2012-08-07

留学ズレ?

帰国してもう1か月以上が経つ。基本的にはうまく折り合っていけていると思ってはいるが、とはいえ要所要所で「自分の中のアメリカ的なところ」と「日本で会う人がもつ考え方」がうまく折り合わないときもたまにある。それが、日米の考え方の差なのか、あるいは単に自分がずれているだけなのか、よくわからないけどいずれにせよ書いてみたい。まあ留学帰りの若者の中二病書きなぐりとでも思って頂ければ:

楽しんじゃアカンのか?


帰国以来、「留学どうでした?」とか「仕事どう?」といった質問をもらうことがあって、自分は当初どちらの質問に対しても「とても楽しいです」「とても楽しかったです」と回答していた。

しかし、どうも、その回答をすると、相手の顔色が曇ることが多い。人によっては怪訝な顔をして「ま、ゴルフとか旅行とか楽しかったかもしれないけど、一応勉強しに行ったんだから、その辺気を付けなきゃならんよ」とか説教してくる人もいる。

自分としては、別にゴルフも旅行も楽しかったけど、何よりメインイベントの勉強が死ぬほど楽しかったわけで、別に「本業は苦痛だったけど余暇は楽しかった」という意味で楽しかったという言葉を使っているわけではない。本業が楽しかったからこそ楽しかったと言っているのだ。

でも、どうやら自分が話した多くの人にとって、「勉強→苦労」「楽しむもの→余暇」みたいなヒューリスティックというか固定観念というかがあるように思う。勉強をしに行った以上、それが楽しいなどということはあってはならず、当然「タイヘンでした」という回答が望ましい...そんなところかな?

でも、日本においても、自分の知る多くの「いろいろうまくいっている人」って、その人が取り組んでいることについて楽しめていると思うのだ。東大生の多くは勉強を好きそうだったし、仕事が好きそうなスゴイ先輩とか多いし。「好きこそものの上手なれ」という言葉もある。なのに、その一方で、勉強が楽しかったといってもその言葉を字面通り理解してくれない人がいるというところは、結構気になっている。


「やらないこと」を決めるのは罪なのか?


自分が留学で得た重要な発想の一つは、「得意分野に集中すること」である。さらに言えば、「得意でないことについては、アウトソースするか、手を出さないか、何らかの形で『やらない』という意思決定をすべき」と考えている。

・自分のできること・得意分野を見極めて
・取れるリスクと取れないリスクを見極めて、
・取れないリスクは徹底的に回避しつつ、取れるリスクへの対処に専念する
・その上で、取れるリスクについては、然るべき準備をした上で、果敢にリスクテイクする

すなわち、「いいボールが来たときには全力でバットを振るべし。悪いバットが来たときにはバットを振るべきではない」ということを考えているのだが、これも結構ちょいちょい摩擦を招きがち。なんというか、「ちゃんとボールを選ぶべき」という肯定的な言い回しレベルではほぼ確実に合意を得るのだが、「それはすなわち、悪いボールは バットを振ってはいけないということですよね」と裏返しの聞き方をした途端に怪訝な顔をする人が少なくない。

特にあるのが、既に積み重ねられたものがあるとき。「望ましい方向に進むためには既存の資産等を捨てることが望ましい」と言う話をすると、「前には進むべきだが、既存の資産を捨てるのは良くない」というレスポンスが多い。自分としては「前に進む=既存資産を捨てる」くらいのイメージでいたので、既存資産を捨てることなく前に進もうぜという意見を聞くと結構混乱する。

自分としては、「やること・やらないことを決めて、やることを決めたらあとは一心にその成功めがけて突っ走る」というのが良いと思うのだが、どうも自分の発想の「やるべきでないことはやらないべきである」というところが「後ろ向き」「へっぴり」「弱腰」というニュアンスに見えてしまうようでなかなかスムーズにはいかない。

そして思うが、きっとあらゆる組織には、多かれ少なかれ、上記のような「既存のものを基準にする発想」「とにかく前へ」みたいな慣性が存在しているのだと推察する。であればどんな組織も不可避的に「慣性の澱」のようなものを蓄積せざるをえない。この命題が正しければ、バイアウトによる事業改変には本質的な価値があるということが言えると思うので、すなわち自分がこの方面に感じている大義心のようなものはそんなに間違っていないんじゃないかと。慣性に従ううちに蓄積した澱を除去できるのは、客観的な立場に立った投資家である可能性が高いからだ。

※でも、この手の「前に行くためにこそ、●●を捨てましょう」的議論は、留学先の日本人にも全然受けなかったので、(1)自分の言い方が悪い(2)留学とこういった発想は特に関係ない という可能性も存在するが。