交渉に関する古典である「Getting to Yes」(邦題が「ハーバード流交渉術」(→リンク)とダサいのがイマイチ)の続編。
Getting to Yesが「どうやって実りある交渉をするか」という平時の交渉を扱った本であるのに対し、本書は「会話がうまくいかないとき、どのように立て直すか」という有事の対応を扱った書籍。
得てして、交渉時には、心情的な対立が生じて「そもそも交渉にならない」という対立的状況に陥りがち。
それゆえ、平時のノウハウであるGetting to Yesだけでは足らず、対立時のノウハウである本書をセットで読むことが有用。
非常に面白かったので、その内容を自分なりに咀嚼してみたい。
これをやってしまうと会話がこじれる
主観的な決めつけ
事実はひとつかもしれないが、その事実をどう認識するかは人によってそれぞれ。
あらゆる認識は自分の主観に過ぎない。そのため、絶対的真実があるという発想で喋ってしまうとどうしても対立が起こりがち。
もめごとは得てして、自分の主観を絶対的真実と勘違いして
「事実はAなのに、あなたはなぜXのようなことをするのだ」
と言うことで起こる。
相手にとっての事実認識がBで、その場合の最適解がYである可能性に思いを馳せないと、建設的な対話はできない。
相手の意図を断定せず、相手に説明してもらい、その理解につとめる姿勢が大事。
もめごとにどうしてもつきまとう感情から逃げても、その問題は本質的には解決しない。
難しいが、自分が完璧ではないこと、矛盾をはらむ存在であること等を受け止めて、タフになることが大事。
ひとつの事実をめぐってもその認識は人により異なる。
まずはその「あなたの認識と相手の認識は、どうしても一致しないこと」の直視が必要。
「俺はこう思う」というだけでは何も解決しない。
また、自分が主張ときには、主張それ自体というよりも、その手前にあるストーリー・言い分・前提となる考え方を伝えるよう試みる。
また、「あなたはこうすべきだ」という言葉は、得てして、「自分はその点が不満である」ということの言い換えと相手に映る。
そのうえで「だから、あなたは態度を改めるべき」とせず、「この問題について一緒に考えたい」とIを主語にして話を進めるのが有効だ。
自分の意見を言っておしまいとせず、自分と相手で、「どうすれば事態を改善できるのか」一緒に考える姿勢が大事。
「俺が正しい、お前がダメ」ではいっこうに事態は改善しない。
建設的対話は、腹を割って誠実にこれを行うことが求められ、それなりに大変。
対話せずに解決させる手はないか?例えば自分の中で消化できたりしないか?
相手の意図の決めつけ
人は相手の取った行動を自分のモノサシで解釈する。
決して相手のモノサシではないため、それはあくまで主観的な解釈に過ぎず、相手の意図と一致しないことも多い。
もめごとは得てして、相手の意図を誤解した上で、断定的に「あなたはこう考えている」と決めつけてしまうことで起こる。
相手の意図を断定せず、相手に説明してもらい、その理解につとめる姿勢が大事。
相手への叱責
相手を責めても、相手は心理的に防御モードになるだけ。
どれだけ責めても、あなたが期待するような反省・改心は達成されない。
もめごとは得てして、問題提起時に相手を責めてしまうことで悪化する。
自分の感情に向き合わない
会話で抱く不安や苛立ちを直視せず、その代わりに相手を非難したり、ため込んでしまうことは多い。
そのようなことをしてしまうと、人間関係はどうしてもこじれてしまう。
もめごとにどうしてもつきまとう感情から逃げても、その問題は本質的には解決しない。
不承不承やるのはベストではない。
自分が揺らぐ
会話のなかで自信を失ったり矛盾じみた状況になると、人はどうしても動揺してしまい、会話を建設的に進めることができなくなる。難しいが、自分が完璧ではないこと、矛盾をはらむ存在であること等を受け止めて、タフになることが大事。
建設的対話のためのTips
相手のストーリーに耳を傾ける
ひとつの出来事について、十人いれば十個の認識(ストーリー)が存在する。
まずはその「あなたの認識と相手の認識は、どうしても一致しないこと」の直視が必要。
その上で、さらに、相手のストーリーの理解が大事。
お互いの主張・ストーリーをぶつけ合っていても解決しない。
お互いのストーリー・言い分を理解して初めて相互理解が始まりうる。
Q) 相手のストーリーが事実誤認であるのだが?
A) So What. 事実誤認だろうとなんだろうと、それが相手が行った事実認識であることを直視すべき。もし可能であるなら「こういった見方もありますよ」と認識の修正を図ってもいいが、目的はあくまで相互理解・合意形成であり、どのパラメーターにすぎない事実認識にこだわりすぎるのは得策でないことも。
やるべきは「自分の意見の主張」ではなく「相手のストーリーの理解」
相手を理解しようとする姿勢なくして建設的対話は生まれない。
その際、相手について、見えている部分だけ理解するのでは足らない。
相手の主張は氷山の一角に過ぎない。その根底にあるストーリーの理解を試みる。
また、自分が主張ときには、主張それ自体というよりも、その手前にあるストーリー・言い分・前提となる考え方を伝えるよう試みる。
双方の主張が異なる以上、主張のすり合わせに走っても永遠に解決しない。
むしろ「相互のストーリーの共有」に軸足を移し、コンセンサスは結果として形成されれば良いというスタンスで臨む。
直接コントロールできないものをコントロールしようとすると、どうしても齟齬が生じる。
相互理解のためには、「あなたはこうすべきだ」とやっても話は前に進まない。
Q) こちらが理解に努めようとしても、相手が自己主張モード。このようなときには建設的対話を諦めたくなる。
A) 相手のストーリーの理解に努める姿勢は、相手にも相互理解モードになってもらうための必要条件。
多くの場合は、相手を理解する姿勢を示せば相手も態度を変えてくれる。
しかし、相手が変わってくれない場合は、「自分もあなたの話を理解するよう努めるので、あなたもそうしてくれ」と明示的に要請するのも一案。
それでもだめなら、対話を断念することも検討せねばならないかもしれない。
「あなたはこうすべきだ」ではなく、「私はこう思った」
また、「あなたはこうすべきだ」という言葉は、得てして、「自分はその点が不満である」ということの言い換えと相手に映る。
そのように考えると、「あなたはこうすべきだ」と言うよりも「自分はその点について残念に思った」と、Iを主語として話すのが良い。
そのうえで「だから、あなたは態度を改めるべき」とせず、「この問題について一緒に考えたい」とIを主語にして話を進めるのが有効だ。
ゴールを「相手を改心させる」ではなく「状況を改善させるための方策を一緒に探求する」とする。
建設的対話は、自分と相手で協力して行う探求
「俺が正しい、お前がダメ」ではいっこうに事態は改善しない。
そもそも対話するかどうか、よく考える
対話せずに解決させる手はないか?例えば自分の中で消化できたりしないか?
事態改善にこだわりすぎていないか?自分にできることはベストを尽くすことに過ぎず、結果にこだわっていないか?