ベンホロウィッツの「What you do is Who you are」が「Who you are」というやや微妙なタイトルながらも邦訳された。
この本では、様々な過去のリーダーの行為を通じて組織文化についてかなり体系的に整理が試みられている。
非常に面白い本だが、脇道的に気付いた点として、本書で紹介されているリーダーの多くが、偉大な改革者であった一方で、多くの矛盾や弱みを抱えている。
ハイチ独立のために戦った ルーベルチュールは組織規律のために「妾を持つな」というルールを自ら打ち立てておきながら自身には婚外子等がいたとか、
ミシガンの刑務所にて、囚人たちに出所後にも生きる規律・文化をもたらしたシャカ・センゴールはそもそも殺人で服役する時点で相当な問題を抱えているし、
実力主義や多様性を尊重することでかつてない規模のモンゴル帝国を築いたチンギスハンも、言っていることとやっていることに大きく矛盾があったと書かれている。
一度目に読んだ時点では、自分はこれをネガティブに受け止めていたのだが、
再読した今回、もしかすると、この矛盾や弱みは、むしろリーダーに重要な要素の一つなのではないかと少し錯綜的な感想を抱くに至った。
非常識、あるいは非倫理的な発想になってしまっている気もするが、一応、書き残してみたい。
2020-04-18
2020-02-15
「誰が言ったかではなく、何を言ったか」は半分嘘
よく言われる「誰が言ったかではなく、何を言ったかで判断してほしい」という話について、自分は懐疑的に思っている。
そう思いたくなる気持ちは共感するが、人の心理や行動を考えれば、無理があると思っている。
しかし、「誰が言ったか」ばかりが偏重される社会がいいかと問われると、それもやっぱり嫌だ。「仕方ない」と「望ましい」はなかなか両立しない。
本稿では、そういった問題意識のもと
について書き散らしてみる。
以下では、聞き手が判断者、話し手が説明者で、話し手は何らかのアイディアについて、聞き手に賛同してもらうことを目指しているものとする。
そう思いたくなる気持ちは共感するが、人の心理や行動を考えれば、無理があると思っている。
しかし、「誰が言ったか」ばかりが偏重される社会がいいかと問われると、それもやっぱり嫌だ。「仕方ない」と「望ましい」はなかなか両立しない。
本稿では、そういった問題意識のもと
- なぜ、何を言ったかよりも、誰が言ったかが優先されがちなのか
- どうすれば、少しでも「何を言ったか」がワークするようになるか
について書き散らしてみる。
以下では、聞き手が判断者、話し手が説明者で、話し手は何らかのアイディアについて、聞き手に賛同してもらうことを目指しているものとする。
2020-02-08
アメリカ英語発音の「使える」教科書:Mastering the American Accent
最近ネットで見つけて購入したMastering the American Accentという本が非常に素晴らしかったので記録に残しておく(→リンク)
「LとRの発音」とか、「音節をつなげる」というあたりをある程度マスターした人が、さらに一段レベルアップするために使える教科書。
「LとRの発音」とか、「音節をつなげる」というあたりをある程度マスターした人が、さらに一段レベルアップするために使える教科書。
2020-01-04
説得のゲーム理論:説得と会話では、聞き手の反応は変わる
仕事や日常において、一生懸命説得しようとすればするほど、うまくいかずイライラするような経験はないだろうか。
それで、相手のことを恨めしく思ったり、「なぜかみ合わないのだろう」と忸怩たる思いをしたことはないだろうか。
このような状況は、一見すると不条理であるが、実はゲーム理論のコンセプトで説明できる。すなわちある程度合理的なものだ。
本稿では、このゲーム理論、すなわち説得のゲーム理論について簡単に紹介しつつ、自分の実務経験も少し絡めて説得が逆効果になるのはどのようなときか、それはなぜか?ということについて、雑感を書き残してみたい。
それで、相手のことを恨めしく思ったり、「なぜかみ合わないのだろう」と忸怩たる思いをしたことはないだろうか。
このような状況は、一見すると不条理であるが、実はゲーム理論のコンセプトで説明できる。すなわちある程度合理的なものだ。
本稿では、このゲーム理論、すなわち説得のゲーム理論について簡単に紹介しつつ、自分の実務経験も少し絡めて説得が逆効果になるのはどのようなときか、それはなぜか?ということについて、雑感を書き残してみたい。
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