2012-08-08

選択的性善説

最近、どえらく性悪説的立場な方にお会いすることがあり激しくモヤモヤしたので書く:

世の中はどうか知らないが、自分がこれまで在籍した部署や、その内外での尊敬できる人は基本的に性善説であったと理解している。そして、留学先においても、カリフォルニアという土地柄なのかもしれないが、友人は皆性善説であったと感じている。なので、当然、自分も性善説を強く信奉している。

でも、もちろん、性善説には落とし穴がある。もし裏切りや駄目な奴が現れてしまったときどうするか?という問題だ。そこで性悪説に転向する人も少なくないだろう。しかし、これまで会ってきた人の多くは(特にアメリカ人同級生は)、以下の要領にて性善説をキープしているように考えている:

・基本的には性善説で、仲間が最後にはうまくやってくれること、変な裏切りは起こらないことを前提として信頼関係を大事にして日々を暮している

・万一裏切り者や、頑張ったけどできなかった人が出てきたとき、ここでは結構驚くくらいばっさりとその駄目だった人のことを切り捨てる。

・で、残された人々の中で、引き続き性善説でやっていく。


こういう傾向は日本でも多かれ少なかれ色々なところであると思うが、自分はこの発想が嫌いでないので参考にしている。なので、性悪説の立場からあれやこれやについて苦い顔をしている人を見ると、ついつい色々なことを言いたくなってしまったりするのだが、結局何も言えず、こういうところにグダグダ書くことで溜飲を下げている次第。。