXに改めるべきだ」と主張することになるだろう。

すなわち、理論主義アプローチでは、「現場」と「あなたの理論」の間にズレがあった場合、「あなたの理論」を優先して議論する。

わたしの理論が正しい、現場はおかしい、よって、あなた方の現場は修正されるべきだ

というのが理論主義アプローチの基本発想になる。



次に、効率的現場アプローチではどのようなアプローチになるだろうか。

効率的現場アプローチでは、「少なくとも当初は、現場から始めよ」というコンセプトに従う。

すなわち、まずは

「現場で起こっていることには、仮にそれが変に見えても、なんらかの合理性があるのではないか」

「現場でそれが起こっている以上、たとえどれだけ変であったとしても、いくつかあるナッシュ均衡のひとつなのではないか」

と考える。

その上で、

「なぜそのようなことが起こっているか」や

「どうすれば、より良い均衡点に移ることができそうか」

について、必死になって理解しようとすることになる。

経営幹部に男性しかいなくても、第三者には理解不能なしきたりが残っていても、その事象があなたにとってどれだけ変であっても、

まずは

「現場でこれが生じている以上、そこには、少なくともその組織の中においては、一定の合理性があるのではないか」

と考えるのが効率的現場アプローチ。

効率的現場アプローチでは、まずは一度、起こっている現実を、丸呑みはしないにしても、理解しようと努める。

頭ごなしに「現場は間違っている」として「正しい施策」を押し付ける理論主義アプローチの真逆になる。


効率的現場アプローチのステップ②:「それが起こる構造」を理解した上で、起こっている事象ではなく、その手前にある構造に手を付ける


効率的現場アプローチに基づき、「なぜ、そのようなことが起こっているのか?」について観察することで、「それが起こる構造要因」を理解するよう努めたい。

たとえば「経営幹部が男性ばっかり」という事象であれば、

①その会社が生え抜き社員を育成するスタイルであり、その昔にはそれほど多くの女性総合職を採用できていなかった

②職場環境がボーイズクラブ的で、女性が長期にわたりキャリア構築することが難しい

③たまたま、その会社の女性総合職が能力に恵まれない人が多かった

等、会社によって様々な「理由」が見えてくるだろう。

たとえば②を例にあげると、

仮にその会社の社風がボーイズクラブ的であれば、それを改善しない限りは、「女性幹部が少ない」のはむしろ自然であろう。

そのような構造があるなかにおいては、女性幹部の少なさは、むしろ「合理的になってしまっている」と言える。

このようなとき、「経営幹部に女性が少ないのは、正しくない」という理論主義アプローチで臨んでしまうと、

女性幹部が少ない構造要因への対処、すなわち「根治」がされないまま、

表面的な「目先の女性幹部を増やす」みたいな施策がとられることになる。

これだと、構造要因が根治されないので、施策に継続性がない。

加えて、その施策が動態的に何らかの副作用をもたらすことになるので(例:男性社員が士気を落とす)、トータルではマイナスの効果になることが多い。

すなわち、何か問題が起こっているときに、現場から入らず「理論」から入り、構造要因を踏まえない表層的な施策をやってしまうと、その施策は中長期的に有効でないだけでなく、思わぬ副作用を生んでしまうことが多い。

対して、効率的現場アプローチに立つと、本事例における構造要因である「ボーイズクラブ的文化」の是正に着手することになる。

言い換えると、女性幹部の数をいきなり増やすことはしない。

ボーイズクラブ文化自体は、女性も採用していることを踏まえると、実際に是正すべきものであろう。

その意味において、現場の観察は行っているものの、この効率的現場アプローチは、「現場が正しい」という仮説を所与としているわけではない。

まずは現場から始めるが、現場と心中しているわけではない


なぜ効率的現場アプローチが大事なのか?


この「一旦は、現場を理解しようとする」という姿勢、すなわち効率的現場アプローチは、組織変革の実務においては非常に重要だ。


理由①得てしてあなたの「理論」は、現場の観察がないなかでは、ほぼ確実にハズれている


現場を見て自身の理論のたえざる改善をすることなしに、理論の精度は上がらない。

間違った処方箋を出してしまうと、得てしてその効果は長続きしないし、下手をすると副作用が出てトータルでの効果はマイナスになってしまう。

「なぜ、そのようなことになっているのか?」を現場に根差して理解しないと、正しい処方箋は出せないと考えておいた方が実務的だ。

表面的に起こっている事象を見て「けしからん」と言うだけでは、あなたの仮説は十中八九、単なる妄想だろう。


理由②仮にあなたの「理論」が正しいとしても、その一方で現場「も」正しいことが多い

「現状」と「あなたの考える理想」があったとする。理由①では「あなたの考える理想」がハズれている可能性が高いと書いたが、

この理由②で書いているのは、「あなたの考える理想」が正しいとしても、現状「も」、それはそれで正しいことが多いということ。

およそ殆どの現場は、囚人のジレンマのようなナッシュ均衡が複数ある状態になってしまっている。

過去の経緯により、不幸にして「イマイチな方のナッシュ均衡」で落ち着いてしまっていることが多い。

現状が「ハズレ」であなたの理論が「正解」であれば、なんらかの施策をすれば組織が「正解」すなわち均衡点に移動していくかもしれない。

しかし、多くの現場で起こっている問題は、「複数ある均衡点の1つ」に落ち着いてしまっていることの方が多く、単に「こっちが正解だよ!」と正論をいっても、いまの均衡点からまた別の均衡点への移動は簡単には起こらない。

効率的現場アプローチを理解できていないと、「正しさが複数存在する」ということをうまく理解できない。それゆえ、現状を「均衡状態」ではなく「間違った状態」と誤解してしまい、空振りの施策を繰り返してしまうだろう。

「現状は現状で、一種の均衡状態である」と言う発想がないと、組織変革のパフォーマンスは半分以下に低下するだろう。

閑話休題だが、筆者の観察する限り、頭がいい人で、作業をやらせたらピカイチの人が、それにもかかわらず組織変革に苦労するようなときには、その要因第一位は「現状を、一種の均衡点ではなく、ズレた状態と誤解している」であるように思う。要は理論主義に陥っている。 
ちなみに第二位は「理屈は正しいが、それを実践してナンボと言う点に気づけておらず、理屈を叫んだだけで終わってしまっている」点であるように見ている。 
組織変革とは、たいていの場合は、「ズレを直す」ものではなく「各種経緯の結果、パレート劣位なナッシュ均衡Aで安定してしまっている状態を、何らかの刺激を通じ、パレート優位なナッシュ均衡Bに遷移させる」ものであると考えておいた方が現実的だ。 
アメリカ人がヤードポンド法を使うことを「ズレ」と思うか「それはそれで、一つの均衡」と思うかという話であり、「お前ら、ズレてるよ」と言っても、何も変わらないだろう。

由③「理解しようとする姿勢」それ自体が、現場を動かす原動力になる


英会話でいうYes but論法に近いコンセプト。

頭ごなしに

「お前は間違っている。よって、改めよ」

と頭ごなしに言われるのと、

「確かに、これまではそのようなやり方になるのは理解できる。しかし、さらに成長するためには、違うやり方でやってみないか」

と現状への理解・共感から始まる議論をされるのでは、受け手たる現場としては、変革を受け入れる度合いは大きく異なるだろう。