2012-08-09

My personal perspective

最近思ったこと。あくまで自分の個人的な意見であり、正しいと言うつもりはないけれど。

● 自分はなんとなく「留学にいくなら若いうちの方が良い」という印象を持っていたのだが、その主要因として思っていたのは、留学先での同級生の平均年齢が若いから仲良くやっていくには若い方がいいのかもしれない程度のものであった。

でも、帰国して多くの人-留学した人も、留学していない人も-と話すことで、もう一つの論点があるように思うようになってきている。すなわち、ひとつの会社だけでずっと単線的・継続的にキャリアを重ねることに伴うリスクというものは、思ったよりもずいぶん大きいのかもしれないということ。

すなわち、
・留学するまでに過度に「自分の型」みたいなものができてしまうと、留学先では学習・吸収というより「自分の型が間違っていないことの再確認」みたいなことしかできなくなる
※Confirmation biasがあるので、自分の型が徹底的に否定されるようなことがない限り、多少の摩擦程度ではできてしまった型は揺るがなくなってしまう
※もちろん、自分と異なる発想を素直に吸収できるOpen mindがあれば、何歳でも問題ないとは思うけど、見てる限りでは、特にずっと同じ会社の同じ部署で同じ仕事している人とかでこの手のオープンマインドを保持できている人は多くない印象

・留学とか転職とか、何かしら環境を変えることをしないと、どうしても自分の型ができてしまい、理想ではなく、現実とか経験といった視点でものを見てしまう。
※しかも、その発想は、たまたま若いときにいた部署で培われたものに過ぎない。隣の部にいたらまた別の思考回路に染まっていたことになる。そういう「居場所による思考回路の定着」というものは当然あって然るべきだけど、それだけではなくてある程度理想オリエンテッドの発想も兼ね備えていた方が良いのではないかというのが自分の立場


なんというか、留学の価値は、英語もそうかもしれないし各種理論とかもそうなんだけど、「キャリアの貴重な1~2年間を既存の文脈から切り離すことで、職場の色とか文脈とかから独立した中立的/ゼロベースな発想をもつことができること」というのがかなり大きいのではないかと思うようになっている。


「ウチの部は●●って点において特殊だからさ、君のいうような話はワークしないのよ」とか他者の自分におっしゃるオトモダチとか、「留学はしたけれど、●●は案外たいしたことないじゃん」と語る留学先での知人とか見てると、そういう「現状が正しい」という前提に立って物事を虚心に見ることができてないコメントに触れるたび、留学から戻りたてでそういう「文脈」を殆ど何一つ持ち合わせていない自分は、面食らうと同時に、ついつい「でも正直、こういう文脈はどちらかというとイラネ」と思ってしまっている。