- リスクと不確実性って何が違うの?
- リスクへの対処方法にセオリーはあるのか?不確実性については?
- 実際の意思決定ってそこまで理詰めではないと思うが、理屈を超えた世界はどう説明するのか?
なお、参考書籍は以下の通り。
(1)ギルボア「意思決定理論入門(Link)」
(2)ギルボア「不確実性下の意思決定理論(Link)」
(3)カーネマン「ファスト&スロー(Link)」
本稿は3部構成で、本ポストはパート1.
本稿のパート2 → リンク
本稿のパート3→リンク
議論の全体像
線引き①:合理性の壁
①②と③を分けるのは、合理性の壁だ。すなわち
個人を合理的主体(ホモ・エコノミカス)と仮定した上で、合理的個人の意思決定について議論する世界観
vs
という線引きでひとつ分類ができる。
※ただし、「合理性」という言葉を絶対的なものとして使うのは極めて危険である点は要注意。
1+1=2のような話であればさておき、意思決定というソフトな領域において、100人中100人が文句なしで「ああ、確かにそれは合理的だね」と納得するような判断があることはそんなに多くはない。
世渡りという観点でも、用語に対する厳密性という学術的な観点でも、合理性について論じるときには「合理的だと私は思う」という風に、あくまで「私はそう思う」というものに過ぎず、絶対的なものではない点は注意しておいて損はないのではないだろうか。
従って、Aという理論も、人によっては図の左側に整理したくなると思うし、人によっては右側に整理したくなると思うので、あくまで目安程度。
※また、人は言うほど合理的でもない一方で、言うほど非合理的でもない。
それゆえ、TPOに応じて、合理的モデルにおける行動や、合理的モデルを超えた場合の行動それぞれを理解する必要があり、「実務なんて人間対人間の泥臭い話なんだから、合理性なんて不要、経験を頼りにやればよい」という論理軽視は危険。
線引き②:客観性の壁
①と②を分けるのは、客観性の壁だ。「未知と既知の壁」とも言える。
判断を迫られている状況について、「起こりうるシナリオそれぞれの発生確率が客観的に観察可能か否か」で分解が可能。
意思決定に関する大きなポイントの一つは、この壁を意識できているかどうかだ。
キーポイント:リスクと不確実性は別
本稿における要点のひとつは、リスクと不確実性は全くの別物であるということ。
リスクとは、起こりうる事柄の確率分布が既知であるものを指す。
サイコロの出る目はリスクであり不確実性ではない。
リスクであれば、最悪のシナリオとその発生確率がわかるので、どの程度備えればいいかわかるということ。
さらに言い換えると、ボトムラインがわかるので、身構えすぎる必要はないということでもある。
不確実性とは、そもそも起こりうる事柄の確率分布が未知であるものを指す。
たとえば、新しく発生した疫病の感染力や致死率などは不確実性と分類される。
これは、既存のインフルエンザの感染力や致死率がリスクに過ぎないことと対照的だ。
リスクと不確実性は分けて考える必要がある。不確実性は最悪のシナリオとその発生確率が未知であることがポイントだ。
それゆえ、ボトムラインがわからないこと、すなわち無知の知を自覚した上で、できる限り保守的に身構えることが必要になる。
※「合理性」と同様、「客観性」も決して絶対的な概念ではないように思われる。
ギルボアなんかは、客観性とは「そこにいる人大多数にとって主観的に正しいと思えるのであれば、それが客観的」と喝破している。
コミュニケーション的にも、元となる考え方が異なればそれぞれの人が抱く「客観的な意見」も変わるので、「俺の意見は客観的だと思うので、正しい」みたいな発想は危険。
領域A:リスク下の世界
前提
①のリスク下の世界は、ミクロ経済学なんかでも取り扱われる、一種の無菌室的な領域だ。
起こりうる事柄の発生確率が既知で、人は合理的に動くという世界観。
※もちろん、「将来起こりうる事柄の発生確率が既知」とか「人が合理的に動く」といった仮定がかなり強いものであり、そこまでうまく現実にあてはまらない。しかし、例えば
・何百万人というマスを相手にしたマーケティング
・相当回数継続する試行
・契約により人の行動が相当程度規定されている状況
・デリバティブ等、人の意図があまり入り込まない取引
等ではこの枠組みだけで十分議論できることも多いし、そうでない場合にあっても、まずは当該領域における考え方を基本形として理解しておくと、応用がきくものと考えられる。
リスクvs不確実性
リスクとは「何が起こるかはわかるが、そこにブレがある」というもの。
他方で、不確実性とは「そもそもどうなるかわからない」というもの(ナイトの不確実性)。
例:ビルの100階から飛び降りることは、危険であり一般的にいうところのリスクはあるが、ここでいうところのリスクはない。なぜなら確率100%で死ぬので、結果にブレがない。
例:「赤玉が50個、白玉が50個入っている袋から1つ取り出したときに、それが白い確率はどの程度か」・・・というのがリスクで、「合計100個入っていることはわかるが、赤玉・白玉がそれぞれいくつ入っているかはわからない袋から玉を1つ取り出すときに・・・」というのが不確実性。
リスク回避の前提(Risk-aversion)
この際、重要な前提(仮定)として、「人はリスク回避的である」というものがある。
すなわち、期待値が同じであるなら、合理的個人は常にリスクが低い方を選択するというのがリスク回避的合理的個人モデルの基本発想となる。
※別途プロスペクト理論で概観する通り、特に損失に直面しているときには、人はむしろリスク愛好的になりうるという考え方もあるので、リスク回避的個人というのはあくまで仮説と理解しておくのが無難。
行動原理:期待効用最大化 (期待値ではなく、期待効用)
こういった領域における人の行動原理はシンプルで、「期待効用を最大化するべく動く」
というシンプルなものとなる。
期待「値」ではなく期待「効用」である点に注意が必要。
効用は、リスクや個人の嗜好等を織り込んで総合的・主観的に決まり、金額そのものではない。
例えば、
例えば、
(a)当選確率50%、当選金額100万円のくじ引きと
(b)何もせず45万円もらう
という2択から選べるような場合を考える。
期待「値」で考えてしまうと、 (a)の期待値50万円 > (b)の期待値45万円となり、(a)の方が妥当という話になってしまう。
期待「値」で考えてしまうと、 (a)の期待値50万円 > (b)の期待値45万円となり、(a)の方が妥当という話になってしまう。
他方で、実際には人は多かれ少なかれリスク回避的であり、(a)の期待効用<(b)の期待効用となることも考えられる。
このように、人は「金額以外のもろもろ」も考慮して人は意思決定を行う。そのため、見るべきはあくまで期待「効用」となる(フォン=ノイマン・モルゲンシュタイン定理)。
このようなリスク下でのモデルにおいては、基本的には、意思決定分析におけるタスクはもっぱら「状況の整理、計算」に収斂する。もちろん状況は複雑かもしれないが、基本的にはすべての事柄は不確実ではなく単にリスクがあるだけなので、ゴリゴリ計算すればちゃんと確率や期待値が計算可能であり、ひいては期待効用も計算可能。
以上がリスク下における意思決定のフレームワークで、そこから客観性や合理性等を少しずつ緩和していくことで、全体像になっていくというのが自分の理解。続きはまた次回。
このように、人は「金額以外のもろもろ」も考慮して人は意思決定を行う。そのため、見るべきはあくまで期待「効用」となる(フォン=ノイマン・モルゲンシュタイン定理)。
※少しトリッキーだが、期待効用とは異なる意思決定尺度として、VaR等のリスク尺度が挙げられる。
特に融資のような場合が顕著だが、融資先がうまくいっても、ソコソコのパフォーマンスであっても、いずれにせよ元本+金利しか回収できない、すなわちアップサイドはないような状況においては、もっぱらダウンサイドだけ気にすればよく、ストレスケース時の回収可能性だけ見ておけば意思決定上足りるような事例もある。
これも、厳密にはやはり期待効用メカニズムの範疇。一般的な融資においては、金額以外の要素はあまり気にせず期待効用=期待値と考えてよいと思われるが、「ストレスケースにおける回収可能性を見る」ということは、「元本100に対して期待値が99.99を下回らない場合に限り融資する」と考えているのと同義。
リスク下でのタスク・・・全部わかるので、ひたすら計算
このようなリスク下でのモデルにおいては、基本的には、意思決定分析におけるタスクはもっぱら「状況の整理、計算」に収斂する。もちろん状況は複雑かもしれないが、基本的にはすべての事柄は不確実ではなく単にリスクがあるだけなので、ゴリゴリ計算すればちゃんと確率や期待値が計算可能であり、ひいては期待効用も計算可能。
※効用関数には多かれ少なかれ意思決定者の主観が含まれるので、「計算・理解できる」ということと「判断結果が一意に決まる」ということは必ずしも一致しない。同じデータをもってしても、社長と副社長で異なる判断になることはあり得て、それは専ら効用関数の相違による。ここで用いられるツールとしては、統計学、決定木、シナリオ分析、感応度分析等。いずれも、この世界を飛び出してもなお応用できる強力なツールなので、「合理的世界なんて現実にはあり得ないので、ツールも不要」とはいかない。
リスク下での行動原理:まとめ
- 基本原理は、期待効用最大化。
- リスク下では期待効用が計算できるので、それに従えば良い。
- ワーストケースやその発生確率も計算できるので、おびえすぎる必要がないということになる。
- ただし、リスクと不確実性を取り違えてしまうと、「本当は不確実性だったのに、リスクと勘違いして、十分保守的に振る舞えなかった」ということは起こりがち。
- 全てひっくるめると
- それが本当にリスクであるなら、おびえすぎる必要はなく、ゴリゴリ計算の上、必要最低限の備えをしておけば足りる
- しかし、得てして多くのことはリスクではなく不確実性であり、その場合、取るべき対応は変わる
続きは次回・・・
以上がリスク下における意思決定のフレームワークで、そこから客観性や合理性等を少しずつ緩和していくことで、全体像になっていくというのが自分の理解。続きはまた次回。