2013-01-24

日本人は交渉を根底から誤解しているのではないだろうか

留学先で最も楽しかった授業の一つであるネゴシエーション。ネゴの結果が成績に直結しているため、毎週毎週の同級生とのネゴシエーション演習はかなりシンドかったが、実に学ぶところの多い授業で、帰国後もっとも役に立っている感じがする。

このように自分は一時期みっちりとネゴシエーションのトレーニングを受けたので、実践力はさておき(さておくなよorz)、理屈はそこそこ理解しているつもりであり、日本に帰ってから散見される「その交渉術は、下手じゃないか?」というものがどうも気になってしまうのでメモ。

なお、交渉に関する定番本といえばGetting to Yesだが、それとは別に、交渉に求められる基本思想について概観されているこちらの教科書は本当に有益で、この発想を持っているだけで基本的に殆どの交渉を優位に進められる。



「俺の理屈は正論、よってそれを相手はそれを理解すべき」は最悪の一手

ほぼ9割の事例で遭遇する残念な交渉スタイルがこれ。
「この論点は、Xのように考えるのが正しく、相手が言っているYという主張は合理的でないので、Xが正しいと理解させる」と息巻き、交渉ではひたすら「俺が正しい、お前はわかっていない」という主張を繰り返すパターン。

これが何故ダメかというと

  • そもそも「正しさ」なんて相対的なもの・・・得てして、自分にとっても相手にとっても正しいことなど多くはなく、殆どのことは「自分にとっては正しいが、相手にとっては正しくない」
  • 交渉は「正しさ選手権」ではない・・・正しさ・合理性は交渉においては単なるピースの一つでしかない。その他、パワーバランスや準備の周到さや舞台設定等様々な要素が交渉に影響するなか、自分の主張の正しさにこだわるのはゲームのルールを理解できていないことの表れだし、準備時間の使い方や作戦の立て方として悪手
  • 相手の立場で考えられていない・・・交渉においては相手方の立場・意見・ポジション等を深く分析した上で「どうゲーム運びをすれば、相手が折れてくれそうか」という相手視点での検討が死活的に重要。それにもかかわらず自分の理屈の正しさに埋没しているとのは悪手
「俺の理屈は正しい」という思いは交渉を行うモチベーションとして大事であるが、それだけでは交渉としては全然駄目なのだ。恋愛でいえば「俺がどれだけあの子のことを好きなのか」と思いを膨らませているだけのようなものであり、そんな暇があったら好きなその子の好みや彼氏の有無について分析したり、いつどのようにアプローチするか考えたりしている方がよほど有益。

喧嘩はしちゃ駄目だけど、交渉は大いにやるべき

よく耳にするのが、
「あいつ、自分に交渉をしてきやがった。ひどい」
とか、
「いやいや田中さん、私は交渉がしたいのではなくて、ただ相談がしたいだけなんです、だからそんなに身構えないで」
とか。

なんとなく、「交渉→言い争い→喧嘩→良くない→禁忌」みたいな連想をしている人が少なくないように見受けられ、交渉しようとすることそれ自体忌避されるし、さらに言えば「交渉」という言葉を発するだけでも何かタブーであるかのような顔をする人も見られる。

たしかに喧嘩はよくない。でも、交渉は、むしろお互いのために大いにやるべきだと自分は考えている。というのも、論点がひとつしかないシンプルなゼロサムゲームのような特殊なものであれば、交渉はパイの奪い合いでしかないので喧嘩にもなってしまいがちだが、現実で行われる交渉の殆どは両者の利益を拡大するための試みであるからである。

昔はさておき現代の交渉ではほぼ確実に複数論点がある。このように論点が複数あるときは、単一論点のゼロサムゲームと異なり、お互いが自分にとって比較的重要でないポイントを妥協する一方で重要なポイントを主張することにより、両者ともに交渉しなかったときと比べて利得が高くなる。

すなわち、
・現実に行われる交渉の殆どは複数論点ゲーム
・交渉に論点が複数ある場合、得てして、両者一挙得の可能性がある
・交渉しないでお互い変な遠慮をしていると、利得の最大化をし損ねる場合がある。
・どんどん交渉して、自分の利益を主張した方が、結果的に双方ベターな結果を得られることが多い

と考えられるので、交渉を忌避する態度はあまり望ましくない。

※とはいえ、日本では多くの人が交渉=悪という枠組で捉えているというのは否定しがたいので、いきなり交渉モードで話してしまうと相手が感情を害するということは、交渉にあたっての一手として理解しておくべきであろう

交渉の目的は、相手を叩きのめすことではない

交渉の現場で良く見る人は、
・交渉相手を叩きのめすことが交渉の目的であると錯覚して
・自らの得にもなるwin-win提案を無下にしつつ、ただひたすら当方のコメントを表面的に反論しておしまい
と言う感じの人々。

交渉の目的は何かしら利得を得るためであり、相手を言い負かせて溜飲を下げるのは交渉の副次的メリットでしかない。そして、仮に相手を言い負かせてしまうと、ふつう相手は心を閉ざすので、その後の交渉はうまくいかない。

なので、単に声を荒げたり、すぐ脅迫したり、暴力に頼る交渉は、得てして目の前の人をやっつけるという意味ではメリットがあるが、その後かなりの確率でメリット以上のデメリットを被ることになる。

相手を叩くことが大事なこともあるが、あくまでゴールは自分が利得を得ることであり、「叩いてスッキリしてオシマイ」という交渉をしている人は全然ダメだと思う。

あと多いのが、言うばかりで、聞くことを怠るネゴシエーター。これは自分の感覚論だが、聞き手に回った方が交渉の成果は良くなる気がする。

BATNAが誤解されている

BATNAは交渉の教科書ならだいたい出てくるが、「仮に交渉をやめたとしたら、自分がなしえる最善の策は何か」というもの。
「仮にクビになっても、実家の喫茶店を継げばいいや」ということであれば、実家の喫茶店を継ぐというのがBATNA。たとえば。

言い方を変えると、BATNAとは自分にとってのボーダーライン。「これよりひどい目にあうなら、自分はこの会社を去る」とか。交渉戦略の基本は、
・自分のBATNAを理解し、それより悪いオファーは全て断る
・相手のBATNAを推察し、それより強いことを言っても意味がないことを理解する
・で、両者のBATNAの間にあるどこかでうまく落ち着きどころを探す

というものなのだが、どうも
「相手のBATNAギリギリまで攻めたおす」ことが戦略の基本であると錯覚している人が少なくない気がする。その結果、不必要にアグレッシブな交渉をしてしまい、結果として交渉がスタックしてしまい時間と手間が無駄になるとか。

すなわち
・交渉でやることは、「自分のBATNAよりはマシな落としどころを探す」ということであって
・「相手のBATNAギリギリまで攻めて攻めたおす」ことは交渉ではなくただのごり押しである
ことを自覚されていない方が多い気がする。

このあたりの交渉の基本が浸透していない結果、日々不毛な交渉に巻き込まれてしまったり。なかなか道は険しい。。