2018-09-10

事例ベース意思決定

先日のプラトンの洞窟の比喩について考えていたら、図らずも本棚にあった松井『規範と慣習の経済学』やギルボア・シュマイドラー『決め方の化学 事例ベース意思決定理論』にたどり着いたので、今日はこれら(特に後者)で紹介されている事例ベース意思決定理論を自分なりに整理してみたい。以下は全て自分の勝手解釈なので、気になる点があれば適宜原典にあたってほしい。

規範と慣習の経済学→リンク

事例ベース意思決定理論→リンク




事例ベース意思決定理論

事例ベース意思決定理論は、以下のようなフレームワークで記述される。

<前提>


  • 意思決定者は、これまでに色々な経験(経験1, 経験2, 経験3,...)を積んでいる。
  • 意思決定者は、それぞれの経験について、
    問題:どのような問題だったか
    行為:どのようなアクションをとったか
    結果:その結果、どのような結果になったか
    という基本3点セットのほか、
    効用:結果から得られた効用はどの程度であったか
    という3+1の情報についての記憶を有している。
      
  • 例えば、投資マネージャーは、以下のような経験を記憶していることがあるだろう:
    ・経験1・・・倒産寸前の投資先に、追加投資を行ったところ、見事に生き返り、非常に満足した
    ・経験2・・・絶好調の投資先からの追加投資相談に、それを断ったところ、投資先が一気におかしくなり、不満の残る結果となった
    ・経験3・・・調子が悪い投資先について、経営陣を総取り換えしたところ、人間関係が混乱し、投資として不満の残る結果となった

<上記を踏まえての説明>  

  • このような意思決定者が、新たな問題pについて意思決定を迫られているとする。
      
  • 今、類似度という概念を定義する:類似度は、本件pと、経験の各要素との類似度合いを0%から100%で表示するものとする。
      
  • このとき、意思決定者は、記憶にあるそれぞれの経験1、経験2、...についてそれぞれ、
      期待効用(i)=(その経験と本件の類似度) × (その経験から得られた効用)を計算し、期待効用(i)が最大になる経験と同じ行動を取る
      
  • 上記の例を使いつつ、「業況の悪い投資先から追加投資の相談が来たとき、投資マネージャーはどういう意思決定をするか?」という問題について考えてみたとき、
    ・期待効用(1)=類似度80% × 効用100=80
    ・期待効用(2)=類似度30% × 効用▲100=▲24
    ・期待効用(3)=類似度80% × 効用▲50=▲40
    となり、この3つの記憶をもつマネージャーは、経験1と同じ行動、すなわち追加投資を行うことになる。
      
  • なお、記述論と規範論の問題(「追加投資を行う傾向が高い」という話なのか「追加投資を行うべき」という話なのか)は、本ブログでは深く立ち入らない。


ライバル(期待効用最大化理論)との比較


事例ベース意思決定理論はヤヤコシイので、別のコンセプトとの比較を通じて、少しでも理解を深めてみたい。

事例ベース意思決定理論は、おおざっぱに言うと、期待効用最大化理論と対をなすフレームワークといえる。

  • (モデルの既知・未知)
    期待効用最大化理論は、以下の通り、主要パラメーターについて、少なくとも主観レベルでは「もとからわかっている」ことを前提とする。

    ・各イベントの発生確率・・・客観的にはわからなくても、少なくとも主観確率は判断者の頭の中に存在しているので、わかることを前提として議論する。

    ・行動や帰結・・・「こういう行動を取ると、こうなる」という要素の集合を理解している・知っていることが理論の前提となっている。

    これに対して事例ベース意思決定理論は、上記のような「諸元を知っている、あるいは主観的に見積もっている」という仮定を必要としない

    個人的には、ホモエコノミカスの「始まる前から世界を知っている」という仮定は、特に現実との乖離度が高いと思っていたので、その前提を必要としない点において事例ベース意思決定理論には魅力を感じた。
      
  • 期待効用最大化理論は、「知っている理論をあてはめる」という意味において演繹的であるが、事例ベース意思決定理論は帰納的である。
      
  • 不確実性下における期待効用最大化アプローチにおいては、経験の蓄積は主観確率の修正という形で意思決定の質を高める。他方で事例ベース意思決定においては、経験の蓄積は取りうる選択肢の候補たる記憶を充実させるという形で意思決定改善に寄与する。

    上記の投資マネージャーの例だと、期待効用最大化の世界においてそのマネージャーが経験を積むと、それぞれの行動をとったときにどのような結果が生じるかについての見立て、すなわち主観確率の分布が改善し、その結果、判断に「ハズレ」が減る。

    他方で事例ベース意思決定の世界のマネージャーが経験を積むと、これまでになかった新経験、たとえば「経験4:倒産寸前の投資先に、追加投資を行ったところ、まったく救いにならず、不満の残る結果となった」という経験が追加されたときには、このマネージャーが取る判断は経験1になるか経験4になるか、変化する可能性がある。

事例ベース理論の私的解釈

現実の記述という観点では、期待効用最大化よりリアリティが高い

おそらく期待効用理論に触れる実務家の多くは、「選択肢とか、帰結とか、そこから得られる効用とか、そういったものがわかれば苦労しない。わからないのが現場のリアリティだ」と愚痴を言いたくなるのではないだろうか。

参考文献の例示にならうと、経済学の教科書に出てくるような「袋の中から白い玉を取り出せば$50、赤い玉を取り出せば$1」みたいな話であれば、玉の個数や金銭から得られる効用を除いたパラメーターについて限りなく客観的に記述・理解することができるだろう。

しかし、「倒産の危機に瀕した投資先が助けを求めてきた」みたいな話であれば、取りうる行動は程度論・タイミング・諸条件等を全て変数だとすれば無限大だし、その帰結だって不確実なだけではなく「起こりうる帰結の集合」を全て把握することは難しい。

さらに言えば、例えば帰結として「投資先の業況が悪化した」みたいなことがあったときに、これは「白い玉を取り出した」という話と比べると格段にファジーである。このとき、実務的には「投資先の業況が悪化した」という情報が検証可能なデータになるためには、記述者が何かしら解釈を挟まないといけないように思われる。

このように、期待効用理論、あるいは演繹的フレームワークが要請する「状況がわかっていること」は実務家にとっては結構マッチョなところがあるので、事例ベース意思決定理論のほうが直感的には親しみが持てるように思われる。

このコンセプトの下では、無知や経験不足のクリティカルさが如実に出る

たとえば上の方で述べた投資マネージャーが経験1から経験3のような経験しかしていないときには、このときこのマネージャーは相当に経験が浅い(知識が少ない)と言えるだろう。

このとき、一連の経験の中で効用がプラスなのは経験1(追加投資したらいい結果になった)しかないので、事例ベース意思決定に従うと仮定すると、このマネージャーは今後しばらくは(異なる経験を得て、考え方に多様性が出るまでは)馬鹿の一つ覚えで追加投資を繰り返すことになってしまう。

これを自分なりに大胆・雑に言い換えると、経験や知識に乏しいと、(仮に地頭が良かろうと)、まともな判断などできたものではないということかと思う。

個人的には、事例ベース意思決定理論に地頭がパラメーターとして入っていないことは結構強調してもいいのではないかと感じている。地頭が良ければ、普通の人よりハイペースで経験や知識を蓄積することで経験蓄積をするかもしれないとは思うが、地頭が良いだけで知識・経験が不十分な人はまともな判断などできないと言うことかと思う。

先日の洞窟の比喩のポストで述べた話に重なるが、多くの日本の組織は、現場オペレーションと人間関係を重視しすぎるあまり、経営・戦略・組織論等の経営リテラシーという知識や、それを使って考える経験がかなり不足しているように思う。

その結果、過去にたまたま良い当てはまりを示してしまった経験の乱用ということで「コンセプトの中身ではなく、発言者やその人間関係ばかりに注目し、話を無駄に政治的にする」というプレイが、事例ベース意思決定モデルに基づく「理論的対応」として発動してしまっている人が多いのかな、と思ったりしている。

目指す方向性としては、帰納も演繹もできることが望ましいのでは

事例ベースアプローチは、現実を記述する意味においては結構しっくりくるフレームワークであるように思うが、これに従ってしまうと「無知な人・経験の浅い人が、間違った因果付け・ベストでない判断を行ってしまう」ことが理論的に説明されてしまい、腹落ちはするが危機感を感じさせる。

この危機感を緩和させるための緩和剤は、理論・知識なのではないかと思っている。
知識があれば、そもそも事例ベースアプローチというよりは演繹的な期待効用最大化アプローチに近い発想で考えることができ、意思決定の質が改善するのではないかというイメージを抱いている。

なんだか書いているうちに、地頭軽視、知識重視みたいな「東大入試の逆」みたいな話になってしまったが、無理やり整理しようとすると、「地頭も大事だが、それを知識や経験の習得に使わないと、少なくとも意思決定というフィールドでは地頭それ自体だけで勝負はできない」と言うことかなと思っている。