2020-04-18

矛盾や弱みが見えないリーダーの方がむしろマズい

ベンホロウィッツの「What you do is Who you are」が「Who you are」というやや微妙なタイトルながらも邦訳された。

この本では、様々な過去のリーダーの行為を通じて組織文化についてかなり体系的に整理が試みられている。

非常に面白い本だが、脇道的に気付いた点として、本書で紹介されているリーダーの多くが、偉大な改革者であった一方で、多くの矛盾や弱みを抱えている

ハイチ独立のために戦った ルーベルチュールは組織規律のために「妾を持つな」というルールを自ら打ち立てておきながら自身には婚外子等がいたとか、

ミシガンの刑務所にて、囚人たちに出所後にも生きる規律・文化をもたらしたシャカ・センゴールはそもそも殺人で服役する時点で相当な問題を抱えているし、

実力主義や多様性を尊重することでかつてない規模のモンゴル帝国を築いたチンギスハンも、言っていることとやっていることに大きく矛盾があったと書かれている。

一度目に読んだ時点では、自分はこれをネガティブに受け止めていたのだが、
再読した今回、もしかすると、この矛盾や弱みは、むしろリーダーに重要な要素の一つなのではないかと少し錯綜的な感想を抱くに至った。

非常識、あるいは非倫理的な発想になってしまっている気もするが、一応、書き残してみたい。


2020-02-15

「誰が言ったかではなく、何を言ったか」は半分嘘

よく言われる「誰が言ったかではなく、何を言ったかで判断してほしい」という話について、自分は懐疑的に思っている。

そう思いたくなる気持ちは共感するが、人の心理や行動を考えれば、無理があると思っている。

しかし、「誰が言ったか」ばかりが偏重される社会がいいかと問われると、それもやっぱり嫌だ。「仕方ない」と「望ましい」はなかなか両立しない。

本稿では、そういった問題意識のもと


  • なぜ、何を言ったかよりも、誰が言ったかが優先されがちなのか
  • どうすれば、少しでも「何を言ったか」がワークするようになるか

について書き散らしてみる。

以下では、聞き手が判断者、話し手が説明者で、話し手は何らかのアイディアについて、聞き手に賛同してもらうことを目指しているものとする。


2020-02-08

アメリカ英語発音の「使える」教科書:Mastering the American Accent

最近ネットで見つけて購入したMastering the American Accentという本が非常に素晴らしかったので記録に残しておく(→リンク)

「LとRの発音」とか、「音節をつなげる」というあたりをある程度マスターした人が、さらに一段レベルアップするために使える教科書。

2020-01-04

説得のゲーム理論:説得と会話では、聞き手の反応は変わる

仕事や日常において、一生懸命説得しようとすればするほど、うまくいかずイライラするような経験はないだろうか。

それで、相手のことを恨めしく思ったり、「なぜかみ合わないのだろう」と忸怩たる思いをしたことはないだろうか。

このような状況は、一見すると不条理であるが、実はゲーム理論のコンセプトで説明できる。すなわちある程度合理的なものだ。

本稿では、このゲーム理論、すなわち説得のゲーム理論について簡単に紹介しつつ、自分の実務経験も少し絡めて説得が逆効果になるのはどのようなときか、それはなぜか?ということについて、雑感を書き残してみたい。


2019-12-28

根回しの功罪:ベイズ更新を用いた考察

この年末年始の時間つぶしにと思って手に取った『組織の経済学』、これが非常に面白い。

  • 実務として組織運営に携わる人や、管理職/経営者の人で
  • 経験則一辺倒のスタイルに怖さを感じて
  • 何かしらベースになるような理論を求める人
にはうってつけだと思う。

本書では組織に関する様々なトピックが取り上げられているが、本稿ではこれに影響を受ける形で、「根回し方式とトップダウン方式、意思決定の方法として優れているのはどちらか?」という問題について考えてみたい。

ただし、結論を先に言うと「時と場合による」とならざるを得ない。
本稿は、結論それ自体というよりも、どういう時に根回しが有効で、どういう時にはトップダウンの方が優れているのか等、結論の手前にある考え方の整理を行ってみたい。

以下、主にベイズ更新というコンセプトを使って議論を展開してみたい。


2019-12-21

良いゼネラリストと悪いゼネラリスト

毎年恒例の、FTとマッキンゼーによるBusiness book of the yearを眺めていたら、『Range』という本が、ゼネラリストvsスペシャリストの議論を論じていたので、手に取ってみた。

(2020/4追記:邦訳版が出たのでそちらのリンクも掲載:『Range(日本語版)』)


本書で、「スペシャリストvsゼネラリスト」の対比として最初に出てくる事例は、タイガーウッズ対ロジャーフェデラーだ。

タイガーがスペシャリストというのは直感的にわかるだろうが、殆どの人は「いやいや、タイガーがスペシャリストなら、フェデラーだってスペシャリストだろ!」と感じるのではないか。

この話を理解するためには、ひとつの補助線が必要になる。

すなわち、本書で書かれる「ゼネラリスト」は、一般的な日本的意味合いの日本的ゼネラリストを超えた、真のゼネラリストという発想である。

その発想のもとでは、ゼネラリストは、スペシャリストのカウンター概念というより、アウフヘーベン概念と言った方が近いと思う。

それでは、真のゼネラリストとは何だろうか?以下、自分なりの整理を書き残してみたい。

なお、議論の全体について、以下書籍などを念頭に置いている。

人事と組織の経済学・実践編(Link)

組織の経済学(Link)


2019-12-15

エルゴード性と投資判断:破滅リスクの有無で頭を切り替える

投資の意思決定の場にいるとよく、以下のような堂々巡りの議論に出くわすことが多い。

(太郎)
投資はリスクテイクなんだから、リスクを取らないとリターンはない。この投資はリスクはあるが、それでもなお取り組むべきだ
(花子)
取っていいリスクと、そうでないリスクがあるはず。このリスクは取れない
(太郎)
このリスクを取っても、最悪でも、この投資先が潰れて全損するだけじゃないか
(花子)
本当にそれだけか。何か引っかかる。不安だ

本稿では、このような、ありがちな「取れるリスク・取れないリスク」議論に対して、タレブの『Skin in the game(身銭を切る)(リンク)』の議論をなぞりつつ、エルゴード性破滅リスクというコンセプトを軸に考えてみたい。