2019-12-28

根回しの功罪:ベイズ更新を用いた考察

この年末年始の時間つぶしにと思って手に取った『組織の経済学』、これが非常に面白い。

  • 実務として組織運営に携わる人や、管理職/経営者の人で
  • 経験則一辺倒のスタイルに怖さを感じて
  • 何かしらベースになるような理論を求める人
にはうってつけだと思う。

本書では組織に関する様々なトピックが取り上げられているが、本稿ではこれに影響を受ける形で、「根回し方式とトップダウン方式、意思決定の方法として優れているのはどちらか?」という問題について考えてみたい。

ただし、結論を先に言うと「時と場合による」とならざるを得ない。
本稿は、結論それ自体というよりも、どういう時に根回しが有効で、どういう時にはトップダウンの方が優れているのか等、結論の手前にある考え方の整理を行ってみたい。

以下、主にベイズ更新というコンセプトを使って議論を展開してみたい。


2019-12-21

良いゼネラリストと悪いゼネラリスト

毎年恒例の、FTとマッキンゼーによるBusiness book of the yearを眺めていたら、『Range』という本が、ゼネラリストvsスペシャリストの議論を論じていたので、手に取ってみた。

(2020/4追記:邦訳版が出たのでそちらのリンクも掲載:『Range(日本語版)』)


本書で、「スペシャリストvsゼネラリスト」の対比として最初に出てくる事例は、タイガーウッズ対ロジャーフェデラーだ。

タイガーがスペシャリストというのは直感的にわかるだろうが、殆どの人は「いやいや、タイガーがスペシャリストなら、フェデラーだってスペシャリストだろ!」と感じるのではないか。

この話を理解するためには、ひとつの補助線が必要になる。

すなわち、本書で書かれる「ゼネラリスト」は、一般的な日本的意味合いの日本的ゼネラリストを超えた、真のゼネラリストという発想である。

その発想のもとでは、ゼネラリストは、スペシャリストのカウンター概念というより、アウフヘーベン概念と言った方が近いと思う。

それでは、真のゼネラリストとは何だろうか?以下、自分なりの整理を書き残してみたい。

なお、議論の全体について、以下書籍などを念頭に置いている。

人事と組織の経済学・実践編(Link)

組織の経済学(Link)


2019-12-15

エルゴード性と投資判断:破滅リスクの有無で頭を切り替える

投資の意思決定の場にいるとよく、以下のような堂々巡りの議論に出くわすことが多い。

(太郎)
投資はリスクテイクなんだから、リスクを取らないとリターンはない。この投資はリスクはあるが、それでもなお取り組むべきだ
(花子)
取っていいリスクと、そうでないリスクがあるはず。このリスクは取れない
(太郎)
このリスクを取っても、最悪でも、この投資先が潰れて全損するだけじゃないか
(花子)
本当にそれだけか。何か引っかかる。不安だ

本稿では、このような、ありがちな「取れるリスク・取れないリスク」議論に対して、タレブの『Skin in the game(身銭を切る)(リンク)』の議論をなぞりつつ、エルゴード性破滅リスクというコンセプトを軸に考えてみたい。


2019-12-14

理念経営・フィデューシャリーデューティ・プリンシプル・企業文化・・・これらの共通点/相違点は?

最近は、金融業界だとフィデューシャリーデューティやプリンシプル、スタートアップ界隈だと企業文化やミッション等、それぞれ「フワフワした概念」が重視される傾向が高まっている。

たとえば以下のようなものだ。
  • 経営理念
  • フィデューシャリー・デューティー
  • プリンシプル
  • 企業文化

こういったコンセプト、日常の仕事に忙殺されていた若手の頃の自分目線で考えると、

「それって日常の仕事の役に立つの?」「理念で飯が食えるのか」

等、どうしても斜に構えた感想になってしまうような気がする。

すなわち自分事として腹落ち感を得ることが難しく、なんとなく他人から押し付けられているような気分になってしまいがちだ。

ただ、ある程度年を取った今の自分の意見としては、これらコンセプトは決して「他人からの押し付け」ではない。むしろ自分にとっての武器になりうるものだ。

本稿では、これら概念に通底する共通項や相違点を整理することで、これらコンセプトが重要になるのはなぜか?と言う点について、書き散らしてみる。



なお、参考文献は以下あたり。

2019-09-01

フィデューシャリー・デューティーは人のためならず

最近色々な形でフィデューシャリー・デューティー(以下「FD」)について話題になることが増えている。

しかし、FDは利他を求める概念であり、なんというか、「やれ」と言われただけで利他行動を取ることってできるのか?無理がないか?というモヤモヤ感があった。

言い換えると、もうちょっと腹落ちする「Why FD」みたいなものがないと、意識が高い人とか、心に余裕がある人しか結局FDを遵守しないのではないか?というモヤモヤ。

それについて、様々な論考を読みつつ、自分なりに書き散らかしてみたい。



結論だけ先に書くと、FDは利他の概念だが、回りまわって己を利することにもなるということかと思う。

情けではないが、FDも、人のためではなく、自分のためにこそ大事になると言える。

以下、顧客とプロフェッショナル(「プロ」)という構図において、どちらかというとプロの観点から「なぜプロである自分は、FDを意識せねばならないのか」ということについて考えてみる。

大雑把なサマリーは以下の通り:

  • 今の社会では、それぞれのプロがその専門性を如何なく発揮することが社会全体にとってのメリットとなる
  • プロが実力を発揮するためには、顧客から任せてもらうこと(裁量)が重要
  • 顧客がプロに裁量を与えるためには、プロが
    ①能力の高さ
    ②「顧客利益のために最善を尽くす」という責任感
    の両方を持っている必要がある。能力が高いだけでは信用されないので、①だけでは不十分
  • すなわち②が必要なのだが、これってFDに他ならない。
    言い換えると、FDがないと、プロは顧客から十分な裁量を得られず、実力を発揮できない。
  • 従って、FDは、一義的には顧客のためのものだが、回りまわってプロの利益となる。
  • 法律や契約はあくまでミニマムスタンダードであり、信頼獲得のための十分条件にはなりえない。信頼獲得のためにはミニマムスタンダード(法律・契約)のみならずFDを満たしている必要がある

なお、さらに派生して、FD以外の企業理念やプリンシプルにまで検討を広げているポストはこちら→リンク


2019-08-25

MBAで学ぶのは、理論それ自体ではなく、理論の使い方

よく、以下のような、MBAを批判するような議論を聞くことがある。

  • MBA上がりの奴は、欧米の経営理論を無批判に取り入れようとしがちで、現場がわかっていない
  • 投資先に派遣されたマネージャーが、「非効率」な現場に「近代的」な経営手法を導入しようとしたら、反発や機能不全等を招き、機能しない

このように批判されるMBAは、どこで苦労しているのだろうか?どこかに間違いがあるのだろうか?

本稿では、このことについて、少し書き散らしてみたい。



結論を先取りすると

  • 上記は、「ダメなMBA」の典型例であり、「まともなMBA」の例ではない
  • 真面目にトレーニングを受けたMBAほど、経営理論を安易に振りかざすことには慎重になる

ということではないかと思っている。

本稿は結果として「MBAの内容なんて、本を読めば、通学せずとも学べる」という批判への反論にもなっている。


2019-07-06

理想と現実のギャップ、と効率的市場仮説:「現場は正しい」というコンセプトについて

よく、仕事していると、

「本来はXXXであって然るべきはずなのに、現実はそうなっていない。変だなぁ」

と、現実にフラストレーションを感じることはないだろうか。

あるいは、さらに極端に

「現状は変だ!間違っている」

と憤りを感じることなどはないだろうか。

本稿では、そういった「理想と現実のギャップ」に直面したときにどう考えるのが良いか、ファイナンスの世界での有名なコンセプトである効率的市場仮説を使いながら考えてみたい。

なお、本稿は、Skin in the game (リンク)に触発されて書いている。全体を覆う世界観は、Talebを想像してもらうと理解しやすいかもしれない。

(追記)Skin in the gameの邦訳版が出たので、むしろこちらを読むことをお勧めします。
身銭を切れ 「リスクを生きる」人だけが知っている人生の本質(リンク)



2019-06-09

正論を伝えたいからこそ、正論を安易に口に出さない

この週末、『人望が集まる人の考え方』(リンク)を読んだ。

およそ仕事で対人関係をうまくマネージしようと思っている人にとって「基本のキ」的なことがうまく整理されていて参考になった。

今日はその中から、「正論を伝えたいからこそ、正論を言わない」というポイントについて、自分の感想も混ぜつつ紹介しておきたい。

2019-05-11

留学して変わった身だしなみ

最近読んだClass Act(リンク)という、これから年を取っていく社会人が理解すべき身だしなみやふるまい方に関する本。これがわりと面白かった。

これに悪乗りする形で、自分が留学やそれ以降激増した海外仕事のなかで、外国人の仕事相手や友人を見る中で「自分も、ちょっと修正しないといけないな」と身だしなみ関係で修正を図ったところがあるので、ネタ的に書き散らしてみたい。


2019-04-28

金銭報酬と非金銭報酬

4月の暇な時期に、小笹氏の『モチベーション・ドリブン(リンク)』を読んだら非常に面白かったので、備忘まで。

以下では、本書の要約をさらっと行いつつ、後半ではそれを読んで感じた自分の感想(小笹氏の意見ではなく)を書きなぐるので、小笹氏の意見と筆者の意見は分けて読んでもらいたい。

以下のうち、自分の意見を要約すると、

その重要性が増している非金銭報酬は、上司や人事部以外の人であっても提供可能である点において、あらゆる人にとって非常に重要になるというもの。

2019-03-30

言うことがコロコロ変わる人をどう理解すればいいのか?

若手の頃、やり手の上司がいたのだが、その人はとにかく言うことがコロコロ二転三転する人だった。朝令暮改、君子豹変するを地で行く人だった。

「行くぞ」と言ったと思ったら「退くぞ」と言ったり。
「チャレンジせよ」と尻を叩かれたと思ったら「慎重にやれ」と首根っこつかまれたり。

そして時を経て今、あろうことか、自分も言うことがコロコロ変わってしまっていることを自覚している。

我ながら反省することも多いのだが、他方で、そのようになってようやく「なぜ人は言うことがコロコロ変わるのか」問題について、その原因の一端をつかめた気がする

自己弁護するわけではないのだが、ダメだから二転三転するのではなく、しっかりしているからこそ二転三転することがありうるのだ。

以下、コアバリューという言葉を軸に、少し考えてみたい。


2019-03-16

「社内でしか通用しないスキル」なんて、実はほとんど存在しないのではないか?

古くはBeckerの人的資本理論に始まるが、経済学や、サラリーマン精神論において、人のスキルを汎用的なもの(ポータブルスキル)と企業に紐づいたもの(企業特殊スキル)に分けた議論がよく行われる。

最近だと、企業特殊スキルがネガティブに「社内でしか通用しないスキル」と言い換えられることが多い。

たとえば、大企業disの文脈で

「社内でしか通用しないスキルしか持たない大企業のオッサンは、ポータブルスキルがないので、会社が潰れたら路頭に迷う」

みたいな批判をするとか。

自分もこのような話を若いうちから念仏のように聞いていた。

なので、なんとなく強迫観念的に

「ポータブルスキル、ポータブルスキル」

「社外でも通用」

と、意識しながら働いてきた気がする。



しかし、最近思うのだが、

「本当に社内でしか通用しないスキル」「社外では心底使えないスキル」なんて、実は殆ど存在しないのではないだろうか?

今日はそのことについて雑文を残してみたい。

なお、本文の殆どは自分の愚行だが、議論の枕には、例えば人事と組織の経済学実践編などを踏まえている。




2019-03-09

リーンアプローチ的世界では、意思決定はそこまで重要ではないのか?・・・失敗コストの大小による


最近わりと、入口での意思決定はそこまで重要ではないという意見の影響力が高まっているように感じている。

(自分でも「アイディアではなく行動が全て」みたいなポストを書いており、その発想に賛同する部分は多い)

多くはスタートアップ的なリーンアプローチの観点から、

入口でダラダラ意思決定に時間をかけるくらいなら、とりあえず始めて、それから適宜軌道修正すればいい

というのが主張の根幹。



これは、自分を含む大企業や官公庁に所属する個人からすると、参考になる示唆であるとは思っている。自分自身、色々な事案でリーンアプローチを使っている。

ただ、リーンアプローチは参考するのはよいが、絶対視まですることは危険だ。

言い換えると、どういう時にリーンアプローチが有効で、どういうときには有効でないのか理解しておかないと、無条件にリーンアプローチを使うのは危険ということ。



今日はその辺りについて、失敗コストというコンセプトを軸に書き散らしてみたい。


2019-02-09

「成長」「アップサイド」「バリューアップ」をどこまで計算に入れるか

投資(特に経営権取得を伴うような買収)をするときにどうしてもつきまとうのが「成長をどこまで考慮するか」「バリューアップをどのくらい計算に含めるか」という問題。

投資するとき、誰だって馬鹿ではないので、企業を高値掴みはしたくない。
もし許されるなら、できるだけ保守的な予想を行い、その予想に基づきシビアなバリュエーションを行いたいに決まっている。実績だけ織り込んだ現状横這いの予想を作り、それに基づく低価格で買収できるなら、そんな楽なことはない。

しかし、投資の現実には競争入札者がいたり、売手が価格にうるさかったりするので、保守的に見積もった安い値段では、買収できないのが現実だ

すなわち、現実に買収を行おうと思ったら、多かれ少なかれ、不確実なバリューアップを予想に織り込んだ「高いバリュエーション」で臨まざるを得ないのだ。

できもしないバリューアップを予想に織り込んで高値掴みするのが愚かなのは疑いない。他方で保守的な値付けをして入札負けするのも、少なくとも買収を仕事とする場合には、やはり愚かであるから話が難しい。

(統計風にいうと、第一種の誤りを避けるばかりに第二種の誤りをしてしまうのは望ましくないということ。保守的一辺倒のスタイルを好む人は、投資する側をあきらめて、ファイナンス側の仕事に就くべきだろう)

以上のような「バリューアップを織り込むのは難しいが、かといって、織り込まないとそもそもゲームにならない」というジレンマのなかでどうバランスを取るのがいいのか、経験則のようなものを少し書き散らしてみたい。


2019-01-11

サブスクリプション

サブスクリプション――「顧客の成功」が収益を生む新時代のビジネスモデル(リンク)

出張移動中の飛行機で読んだ本が面白かったので、備忘までメモ。

自分は本書を読むまで、サブスクリプションビジネスを「単なる分割払い」と区別できていなかった。

実際には、支払方法が変わることに伴い色々と変わるところがあり、以下のようなあたりはポイントであろう。

以下では、本書の紹介をしつつ、サブスクリプションモデルは単なる分割払いと何が違うのか?という観点から書き散らかしてみたい。

2019-01-06

住宅購入時のトータルコストは、住宅価格を100としたら結局どの程度なのか?

家を買う前に困ったことの一つに、「付随コストが色々かかることはわかるが、その詳細がわからないので、今一つシミュレーションがやりづらい」ということがあった。

ふと当時の苦労を思い出したので、記録を頼りに、自分の場合のケースを備忘まで記載しておきたい。

結論としては、家の値段を100としたら、だいたい10%弱ほどの増しの109程度になっている。
なので、10%余分に覚悟しておけば、余程のことがない限りはハミ出すことはないというのが肌感覚だが、以下では、その約10%の内訳についてみてみたい。

2019-01-03

「知識を使いこなせる」とはどういう状態か

たまに散見される「知識やコンセプトのことは知っているが、使いこなせない人」について、少し自分なりの見え方を備忘まで記載してみたい。