2017-02-04

カスタマーファーストを超えて

自分はどうもひねくれているのか、「カスタマーファースト」とか「顧客本位」みたいな言葉に苦手意識がある。

どうも、そういった言葉を聞くとムズムズしてしまうというか、どうも心理的抵抗感を感じてしまう。

なぜそのようなもやもや感を感じてしまうのか?その辺について、少し自分なりに整理してみる。



ここでいうカスタマーファースト


まずは、ここで批判する「本稿におけるカスタマーファースト」について、以下のように定義しておきたい。

本稿では、カスタマーファーストを、以下のように定義したい。

(1) 顧客のニーズを理解して、それを満たすようなプロダクト/サービスを提供することを

(2) 何よりも大事である/経営者の一番の仕事である/従業員の最大のミッションである/etc...とする考え方

明確化しておくと、これは「カスタマーフォーカス」とは別のコンセプト。

カスタマーフォーカスは、自分の定義によれば、上記(3)から「best」とか「first and foremost」みたいなニュアンスがなくなったもの。



批判1:本当に他と比較した上で最優先と言っているのか?


自分問題意識の1つ目は、「顧客は本当にいちばんと断言できるのか?」という点。

ビジネスをやっていくなかでは、様々なステークホルダーが存在している。従業員・顧客・仕入先・株主・銀行・周辺住民・規制監督当局などなど。

たしかに顧客を大事にした方がうまくいくことは多いとは思うものの、そこまでノータイムで「顧客がいちばん優先です」と言うことって、果たしてそんなに簡単だろうか?

熟達した経営者や敏腕営業マンとかが、長い経験の末に「やっぱり、顧客を最優先と思っておく方が良い」と長年の経験の末に言うならまだわかる。

だが、たいして経験があるわけでもない人とかが、たいした検討をしたわけでもないのに「顧客が一番」と言うのを見ると、非常にムズムズしてしまう。

自分の肌感覚では、顧客第一という人の9割は、「ほかのステークホルダーを考慮してもなお顧客が第一」という意味ではなく、「なんとなく、顧客は大事」くらいの意味合いで言っているように思えてならない。

「顧客が大事」ということであればわかる。でも、それと「顧客が一番である」は別ではないだろうか。カスタマーファーストとカスタマーフォーカスは別だと思うのだ。

「大事」と「一番」を無批判に混同するその思考の浅さが、自分にはどうしても気になってしまう。

それってただの想像力の欠如か、あるいは言葉を厳密に考える能力不足のあらわれではないだろうか。

リーダーにとって最も大事な資質の一つである「言語化能力」「言葉への鋭敏さ」が足りないのではないか?

およそ現代の企業で経営者やマネージャーをやるような人であれば、それなりに知的能力は高いはずだ。

そうであれば「顧客のことを考えたら、ほかに頭が回らない」なんてことはありえない。顧客は大事にすべきだが、絶対的に最優先すべきものとまでは言えないのではないか。

さぼらずに、顧客以外のステークホルダーのことも考えて、「全部をひっくるめた上での最適化」をやるべきではないか。

そう考えると、カスタマーファーストという言葉には「顧客のことを考えていれば、そこから先は思考停止してよい」という知的サボタージュを感じてしまい、抵抗感を感じている。

この思考停止が最悪の形で顕在化したのが電通の新入社員自殺であるように思っている。

顧客はもちろん大事だが、従業員もやっぱり大事なわけで、本当に管理職がそこで頭を使っていれば、こうはならなかったのではないかと思っている。



批判2:今の時代、勝負所はむしろ競合じゃないかしら


このように、自分は、顧客以外のステークホルダーも最大限考慮した上で行動の最適化を図るべきであると感じている。

それで具体的に考えてみると、今の世の中、顧客も大事だけど、勝負が決まるのは顧客への配慮というよりはむしろ競合への配慮ではないかと思う。

調べれば何でもすぐわかるし、作ろうと思えば何でも作れてしまう今の世の中。カネも余っており、何かを作る原資集めに困ることもない。マーケティングリサーチだっていくらでもできてしまう。

そのような社会では、「顧客のニーズに合致したプロダクト」などむしろコモディティで、それだけではとてもじゃないけど勝負にならないように思う。

ウェブサービスだって、家具だって、洋服だって、簡単に作れてしまうので「顧客のニーズを満たしている」だけでは全然差別化できない。

ひと昔前であれば、資金とか技術とか情報流通速度とか、いろいろな制約があったので、顧客のニーズを満たすプロダクトを作って適切なマーケティングにより顧客に届けることさえできれば良い時代もあったのかもしれない。でも今はそれだけでは勝負の入り口に立っただけだと思う。

顧客のニーズを充足することは、プロダクトが成功する入口に過ぎず、最大の勝負所は、いかにして競合との争いのなかでそのプロダクトを勝たせるかだと思う。

なので、顧客満足の理解や充足といったところで止まっていてはダメで、むしろフォーカスすべきは、競合の弱みを理解することとか、自社プロダクトをうまく相対的に浮かび上がらせるようなマーケティングを行うとか、そういったことではないだろうか。

そう思っているので、いまの時代に「顧客第一」とか言っているのを聞くと、ゲームのルールが変わっていることを自覚できていない古い印象を持ってしまう。


批判3:顧客を大事にしていない奴に限ってカスタマーファーストと言う


自分が穿った見方をしすぎかもしれないが、顧客第一という言葉にあぐらをかいて、むしろ自分のために顧客第一をやっている人も結構多いように思う。


実は「ステークホルダー全体を考慮に入れて、自らの目的関数をきちんと定義して、その最適化を行う」というのは結構難しい。毎回各人が都度そんなことを考えていたら疲れてしまうのは理解できる。

そういった難しさがあるからか、顧客第一と言う人の結構な割合は、自分が思考停止を正当化するための言い訳としてカスタマーファーストを悪用しているように思う。

顧客利益最大化が自らの利益最大化につながるという信念でそう振舞っているというよりも、「カスタマーファーストと言っておけば文句ないでしょ」といった「思考停止の言い訳」「逃げの正当化」としてのカスタマーファースト。

そういった人は得てして、自らの所属先の利益を犠牲にしてまで顧客の言うことを丸のみしたり、顧客が誤解に基づいて微妙な注文をしたときにも平気でその間違った注文を執行してしまったりする。

「とにかく、何も考えずに、顧客に言われたことをやることが絶対的に大事」みたいな発想。このように、思考停止する自分を正当化する言い訳としてカスタマーファーストという言葉を悪用する奴は、むしろ顧客を大事にしていないと思えてならない。



批判4:顧客の行動や言動だけでは足らない


ここまでは、主に定義の「一番」というところについて批判を行ってきた。

ここでは、定義前半の「顧客のニーズ」なるものもそこまで単純ではなく、「言われたことをやる」ことは顧客のニーズを満たすことに必ずしも直結しないということを述べてみたい。

マーケティングの世界でよくある話に、「大事なのは、事実ではなく、相手がどう知覚したか」というものがある。

たとえ1億円の価値がある宝石であっても、顧客に石ころに見えてしまうのであれば、そこで大事なのは「顧客には石ころにしか見えていないこと」であり、本当は宝石であろうがなんだろうが、それは売れ残るであろう。

似たような話として、「大事なのは、顧客が明示的に示す要求や行動ではなく、そういったものの裏にあるニーズ」という発想がある。あるいは「顧客は意外と自分のことをわかっていない」という発想。

たとえば、大規模な海外M&Aの検討をしたいから手伝ってくれと言う企業経営者に対し、M&Aバンカーができる本当の貢献は、実はM&A検討支援というよりも、「そんなリスキーなこと、もっと地に足つけてやるべきですよ。少し待った方がいい」と箴言することかもしれない。

あるいは、「ステーキ」と検索した結果、検索行動を補足・分析したGoogleがひたすらステーキレストランの広告を表示するようになるかもしれないが、実はその人が本当に求めていたのは、友達と少し贅沢な時間を過ごせる場所でありステーキはその一例に過ぎないかもしれない。

このように、表面化するニーズや行動は、顧客の本質的なニーズと少しずれているかもしれないし、場合によっては「本当に顧客にとって望ましいもの」と矛盾している可能性すらある。

それゆえ、本当は、そういった行動や言動に加えて、顧客の状況や文脈等も踏まえつつ最適なプロダクトや提案をオファーすること(広義の顧客本位と呼ぶ)こそが顧客本位であると思われるが、得てして、(特に、批判3で挙げたような思考停止系の人が、)盲目的に「言われたことをやろうとする」ところがある。

これを狭義の顧客本位と呼ぶことにすると、

・広義の顧客本位は、批判1-3はあるが、まあ妥当だと思うが、

・狭義の顧客本位は、むしろ害悪である

と思っている。


実はアドネットワークやAIなんかも同様の問題をはらんでいると思うが、顕在化した行動や言動だけを分析しても、あるべきソリューションに到達することはなかなか難しいことも多いように思われる。

うっかりエッチな記事のリンクを押してしまった人が、その後どのサイトに行ってもアダルトな広告バナーに追い回されて不幸になるといった話はその一例だ。


まとめ

カスタマーファースト、絶対反対ではないけど、以下の問いは胸にとどめた上で口に出したいと思う。

・従業員とか株主とかのステークホルダー全体を考慮してもなお顧客第一なのか?それってそこまで自明的・絶対的にそうなのか?部下の残業が100時間超えてもなお顧客を大事にしないといけないのか?


・顧客第一にしても今時競争に勝てなくないか?顧客を大事にするのはスタートラインでしかなく、その上で競合にどう勝つかまで考えなくていいのか?


・顧客第一というシュガーコートされた言葉に寄りかかって、自分の思考停止を正当化していないか?顧客の無茶を聞いて勤務先や部下に害をなしていないか?顧客が間違ったことを言っているときに「間違ってますよ」と指摘してあげているか?


・顧客が口に出したことや、顧客の行動だけをもってニーズと考えていないか?


一言でいうなら、「こういうキャッチフレーズみたいな言葉こそ、思考停止せずに吟味して使うべき」と思っている。



参考

マーケティング思考とカスタマーファースト(本ブログ)・・・同じテーマについて検討しているページ。

「競争としてのマーケティング」(Link)・・・マーケティングを競合の視座から再整理した本で、コトラーだけではフワフワしていてしっくりこない人にフィットすると思う。