意思決定すること自体が、まずもってコストである
意思決定者は、判断にあたり、メリット・デメリットを頭の中とか紙の上とかに並べて、それらの要素を比較衡量することで、「結論として、アリかナシか」の判断をする。さて、意思決定に不慣れな人が見落としがちな要素に「意思決定すること、それ自体の負担感」が挙げられる。
すなわち、
- 様々な要素を総合的に考えるのは疲れる
- 判断が、誰かを幸せにするかもしれない一方、誰かを不幸にする可能性がある
- 判断の結果、誰かから嫌われる可能性がある
といったあたり。
「決めることのコスト」は、決めてもらう側の人は鈍感
これは、意思決定を頻繁に行う人であれば、当然に身をもって痛感しているポイントなのだが、意思決定してもらう側の人はかなりの確率で見落としがち。その結果、意思決定にあたり、決める側と決めてもらう側でコスト・ベネフィットの見立てがずれてしまい、
決めてもらう側:どうしてこんな簡単なことも決めてくれないのだ
決める側:どうして決めることの難しさをわかってくれないのだ
と相互不理解の状態になりがち。
意思決定者にとってのポイント
意思決定者にとっては、この「決めることのコスト」は以下のあたりに教訓・ポイントがあろう:- 「意思決定すること自体の負担感」が、自分の意思決定を怠惰な方向にバイアスをかけがち・・・それに流され過ぎない意識が重要。
- 「意思決定すること自体の負担感」に重みをつけ過ぎない・・・意思決定に疲れた人は、「決めることのコスト」への重みづけを強くしすぎるあまり、「できるだけボトムアップ的に、事務方に話をつけてきてもらいたがる」とか「意見を考える前に、まずは他の人の意見を求める」等、少しでも判断をサボるための工夫に走りがち。
- 判断することが仕事であるという意識・・・マネージャーとかリーダーとか、そういった人は、判断することが仕事であるのだが、決めることは大変なので、人はついつい判断から逃げがち(例:作業に逃げる)。「決めることが自分の仕事である」と自分に言い聞かせるだけでも、「決めることのコスト」への呪縛から多少なり解放されるように思われる。
「てきぱきと動いてくれるが、判断はしてくれない人」と、「普段全然手を動かさないが、判断はしっかり行う人」であれば、少なくともリーダーやマネージャーという観点では、後者が望ましいし、前者はむしろ悪徳(てきぱきと動くことで、人々の共感を買ってしまう分、却って御しがたい)と言うことなのではないかと思う。
意思決定してもらう部下にとってのポイント
ここでは、決めてもらう側の部下を、受動的・消極的なネガティブな存在というよりは、いい意思決定をデザインすることをそのミッションとするようなポジティブな存在と捉え、以下の通り教訓やポイントを整理したい。- 意思決定者が感じる「決めるコスト」を軽減するような工夫が重要・・・良い意思決定をプロデュースしようと思うと、これから立ち向かう意思決定者が、少しでも「決めることの重み」を軽く感じるような工夫をすることが重要になる。
- 決めることの難しさへの共感・・・今から自分が対峙するボスは、決めることに対して少なからず負担感を感じていることについて、一種「大変だよね、にんげんだもの」といった感じで共感してあげることで、上市部下間のぎくしゃくは随分と低減するだろう。