2013-02-27

Google風折れ線グラフ


Google風(だと自分が思う)折れ線グラフ。要は折れ線グラフとX軸の間の領域が、折れ線の色をちょっと薄くした色で塗りつぶされているもの。感覚的な話だが、折れ線と軸の間を塗りつぶすだけで、なんとなく見やすくなる気がしていたので、今回試しに作ってみた。


2013-02-24

知的自由

ものすっごく大雑把な話になってしまうが、この世の中で残念なことといえば、自分の妄想世界の中で独りよがりに構築された歪んだレンズでものごとを見てしまうことだと思う。

ファクトベースの冷静な判断ができない。比較考量による分析ができない。そういうのはまあ正直仕方ないと思う。にんげんだもの。でも、問題なのは、自身がそんなレンズをもっていることに気付けない人。歪んだレンズを通して見た歪んだ価値観に基づき、他人とは到底共有できないようなトンデモロジックを展開する人。相手は良くても混乱するし、悪いとあなたを軽蔑するだろう。

自分はレンズをもつことそれ自体はまったく否定しない。この複雑な世の中、レンズなしに全てを虚心にうけとめて全てをゼロベースで考えていてはまったくスピード感が足りない。何らかのレンズをもち、そのレンズを使って仮説を立て、その仮説をぶつけて、それを検証する...という仮説的思考は渡世に不可欠なものだ。

自分が問題視するのは、レンズを使うことそれ自体ではなく、自分がレンズを使っていることに無自覚的な人だ。レンズを使っているにもかかわらずそれに無自覚的だと、①相手に対し無邪気に(無神経に)偏見に基づいた独りよがりの理論を展開して相手を困惑させる②自身のレンズが変なことになってないか検証することをしなくなるので、レンズのリファインができず、結果としてレンズがどんどん曇ってくる。

見たもの・聞いたもの・感じたものをベースに、直感に頼り、何らかの判断をすることは否定されるものではない。でも、そういった直感で出てくるものはあくまで仮説であり、それに無自覚的だと、結果的に予断をもった判断をしてしまうことになる。

自分のもつレンズを意識し、それが仮説に過ぎないことを意識し、必要に応じて修正を厭わない態度。そのような態度こそが知的自由であると思う。

経済的自由を獲得することもそれなりに大変だけど、知的自由を手に入れることは本当に難しい。でも、知的自由は、自分が一生かけても模索する価値がある、尊いものだと思う。だって、自分がレンズ使ってることに気付いている人なんて本当に一握りだもの。。

2013-02-23

ガイカワサキ的論法

自分の留学先の卒業式ゲストスピーカーとして来たGuy Kawasaki。

自分は彼のシンプルで整ったブログやスピーチが割合好きで、自分の卒業式で彼のスピーチを聞けたことにけっこう満足している。

彼は難しいものごとをシンプルに切り取ることを得意としており、たとえば卒業式では倫理について「自分がやりたくないようなことを、人に強いるな。倫理については、それだけ頭に入れておけばいいから」と言ってのけた。

自分はこの言葉が好きで、卒業以来、自分のモットーの一つとしてこの言葉を拝借している。やりたくないことは、人に頼まない。それを意識するだけで、結構自分に素直に生きられるものだ。

彼の言葉を「考えるヒント」として、あくまできっかけとして使うことができるのであれば、シンプルで骨太な彼の言葉は思考を展開するのに便利なものとなる。忙しい世の中にあって、自分が考えるべきことをスピーディーかつ深く考えることを助けてくれる。

2013-02-17

You can be nice

交渉において陥りがちな誤解に、「交渉相手は叩くべき敵である」という発想がある。敵=警戒すべき、隙を見せてはいけない、笑ってはいけない、一歩も譲るなかれ、etc.

しかし、自分は、この発想は必ずしも有効ではないと思っている。


2013-02-13

責任逃れのすすめ

最近行き帰りにiPadで読んでいる"Power Negotiating"という本が面白い(→リンク)。

交渉論の総論というよりは、基礎を一通りさらった人・仕事等で交渉の経験がある程度ある人向けに、きわめて実際的なtipsを数多く伝授するという本で、読者は多くの章に「そうそう、確かに」とうなずき、残りの章に「なるほど」と納得すること請け合い。基礎スキルをすでに持っている人が技の引き出しを増やすためにはうってつけの本だと思う。
(※初心者がいきなり読むには、やや実際的過ぎる印象はあるが)

ここではその一章にある、「交渉の場に、最高責任者を投入しちゃだめ」という考え方について紹介し、自分なりに検討してみる。


2013-02-07

老後資金

老後の家計設計について、頭の整理がてらメモ。

2013-02-02

基礎に立ち返る勇気

振り返ってみると、自分が「何かをうまく学べた」と感じたのは、浪人時の予備校時代が一番であり、その次がMBA留学中であった。

なぜそんなにうまく吸収できたのだろうか、なぜつまづきが少なかったのだろうかとなんとなしに考えてみたのだが、思うに、「恥を捨てて、基本的なところからきちんと勉強し直したから」というのが大きい気がする。