2020-01-04

説得のゲーム理論:説得と会話では、聞き手の反応は変わる

仕事や日常において、一生懸命説得しようとすればするほど、うまくいかずイライラするような経験はないだろうか。

それで、相手のことを恨めしく思ったり、「なぜかみ合わないのだろう」と忸怩たる思いをしたことはないだろうか。

このような状況は、一見すると不条理であるが、実はゲーム理論のコンセプトで説明できる。すなわちある程度合理的なものだ。

本稿では、このゲーム理論、すなわち説得のゲーム理論について簡単に紹介しつつ、自分の実務経験も少し絡めて説得が逆効果になるのはどのようなときか、それはなぜか?ということについて、雑感を書き残してみたい。


2019-12-28

根回しの功罪:ベイズ更新を用いた考察

この年末年始の時間つぶしにと思って手に取った『組織の経済学』、これが非常に面白い。

  • 実務として組織運営に携わる人や、管理職/経営者の人で
  • 経験則一辺倒のスタイルに怖さを感じて
  • 何かしらベースになるような理論を求める人
にはうってつけだと思う。

本書では組織に関する様々なトピックが取り上げられているが、本稿ではこれに影響を受ける形で、「根回し方式とトップダウン方式、意思決定の方法として優れているのはどちらか?」という問題について考えてみたい。

ただし、結論を先に言うと「時と場合による」とならざるを得ない。
本稿は、結論それ自体というよりも、どういう時に根回しが有効で、どういう時にはトップダウンの方が優れているのか等、結論の手前にある考え方の整理を行ってみたい。

以下、主にベイズ更新というコンセプトを使って議論を展開してみたい。


2019-12-21

良いゼネラリストと悪いゼネラリスト

毎年恒例の、FTとマッキンゼーによるBusiness book of the yearを眺めていたら、『Range』という本が、ゼネラリストvsスペシャリストの議論を論じていたので、手に取ってみた。

(2020/4追記:邦訳版が出たのでそちらのリンクも掲載:『Range(日本語版)』)


本書で、「スペシャリストvsゼネラリスト」の対比として最初に出てくる事例は、タイガーウッズ対ロジャーフェデラーだ。

タイガーがスペシャリストというのは直感的にわかるだろうが、殆どの人は「いやいや、タイガーがスペシャリストなら、フェデラーだってスペシャリストだろ!」と感じるのではないか。

この話を理解するためには、ひとつの補助線が必要になる。

すなわち、本書で書かれる「ゼネラリスト」は、一般的な日本的意味合いの日本的ゼネラリストを超えた、真のゼネラリストという発想である。

その発想のもとでは、ゼネラリストは、スペシャリストのカウンター概念というより、アウフヘーベン概念と言った方が近いと思う。

それでは、真のゼネラリストとは何だろうか?以下、自分なりの整理を書き残してみたい。

なお、議論の全体について、以下書籍などを念頭に置いている。

人事と組織の経済学・実践編(Link)

組織の経済学(Link)


2019-12-15

エルゴード性と投資判断:破滅リスクの有無で頭を切り替える

投資の意思決定の場にいるとよく、以下のような堂々巡りの議論に出くわすことが多い。

(太郎)
投資はリスクテイクなんだから、リスクを取らないとリターンはない。この投資はリスクはあるが、それでもなお取り組むべきだ
(花子)
取っていいリスクと、そうでないリスクがあるはず。このリスクは取れない
(太郎)
このリスクを取っても、最悪でも、この投資先が潰れて全損するだけじゃないか
(花子)
本当にそれだけか。何か引っかかる。不安だ

本稿では、このような、ありがちな「取れるリスク・取れないリスク」議論に対して、タレブの『Skin in the game(身銭を切る)(リンク)』の議論をなぞりつつ、エルゴード性破滅リスクというコンセプトを軸に考えてみたい。


2019-12-14

理念経営・フィデューシャリーデューティ・プリンシプル・企業文化・・・これらの共通点/相違点は?

最近は、金融業界だとフィデューシャリーデューティやプリンシプル、スタートアップ界隈だと企業文化やミッション等、それぞれ「フワフワした概念」が重視される傾向が高まっている。

たとえば以下のようなものだ。
  • 経営理念
  • フィデューシャリー・デューティー
  • プリンシプル
  • 企業文化

こういったコンセプト、日常の仕事に忙殺されていた若手の頃の自分目線で考えると、

「それって日常の仕事の役に立つの?」「理念で飯が食えるのか」

等、どうしても斜に構えた感想になってしまうような気がする。

すなわち自分事として腹落ち感を得ることが難しく、なんとなく他人から押し付けられているような気分になってしまいがちだ。

ただ、ある程度年を取った今の自分の意見としては、これらコンセプトは決して「他人からの押し付け」ではない。むしろ自分にとっての武器になりうるものだ。

本稿では、これら概念に通底する共通項や相違点を整理することで、これらコンセプトが重要になるのはなぜか?と言う点について、書き散らしてみる。



なお、参考文献は以下あたり。

2019-09-01

フィデューシャリー・デューティーは人のためならず

最近色々な形でフィデューシャリー・デューティー(以下「FD」)について話題になることが増えている。

しかし、FDは利他を求める概念であり、なんというか、「やれ」と言われただけで利他行動を取ることってできるのか?無理がないか?というモヤモヤ感があった。

言い換えると、もうちょっと腹落ちする「Why FD」みたいなものがないと、意識が高い人とか、心に余裕がある人しか結局FDを遵守しないのではないか?というモヤモヤ。

それについて、様々な論考を読みつつ、自分なりに書き散らかしてみたい。



結論だけ先に書くと、FDは利他の概念だが、回りまわって己を利することにもなるということかと思う。

情けではないが、FDも、人のためではなく、自分のためにこそ大事になると言える。

以下、顧客とプロフェッショナル(「プロ」)という構図において、どちらかというとプロの観点から「なぜプロである自分は、FDを意識せねばならないのか」ということについて考えてみる。

大雑把なサマリーは以下の通り:

  • 今の社会では、それぞれのプロがその専門性を如何なく発揮することが社会全体にとってのメリットとなる
  • プロが実力を発揮するためには、顧客から任せてもらうこと(裁量)が重要
  • 顧客がプロに裁量を与えるためには、プロが
    ①能力の高さ
    ②「顧客利益のために最善を尽くす」という責任感
    の両方を持っている必要がある。能力が高いだけでは信用されないので、①だけでは不十分
  • すなわち②が必要なのだが、これってFDに他ならない。
    言い換えると、FDがないと、プロは顧客から十分な裁量を得られず、実力を発揮できない。
  • 従って、FDは、一義的には顧客のためのものだが、回りまわってプロの利益となる。
  • 法律や契約はあくまでミニマムスタンダードであり、信頼獲得のための十分条件にはなりえない。信頼獲得のためにはミニマムスタンダード(法律・契約)のみならずFDを満たしている必要がある

なお、さらに派生して、FD以外の企業理念やプリンシプルにまで検討を広げているポストはこちら→リンク


2019-08-25

MBAで学ぶのは、理論それ自体ではなく、理論の使い方

よく、以下のような、MBAを批判するような議論を聞くことがある。

  • MBA上がりの奴は、欧米の経営理論を無批判に取り入れようとしがちで、現場がわかっていない
  • 投資先に派遣されたマネージャーが、「非効率」な現場に「近代的」な経営手法を導入しようとしたら、反発や機能不全等を招き、機能しない

このように批判されるMBAは、どこで苦労しているのだろうか?どこかに間違いがあるのだろうか?

本稿では、このことについて、少し書き散らしてみたい。



結論を先取りすると

  • 上記は、「ダメなMBA」の典型例であり、「まともなMBA」の例ではない
  • 真面目にトレーニングを受けたMBAほど、経営理論を安易に振りかざすことには慎重になる

ということではないかと思っている。

本稿は結果として「MBAの内容なんて、本を読めば、通学せずとも学べる」という批判への反論にもなっている。